やまだ

30代/仙台/依存症家族育ち

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30代/仙台/依存症家族育ち

最近の記事

やっと、さみしくなれたね

さみしいがどっかに飛んで消えてった。 こんなもの存在してることが間違ってる。 ない、ない、ない。なくていい。 誰も見向きもしないのだから。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ そんな僕の生き延びるための希望。 諍いやトラブルがあれば僕がどうにかしなければ!と調整役になること。 自分には問題などなくて、全てうまくいっているように見せられるいい子・できる子でいること。 それが僕にとっての生き延びる希望だった。 そうわかった時、同時にその役割が終わってしまうのだと知って、自分が砕け散っていく。

    • 僕はそれを言ってほしかった/『きみのことが だいすき』

      本屋さんで最高にケア溢れる絵本を見つけた! ホントそうだよね〜。それ言ってほしかった〜。もっと早くに教えて欲しかったよね〜。そういうことを言ってくれる親や大人にたくさん出会いたかったよ〜。ううう。 と、たくさんの想いが読みながら込み上げてきて。 なんというか絵本を読むことを通して自分の中にある感情や本当は大切にしたかったニーズが掬いあげられる感じがして、本によって情動調律してもらえてる感覚がありました。小さくてほわほわとした動物さんたちの愛くるしい姿もあいまって。 ✳︎

      • このクソな世界で自分も相手も大切にするの無理ゲーすぎィィィ!!!!

        まるで意味のないことを真面目に律儀にやってたり、暴力を暴力として認知できなかったり、日々魂が枯れていく。 無理ゲー、クソゲー、ゲゲゲのゲー そんな中で自分も相手も大切にするのって難しいなあ。 自分を卑下したり、恥じたり、相手にイライラしたりそんなのばっかだ。 無理ゲーだよね、そうだよね、きついよね、ホントそうだよね。 そう分かち合えたら、心許せるお友達と無理ゲーを「ゲーム実況」できたら、そのバカバカしさを笑える日が来るのかな。

        • 体験しなければその存在を理解できない世界がある

          身をもって感じなければわからないことがある 僕にとって病気になり回復する中で出会ってきた人、無知ゆえに知らなかったいくつもの体験がそれだった そのままでは、変わらなければ、どうなっていたか でも、変わるなんてイヤだったこわかった なのに、気づいたら変わっていた もうこの世から消えたいがわずかであっても薄れていた もうちょっと生きていたいながあったりした そんな人との出会いがある、そんな世界がある 死にたくなる世界と生きたくなる世界がある それは体験しなければ一生わからな

        やっと、さみしくなれたね

        • 僕はそれを言ってほしかった/『きみのことが だいすき』

        • このクソな世界で自分も相手も大切にするの無理ゲーすぎィィィ!!!!

        • 体験しなければその存在を理解できない世界がある

          優れたテクノロジーと地獄に落ちる♪

          どんな優れた先進的なテクノロジーも「私もあなたも大切な存在だよ」がない限り、不幸にしか使えないんだよなあああああああ と、今日仕事してて思った 最新鋭の勤怠システムを導入して半年が過ぎても、これいったいなんなんだ!?状態 なんのために導入するのか=業務の効率化・短縮化、結果として利益を上げるため けれど、むしろシステムに費やす時間が増えていたりシステムの仕様変更に振り回されている、右往左往〜 はああ、ためいきしか出ない いったいこれはどういうことなんだろう?なにが起き

          優れたテクノロジーと地獄に落ちる♪

          知らないでいられることの貧しさ/高知東生『土竜』

          以前から読者の感想ツイートを目にしていて楽しみにしていた高知東生著『土竜』を読む。その中の「シクラメン」が衝撃だった。 昭和の高知の匂い、土地の記憶、性と暴力、戦争や空襲といった歴史背景…それらが何層にも絡みあって、物語/小説を読むことの面白さが更新されるような読書体験だったな 過去も歴史も戦争も知らない、その人の事情や背景も知らない、なにも知らず想像もできずに蔑んで嗤ってしまえることの貧しさ、愚かさ 嘲笑・侮蔑には都合のいい対象、この世界の多数はそういう存在によって生かさ

          知らないでいられることの貧しさ/高知東生『土竜』

          自分たちの真の問題を見るぐらいなら

          ナディン・バーク・ハリス: いかに子供時代のトラウマが生涯に渡る健康に影響を与えるのか

          自分たちの真の問題を見るぐらいなら

          無責任責任

          責任をとらないことがこの社会の「責任」なのだと思う 無責任でいることがこの社会の「責任」をとるってことなのだと思う 責任のとりようがない なにも与えられていないから 権限も裁量も、形だけ、タテマエだけ だから形だけタテマエだけの謝罪や反省があふれる クソだぜ!

