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「美貌の天才少女」諏訪 根自子

1月23日は、日本のヴァイオリニスト、諏訪 根自子が生まれた日。(すわねじこ 1920年1月23日 - 2012年3月6日)結婚後の本名は大賀 根自子。

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ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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日本人離れした美しい容姿は「美貌の天才少女」として一世を風靡。ヨーロッパに留学してベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演を果たすなど、国際的に活躍した。

根自子という風変わりな名は「根を養えば木は自(おの)ずから育つ」から付けられた。

【戦争とともに】

まずブリュッセルで学び、その後パリへ。ナチスドイツによるパリ占領後も留まるが、1942年ベルリンへ赴く。1943年、ナチスの宣伝相ゲッベルスからストラディバリウスを贈呈される。

同年10月、クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルとブラームスの協奏曲を協演。ハンス・ワイスバッハ指揮のウィーン・フィルとも協演を実現。ドイツの敗色が濃厚になる中、パリへ戻る。

1944年6月、連合軍がノルマンディーへ上陸。在仏日本人は大部分がベルリンへ引き揚げた。1944年11月、スイスのチューリヒ、ジュネーヴ、ローザンヌで演奏会を開き、好評を博する。

1945年5月、ベルリン陥落。ザルツブルク南方のバード・ガスタインに避難していたところを、アメリカ軍に拘束される。

いったんアメリカに送られ、日本に帰国したのは、1945年12月だった。

戦火の中を逃げ惑う日々のうちにも、幼き頃の母の教え、「ヴァイオリン・ケースはどんなことがあっても自身で持つこと」を守り抜いた。

【結婚生活】

戦禍のヨーロッパで出会い、苦楽をともにした元ドイツ駐在大使館員だった大賀小四郎と出会うも、既婚者だったため、帰国後、人目を避けながら愛を育み、出会いから27年後、1968年に結ばれた。根自子は48歳で初婚、大賀は再婚だった。

23年の結婚生活を通して大賀を「先生」と呼び、いつも半歩下がって表舞台に立つことを好まず、演奏会出演を依頼されても夫の顔にわずかでも曇りが見えれば引き受けることはなかったそう。

2012年3月6日、92歳の生涯を閉じた。ゲッベルスから贈られたストラディバリウスは、息を引き取るまで、常に彼女と共にあったそう。


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