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書籍紹介『児童精神科の看護師が伝える 子どもの傷つきやすいこころの守りかた』

『児童精神科の看護師が伝える 子どもの傷つきやすいこころの守りかた(こど看)』という本の紹介です。


まずはこど看さんの紹介を

はい、という訳でこど看さんの本が出ました。これは紹介せずにはいられませんねー。

知らない方もいらっしゃるかと思いますが、精神科認定看護師のこど看さんはX(旧Twitter)上で子どもたちとの関わり方についてなど発信されている方で僕もフォローさせていただいています。

以前にこど看さんのツイートを参考に記事を書かせていただいたこともあります。

そんなこど看さんが、子どもとの関係や接し方に悩んでいる人、自分の子どもが傷ついているのではないかと思っている人、そのほか、子どもとかかわる全ての人に向けて70の「子どもの心を守り、ケアする方法」をまとめたのがこの本です。

読みながらフムフムとうなずくことから、確かにそうだよなぁと納得することまでたくさんの方法が掲載されているのですが、僕自身にとって印象に残ったものをいくつか紹介していきます。

子どもとかかわる合言葉「おすしさいこうかよ」

こちらは以前からよくTwitterで拝見していたものです。

こど看さんが子どもとかかわるときに意識している9つのポイントの頭文字を並べたものです。

お:おびやかさない
す:すぐに助言しない
し:叱責しない
さ:最後まで話を聞く
い:意向を軽視しない
こ:子どもが使う言葉を使う
う:疑わずにいったん信じる
か:感情を否定しない
よ:余計なひとことを言わない

このあとに紹介する方法と重なる部分もたくさんあります…が、「すぐに助言しない」や「余計なひとことを言わない」は、わかっているのですが、ついやってしまって反省することも多く身に沁みます。

突き詰めれば子どもだろうが大人だろうがひとりの人として尊重し、敬意をもって接するのが大事ということなのだと思います。

この後に紹介する内容は、だいたいこの「おすしさいこうかよ」に関係しています笑。

「しょうもない話」は安心感を与えるシャワー

 しょうもない話には、その子のありのままを認めるパワーがあります。ぜひ子どもとはしょうもない話をたくさんしてください。

Chapter1 子どもが「安心感・自己肯定感」を持つためには より

そうなんです!僕もしょうもないことが大好きで、学校の子どもたちやわが子たちにしょうもないことを言って、一緒にふざけたり、ツッコまれたり、生暖かい視線を送られたりしています。

別の記事(コレはけっこうオススメのヤツです)で子どもたちとのそんなゆるーいかかわりについて紹介したことがあります。

ピリッとした空気も必要なのかもしれませんが、その土台となる安心できる、失敗したり間違ったりボケたりしても大丈夫な雰囲気づくりってとーっても大事なんですよ。

子どもへの敬意を失ったらそこで試合終了かも

 私は子どもを支える支援者のひとりとして、そして親のひとりとして、どんなときでも、子どもへの敬意を失ってはいけないと思っています。なぜなら、子どもへの敬意がないと、子どもへのかかわり方が支配的・攻撃的なものになり、子どもとの関係性が崩れる可能性が高くなるからです。

Chapter1 子どもが「安心感・自己肯定感」を持つためには より

子どもに対して「なんでこうしないんだ」「ちゃんと●●しろよ」なんて思いを抱くことがあります。仕事ではほとんど怒ることがないのですが、家に帰りわが子を見ているとそんな気持ちがムクムクと膨らんでくる瞬間があるのです。

叱ってしまって反省することも多々あります。

でも思うんです。僕が叱って無理やりさせることに意味はあるのかなぁ、僕が目の前の子たちにつけて欲しいのは、言われたから我慢してイヤイヤする力じゃなくて、自分で考えて動く力だよなぁって。

子どもだろうが、年下だろうが、部下だろうが、相手は一人の人間です。誰にだって自分のことを自分で決める権利はあります。

相手のやりたいように自由にさせるというのとはまた違います。

相手を自分と同じ一人の人間として尊重した上で関わること。相手の意思や選択を尊重すること。それが関係を築いていく土台になると思うんです。

子どもの話を聞く極意は「子どもの話を聞くこと」

こちらもツイートで拝見して、何度もリツイートした記憶があります。

子どもの話を聞く極意は「子どもの話を聞くこと」…なにをそんな当たり前のことをと思われるかもしれません。

でも、本当に子どもの話を最後まで全力で聞くこと…できていますか?

