過去世の記憶、の話
私には過去世や前世の記憶はありません。
おわり。(笑)
じゃなくて、私が自分の前世に興味を持ち始めたのは2019年のことなので、けっこう大人になってから厨二病を患ったことになります。
私には前世の記憶は全く無いのですが、前世を示唆するようなことは、私が3〜4歳の頃にあったのを思い出したので、今回はそれを紹介します。
その時の私は、母に寝かしつけられているところでした。
当時の我が家は大人たちがいがみ合っており、子供もそのとばっちりを受けて悲しい思いをしていました。
なので、3歳の私は寝るときになると物悲しい気持ちになり、隣にいる母に「ぼく、ほんとうのお母さんのところに帰りたい」と言って、本当の家族から引き離されてここに来た、という物語を話しはじめたのでした。
母はショックを受けたようでしたが、3歳の私がどんなストーリーを紡ぎ出すのかに興味を持ち、私の話に乗ることにしたそうです。
母「本当のお母さんがいるの?」
ぼく「うん」
母「じゃあ、どうして、太郎は今このおうちに居るの?」
ぼく「迷子になって、おまわりさんのとこに行ったら、ここがあなたのおうちです、って連れてこられた」
母「(笑いをこらえながら)そうだったの。じゃあ、本当のお母さんをさがさなくちゃね。本当のお母さんの名前は分かる?」
ぼく「…かまこ。」
母「(さらに笑いをこらえながら)じゃあ、本当のお父さんの名前は?」
ぼく「…きりこ。」
母「(カマキリだw w w)じゃあ、太郎の本当の名前は?」
ぼく「みちこ。」
母「そ、それなら明日、目がさめたら、一緒にお巡りさんのところに行こうか?お父さんとお母さんの名前を言って、本当のおうちに帰ろうね」
ぼく「……やだ。ここのおうちでいい。」
3歳の子供のつくり話は、そこで終わったのでした。
つくり話ではあったものの、頭の中にはお巡りさんの姿とか、迷子になった自分の姿とかが浮かんでいました。それに、考える間もなくスラスラとストーリーが出てきたのを今でも覚えています。
あれから40年が経った今、それは作り話ではなかったんじゃないかとも思えるようになりました。
そう、前世の記憶だったのではないかと。
名前のセンスはともかく、ストーリーの骨格は前世のものをなぞっていたのではないかと。
というのも、前世の「アレシュ」には生みの母と育ての母がいたらしく、幼少期に生みの母と離れ離れにさせられていた可能性があるのです。
アレシュが養子に出されたのか、母親が離縁されたりしたのか?そこは不明です。
ともかく、アレシュは生みの母親とは数年しか一緒に居られなかったのでした。(証拠はありませんが、ヒプノセラピーで見た情景がそうでした。)
その記憶が3歳の研究太郎の心情と共鳴した結果、「カマキリみちこの」物語が口から出たのかもしれません。
というわけで、今年の8月に私はチェコ旅行に行く予定です。
その目的の一つが、生き別れの母に会いに行くことであります。
もちろん、当時の母はとうの昔に亡くなっていますし、何なら生まれ変わって、次の人生を生きているかもしれません。
しかし、私の考えでは、死後の魂はいくつかに分裂すると思っておりまして、例えばエジプトの「バァ、カァ、シュウ」などの思想がそれに近いかな、と思います。
死後、魂はこの世に残る部分と、霊界に還る部分とに分裂すると思うんです。
霊界に行った魂は生まれ変わりのプロセスを経て、記憶をリセットして別の肉体で次の人生をスタートさせます。
一方で、この世に残った魂は、いわゆる残存思念体のような形で存在しつづけます。
子孫を護るために守護霊となったり、恨みや後悔に縛られた幽霊になったり、その有り様はいろいろです。
アレシュの母の魂も、その一部は幽霊となって、チェコの地に存在しているんじゃないかと思うんです。
占い師さんは言いました。「お母さんの魂が、『アレシュに母親らしいことをしてあげられなかった』と言っています」と。
私がチェコ旅行で訪れたい地は、その母の魂が眠る場所、の候補のひとつなのです。
ちなみにアレシュの魂も、生まれ変わって「研究太郎」になった部分と、チェコの地を彷徨っている部分とに分かれている気がします。
『私に会いに来て下さい』
『私たちを調べてください』
といった不思議なメッセージ(※以前の記事参照)は、魂の片割れが発しているもののような気がしてなりません。
なので、会いに行って統合するざます。
ドラゴンボールのピッコロ大魔王と神様が統合するようなイメージです。
チェコから帰ってきたら、額に触手が生えていることでしょう。
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