日本には「社会」がなくて「世間」がある

“どうしてこんなに生きづらいんだろう?”
中学生の頃にその芽はあって、社会人になってその頂点がやってきた。いじめによって人権が軽々しく損なわれる。法治国家のはずなのに法律無視の理不尽な決まりごとが支配している会社。民主主義なのに空気の読み合いでで言いたいことが言えない。

ずっとずっと違和感があった。あれれおかしいな、ヘンだな。なんだか正体の見えない息苦しさ、しんどさ。
そんな僕にとっての違和感の正体、のしっぽ?の実態を教えてくれたのが佐藤直樹さんの「犯罪の世間学」

世間学の創始者である阿部謹也がいうように、日本には社会という言葉があるが、それは1877年ごろにsocietyの訳語として造られたものである。いうまでもなく、江戸時代には社会は存在しなかった。
その実質は、140年近くたったいまでも日本には根づいていない。その代わりに伝統的に存在し続けてきたのが「世間」だった。その「世間」に、日本人はいまだがんじがらめに縛られている。p8
ヨーロッパでは11世紀から12世紀ごろには、都市化とキリスト教の「告解」の普及によって、個人が生まれ、社会が形成された。とくに「告解」は、1215年のラテラノ公会議で、成人男女が年に一回教会で自分の内面を神に告白することを義務づけられ、その結果歴史上初めて、内面をもつ個人が誕生した。
この個人を基礎として「世間」という人的関係が否定され、社会という人的関係が形成される。しかし日本では、キリスト教が支配した歴史もないし、「告解」の伝統もない。そのため個人も社会も形成されなかった。p15
つまり明治期に西欧という外部からやってきた社会は、土台としてもともとあった「世間」のうえに、上部構造としてちょこんと乗っかっただけである。その結果日本人は、タテマエとしての社会と、ホンネとしての「世間」という二重構造のなかで、分裂的に生きることを余儀なくされた。p16

日本には「個人」も「社会」もない、あるのは「世間」である、という。

社会は個人の集合であり、個人には人権が約束されている前提がある。明治期に西洋文化を輸入した際に、科学や政治は取り入れたが、それら人的関係は定着しなかった。それまでに根付いていた「世間」が残され、今もそれは続いてる。

現代はタテマエとしての社会があり、その実ホンネは「世間」にある。その二重構造を僕らは生きてる。だから、人権や法律をよそに「世間」の常識が優先されてしまうわけだ。
自己アイデンティティの確立とかを言いながら、管理する教育や意味不明な校則を強要したりする不可思議さが少し理解できつつある。

「世間」があまりよくないもののように思えるけれど、決してそうではなくて。「世間」って具体的になに?ってこととかもまだまだ書きたいことはあるけれど、整理できてなくて、まずはここまで。
著者の佐藤直樹さん以前に「世間」の存在を明らかにしたのは歴史学者の阿部謹也さんだったという。阿部謹也さんの本も読んでみよう。


自分が生まれた国や世界を好きでいたい気持ちってあるんだよね。嫌いで憎むよりも。なのに中学生以来、嫌悪することばかりだった。
どういう背景があり、いかなる経緯をたどって国や世界は成り立っているのか。それを知ることは、自分が生まれた環境を少しでもまあいいかもな〜と思えることにつながるんじゃないかと思っている。

〜おわり〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?