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学問てのは当たり前とされていることに疑問を持つことだ

京大変人講座を読んだ。
芸大の本が話題になったからそれの二番煎じなのかなと思ったけど内容はいたって真面目。

何れにせよ、こう言う一流どころの突き抜けた人は、なんか変だ。
本書にも書かれていたけれど、常識を疑え、を実践して人は変人になるのだ。最初から変人なわけではない。

官僚養成学校である東大に対して、東大とは別のタイプの学校を作ろうと設立されたのが京大。学生と一緒に未知の世界を研究し、探求しようと言うフンボルト思想の理念が生きているってことらしい。

本書に出てくる京大総長の山極さんからしてゴリラの研究者なんだけど、ゴリラと生活している変な人。
でもこの本、決してタイトルほどおちゃらけてなくて、学問てのは当たり前とされていることに疑問を持つことだって言うテーマが終始一貫して流れている。

それが霊長類の研究だろうが、地球の研究だろうが、経営学におけるサービスの研究だろうが、法学だろうが、ジャンルは関係ない。

サービス研究の中で出てきた作法やマナーは一握りの人にしかわからないからこそ価値がある、と言う話は妙に面白かった。マナーは自らの稀少さや価値を守るために自分自身すら否定する。そんなの気にしなくていいんだよ、好きに楽しめばいい、とマナーなど存在しないかのように振舞うことで、マナー自体の価値を保っている、という仕組み。

徳利の注ぎ方が、注ぎ口に見えるところを使わずに注ぐっていうのは初めて知ったのだけど、ググってみたらそんなの気にしなくてもいいし、正式なマナーなんかじゃないんじゃない的な言説が次々に出てきた。まさにこう言うやつなんだよな。そもそもマナーは正しい、正しくないという言説をすり抜ける性質を持っていて誰もこうじゃないといけない、なんて言ってくれない。それでもクローズドなコミュニティ内で存在し続けているのがマナーなんだろうなぁ。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。