話を遮っていませんか?片手間に聞いていませんか?考え事していませんか?途中で話の展開を予測していませんか?その話に対してどう返そうかなと考えていませんか?自分の経験談を話そうとしていませんか?コンロのお鍋が気になっていませんか?ヨチヨチ歩きの下の子の行方を目で追っていませんか?

そう、話を聞くことって実は大変なんです。職場の同僚でも、友人でも、自分の話をきちんと聞いてくれる人にはなかなか出会えません。

そして子どもたちは自分の話を聞いてくれる人かどうかを本当によく見ています。

一度子どもたちの話を真剣に最後まで傾聴してみてください。そうするとそれまで勝手に決めつけていて見えていなかった子どもたち自身の目線からの考え方がよくわかります。みなさんと子どもたちとの関係性も変わっていくはずです。

子どもがよく使う言葉は「多義語」かもしれない

こちらは先ほど紹介した記事でも取り上げたものです。こちらのツイートも何度も拝見しました。

教員になってからもう15年。ずっと子どもたちと関わり続けてきました。

「だるい」「めんどい」「うざい」「キモい」「やりたくない」「どっかいけ」「死ね」…いつしかそんな言葉を投げかけられると、怒って反論するのではなく(怒ってしまうこともたまにありますが)、その言葉の背景を考えられるようになってきました。

「負けたくない、負けを認めたくない」「1番以外は嫌だ」「失敗したくない、失敗したってまわりに思われなくない」「どうしたらいいかわからない」「本当は嬉しいんだけどどう伝えたらいいのかわからない」「不安だから八つ当たりしてしまった」「本当は私も輪に入れては欲しい」

そんな表に出てこない子どもたちのきもちに思いをはせることができたら、子どもたちとその言葉の裏にあるきもちを一緒に考えていけたら…子どもたちを見る目や子どもたちへの関わり方が変わっていくと思うのです。

子どもの話を「即メモ」するメリット

 例えば、子どもがあなたにウルトラマンの話をしたとします。最近のウルトラマンは過去のウルトラマンたちの力を結合することができる事実を初めて知ったのであれば、知ったかぶりをせずに、「えっ!? 今のウルトラマンってそんなことになってるの!?」と驚きながら子どもの前で即メモを取ってください。そして、メモに書いたことをその日に調べ、翌日には調べた結果をその子に報告するのです。これが「即メモ&当日調べ&翌日提出」の流れなのですが、この行動によって生じる大きなふたつの効果をご紹介します。
 ひとつは、あなたが子どもから「知ったかぶりをしない大人」と認識されるという効果ですり自分の知らないことを素直に「知らないめと言える大人の存在を感じると、子どもは「この人たぶん敵じゃない」という安心感を得ます。
 そしてもうひとつは、「自分の知っていることを知ろうとする大人」の存在をその子が実感できるという効果です。自分の興味に興味を持とうとする大人の存在は、その子にとって大きな出会いとなります。

Chapter2 「話す」より実は大事な「聞く・見守る」 より

この即メモ作戦とは違いますが、僕は子どもたちが教えてくれたいろんなことについて、即スマホ検索して「コレのこと?」と尋ねるようにしています。勧められたゲームや動画もできるだけやってみるようにしています。

もともとゲームや漫画が好きでマニアック気質な社会科教員なので広く浅いムダ知識が山のようにあります。そこに、電車の車両や地下鉄のメロディ音、昭和のプロレスラー、マインクラフト、アイワナ、マギ、ジョジョ、FFBE、妖怪ウォッチ、東京卍リベンジャーズ、すみっコぐらし、ファイヤーエンブレム、フォートナイト、くにおくん、恐竜、中二病でも恋がしたい!、五等分の花嫁、呪術廻戦、転スラ、プロセカ、レゲエ、TRFダンスエクササイズ、麻雀などなど、子どもたちのお陰ですごーく知識が広がりました笑。それぞれに子どもたち一人ひとりの顔が浮かんできます。