          無責任責任

          一生懸命に不幸

          助けも借りず、自分ひとりで抱え込んで、あるいは家族の中、その集団の中だけに閉じ込めてしまう。 自分を助けない、家族も助けない、大切な人でさえも。 助け合わないことの帰結は暴力、加害、ハラスメントに向かう。 みんな一生懸命に不幸になっている。 前提が間違っているんかな。 前提とは、長く続いてきた伝統や文化だと思われているもの。 その伝統や文化を形作る価値観や思想のなかに間違っている部分がある。 人は完璧じゃないのだから、人間が考えたことのなかに間違いや誤りがあることがふつうだ

          一生懸命に不幸

          待ち侘びるっていいな

          楽しみがあることって、生きるよろこびだなあ。 明日、久しぶりに友だちに会う 来週、好きなアーティストのライブに行く 来月、長年の夢だった海外旅行に出かける それは必ずしも大きなこと、お金がかかることではない。 ずっとずっと欲しかった、願っていたことが体験として感じられること。 たぶん、子どもの頃に得られなかったものかもしれない。

          待ち侘びるっていいな

          「言わないと分からない」と発する前に

          言われないと分からないほど、知識も理解も想像することもできなかった自分自身を省みること。

          「言わないと分からない」と発する前に

          家族の秘密

          長らく忘却していた40年前の記憶。 家族一緒に暮らしていたおだやかな日々。 もう何年も前のこと、ものごころさえもおぼつかない、だからすっかり忘れていたと思っていた。けれど、その知らせを受けて、心のどこかでずっと引っかかっていたのだと気づく。 知りたい。 なぜあなたはお母さんを捨てたのか なぜあなたは私を捨てたのか お父さん、私、その答えが知りたい 全ての予定をキャンセルして、私は東北行きの新幹線に乗っていた。生まれ育ったあの地へ行ったのはいつかもう覚えてもいない。それ

          家族の秘密

          依存症家族で育った子ども

          この人たちと僕はどこか似ている。 福祉施設で知り合ったアルコール依存症、処方薬依存症から回復し続けている人たちとの出会いがはじまりだった。けれど、お酒にも処方薬にも依存していない僕は気にしつつも、頭の片隅にとどめるだけにして毎日を過ごしていく。 忘れかけていた頃に目の前に現れたのが三森みささんの『母のお酒をやめさせたい』だった。これうちの家族のことが書いてある……むさぼり読むなかで依存症/アディクションという病気のことを名前だけ知っていただけで、大事なことはなにも知らなかっ

          依存症家族で育った子ども

          僕のなかの物語

          「うまくいっているように見せること」それが生きる全てだった。僕はちゃんとできる、なにも問題などない、そうすればみんな笑っていて世界は平和だ。それでいい、それでいいはずだった。なのに、気づけば次第に苦しくなっていて。うまくいっているはずなのに、なんで僕はこんなにも泣いているんだろう―― そんな僕のなかの物語を今編み直そうとしている。でも、そう簡単にいかなくて。もう充分なのに手放せない自分に笑えてくる。僕は僕の生き方を変えるのがこわいんだ。

          僕のなかの物語

          たくさんの人に僕は傷つけられてきた、そして、僕もたくさんの人を傷つけてきた

          僕は人から傷つけられ被害を受けてきた、と気づき認めたとき。同時に、僕も同じように人を傷つけてきたと気づいてしまった。 被害の事実を認めたときに、加害の事実にも同時に直面した。そのあまりの落差を受け入れることができなかった。 自分自身への嘘が、偽りが、ごまかしが一番の苦しみだったんだ。 ◆◆◆ 国際結婚をし夫婦の問題をきっかけに自身の心に向き合い、それを発信しているsakuraさんのブログ。 人は主観でしかものが見れない間は「自分の思考は正しいのになぜか改善されない状況

          たくさんの人に僕は傷つけられてきた、そして、僕もたくさんの人を傷つけてきた

          webメディア「soar」を紹介・薦めてきた者として

          webメディア「soar」の件について私の思うことを書きます。 soar元理事による性加害と運営内部がその行為を知りながら理由はどうあれ放置していたことが発覚しました。 私はsoar関係者と面識はありませんが個人的に共感し、長らくsoarというメディアをまわりに紹介・薦めてきた者のひとりです。今回の件を受けて、私のその振る舞いが性加害とその行為の放置に間接的にではあれ、加担することにつながっていたのではないかと思いました。 私がsoarを紹介・薦めてきたことで、少なから

          webメディア「soar」を紹介・薦めてきた者として