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つまるところ自分は無駄知識と新しい視点の2つを面白がっているんだよね。

ゲーム好きですか? 僕は好きです。
今となってはそこまで時間を割けていないけれど、
それでも定期的に没入したくなる。

強制的に集中力を持っていく力がとても強いから、悩ましいことがたくさんある時とか、ゲームしてると脳がリセットされるんだよね。
悩ましい状況になればなるほど、四六時中考えちゃうから、活字は読んでる最中に考え始めちゃう。マンガはまぁまぁ忘れられる。でもそれでもダメな時はゲーム。ゲームしてるときは、頭の中を空っぽにしてゲームできる。

まぁ、そればかりだとあまり良い付き合い方ではない気がするけど、
ファミコンの登場と共に成長してきた世代なので、
人生とゲームは切っても切れない仲なのよ。

そんなことはさておき、こんな本を読んだ。

何が教養なのかはちょっとよくわからないんだけど、
「ゲームの文脈における発想の進化」と言う視点で整理するお話。

インベーダーゲームやパックマンといったレガシーな作品から
どうぶつの森、ラブプラスといった現代の作品まで語られているのだけど、
つまるところ、自分が面白味を感じることは、

①トリビア的なあってもなくても良い無駄知識

②新しい視点、もしくは暗黙知の言語化

なんだろうな、と。
何を読んでいたとしても、究極的にはそれをただ面白がっているだけなのかもしれない。

①トリビア的なあってもなくても良い無駄知識

本書の内容で、例えるならインベーダーゲームにおける演出に見えるものがハードウェア性能の制約による副産物だった話なんかはこれに該当する。

スタート直後にインベーダー軍団が一匹もかけていない状態では、描き込むドットの数が多い分だけシステムの負担も大きく、動作も重い。が、インベーダーが倒されて数が減ると、処理能力にも余裕が生じて、移動スピードや攻撃も速くなる。ハードの弱点となるはずの特性が、逆に展開にスリリングな緩急を与えたのである。
P.28

まぁインベーダーゲーム全盛期に生まれていたわけではないので、
インベーダーゲームに対する認識自体が体験ではなくて
後付けの知識によって作られているのだけど、それでもこれは
自分のインベーダーゲーム観をアップデートするトリビアだ。
こう言うの楽しい。

加えて言うなら、この1つの無駄知識は脳内に点在する色んな知識を連想ゲームのように刺激する。

例えばこれって弱点はアイデア次第でプラスにできると言う箴言めいた一般化が可能だな、と言うこと。

また一方で早稲田大学ビジネススクール根来教授の「因果連鎖の網の目構造論」(と言う名前自体は覚えてなくて今調べたけれど)的な視点における「意図せざる結果」がプラスに働いた事例なのかもな、といったことを想起したりもする。平たく言うと自分たちの行動の結果生じた結果は意図した通りの結果になることもあれば、意図せざる結果を生み出す事もあるし、その両方が生じる事もある。このインベーダーの事例って意図せざる結果がプラスに働いた結果なのかな、と言う事。(真相はわからん)

クリエイティブの観点からは制約が工夫やアイデアの源泉になるといったこれまた一般化された話を思い出したりもするのだけど、ここまでくるともう連想は止まらない。

元の話とはどんどん逸脱していくけれど、制約が工夫を生むといえば、アルフレッド・ヒッチコックの『汚名』におけるキスシーンを思い出す。

『汚名』は1946年の作品だけど、当時はアメリカの映画史における悪名高い自主検閲制度、通称ヘイズコードによる表現規制があった時代。
今となっては考えられないような規制のオンパレードで、中でも有名なのはキスは3秒以内と言うもの。それほど事細かに表現が規制されていたのだけど、ヒッチコックは規制を逆手に取ってケイリー・グラントとイングリット・バーグマンのカップルが3秒以内の短いキスを、何度も、何度も、何度も、何度も、続けて約2分半の情熱的なキスシーンを作り上げたと言う話。

これはもうある種の反骨精神を伴ったケースではあるけれど、規制が工夫やアイデアにつながった事例だよなぁ、ってこと。

てな感じで1つの無駄知識がまるでビリヤードのように頭の中で次々と既存の知識を刺激していく。こう言うのが楽しいんだよね。

②新しい視点、もしくは暗黙知の言語化

これはもう、どう言う視点でモノゴトを語るのか、その視点、ことばが自分にとって新しいとただそれだけで楽しい。

例えば、パックマンというゲームの革新性に関して語る一節なんかがそれに当たる。

それまで僕の中でのパックマンは主人公のパックマンを操作して、敵から逃げたり、敵を食べたりする昔のゲーム、売れた、名作とされている、という程度の認識だったのだけど、本書ではそのパックマンの革新性を次のように語っている。

「パワーエサ」はただの量的な「パワーアップ」とはわけが違う。敵を撃ち落とすシューティングにおける「パワーアップ」は、単発だった射撃が二連装に、弾丸が貫通力のあるレーザーとなって単位時間あたりに倒せる敵の数が増えるーーと「量的」な変化にとどまる。使用前・使用後で「撃つゲーム」という本質は揺るぎもしない。
だが、パワーエサを食べる前は「追いかけられる」ゲームだったのが、使用後は「追いかける」ゲームに転じている。
P.47-P.48

これは僕にとって新たな視点であり、パックマンを語る新たなことばだった。言われてみりゃその通りなんだけど、一歩引いて俯瞰して見ながらのメタ認知的な語りは自分の世界も開ける気がして好き。

これに限らず総じて何がすごいのか、何が好きなのかを語ることばは新しい視点に満ちている気がするから、書評やレビューも面白いし、モノゴトをどう認識しているかっていう観点からはエッセイや小説は面白さの宝庫だったりする。

そして物欲へ

そんでもって、こんな本読んでたらゲームやりたくなるよね。
昔のゲームを子供と一緒にやりたくなったので早速これを買っちゃった。

手のひらサイズのスーファミに21本のゲームが入ってるおっさんホイホイ。
これのファミコン版は長らく売り切れだったのだけど、6月末に再販売するらしいのできっとそちらも買ってしまうんだろうな。

ちなみにこんなジャンプバージョンも発売になるらしいので、
今年は懐かしのレトロゲーム祭りになりそうな予感!

連想文献

なんとなく思い出したりした文献など。


もうタイトル通り、世界初のRPG、
DUNGEONS & DRAGONSを発明した男の話。
と言われてもイマイチ偉大さがわからない?

今日の大衆文化の重要ジャンルの多くは、ゲイリーのゲームから生まれたと言って過言でない。一度でも『コール オブ デューティー』のようなFPS(本人視点シューティングゲーム)を、『World of Warcraft』のようなMMO(多人数オンラインRPG)を、『ファイナルファンタジー』のようなコンピューターRPGを遊んだ人、『セカンドライフ』のようなインターネットの仮想世界にログインした人、TVドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』や原作小説『氷と炎の歌』に触れた人はみな、間接的にゲイリー・ガイぎゃっクスの仕事に触れていると言ってよい。
P.vii

ゲームとAIの進化を語る超良記事。
AIを研究ではなく、実装し活用しまくっているのがゲーム業界。
日本のゲームがAIと言う分野で後塵を拝していることがよくわかる。

もうこのインタビュー記事読んでから三宅陽一郎さんにも俄然注目。

ゲーム内でのAIの働きをわかりやすくまとめてくれている入門書。
とりあえずこれ読んで、ゲームの構造が少しだけわかった気がした。
いくつか本格的な著作を出している方なのでもうちょい専門的なの
読んでみても面白いかも。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。