だからでしょうか、お陰様でたくさんの子たちと仲良くなることができました。誰しも自分の好きなものに興味をもってくれる人には好感をもちますし、子どもたちと話すきっかけにもなるんです。

ぜひ子どもの話をきちんと聞いて、子どもの好きなものついて調べて、伝えてみてください。

「子どもの人生の中に自分がいる」と考える

 例えば、子どもが学校で暴力を振るったとします。この状況で、「自分の人生の中に子どもがいる」という意識が強いと、「この子に暴力を振るわせてしまった」と、子どもの行動上の問題を自分自身の問題だと捉えやすくなってしまいます。そうなると「私がこの子をらなんとかしなきゃ」と問題をひとりで抱え込み、子どものことについて誰にもSOSを出せなくなってしまいます。そのような事態にならないためにも、私は「子どもの人生の中に自分がいる」と考えることをおすすめします。
 これは、「子どもの人生だから放っておく」ということではありません。子どもの人生に関心を向けつつ、子どもがどのように育ちたいのかを尊重するということです。

Chapter2 「話す」より実は大事な「聞く・見守る」 より

その子の人生のことを決めて歩いていくのは、あくまでもその子(と保護者)です。僕たちが関わることのできる時間は限られています。

次の叱ることについてで紹介する記事でも言っているのですが、子どもに対する想いは大事なのですが、その想いが強すぎると、「自分の人生の中に子どもがいる」と考えてしまうと、その強すぎる想いが裏返ってしまい、「あんなにしてやったのに、なんでできないんだ」「この子をちゃんとさせるためにもっと厳しくしないと」なんて考えになってしまうかもしれません。そんな人を何人も見てきました。

その子の人生はその子のもの、僕たちは限られた期間その子に関わることしかできないことを受け入れ、その子を尊重して謙虚に関わらないと…そう思います。

「叱ってもあまり意味がない」と私が思っているわけ

叱ることのデメリットについては、僕もいろいろなところでお伝えしているかと思います。記事で紹介した本もいくつかありますね。

 子どもの行動を大人の「叱る」という行動で半ば強制的にへんかさせつづけると、子どもの「させられ感」を育ててしまい、自分の力で自分の行動をコントロールしているという実感が損なわれてしまいます
 そしてもうひとつ気を付けなければいけないことがあります。それは、「叱ることがその子のためになる」と叱る側が思い込んでしまうことです。先ほどの子は、叱ることでスマホをやめて宿題を始めたので、叱った側は「言うことを聞いてくれた」と感じるでしょう。この「言うことを聞いてくれた」という感覚は、「しかると子どもが変わった」という成功体験になり得ます。この成功体験が積み重なると、「叱ることは有効だ」という信念をつよめ、また次も叱るという行動をしたくなります。

Chapter3 子どもとのコミュニケーションをおざなりにしないで より

叱る側にとって、子どもを動かせた経験は蜜の味になり、「子どものために叱る」という不必要な免罪符を抱いたような気になってしまいます。でと叱って言うことを聞かなかったどうするのでしょうか。「子どものため」に、より強く叱責したり、怒鳴ったり、叩いたり、殴ったりするのでしょうか?…叱るはエスカレートしていくのです。

そして僕たちが育てたい子どもの姿を考えましょう。叱られた通りに周りから指示された通りに動く子になって欲しいのか、自分で自分をコントロールできる子になって欲しいのか…。

もしかしたら叱ろうとしている目の前の子どもは、自分で自分をコントロールしようとしている道の途中の姿なのかもしれませんよ。

子どもは「未熟な存在」大人も「未熟な存在」

 支援の現場で、「子どもは未熟」という考えを持ちながら子どもとかかわる方をたまにみるのですが、こういった方は結構な確率で子どもたちから距離を置かれます。なぜなら、「子どもは未熟」という考えは、「子どもは与えられる存在」子どもひとりでは何もできない」のように、「子どもが持つ力や可能性を認めない」という態度につながりやすく、子どもたちはそれを察知するからです。
……
「子どもだけが未熟な存在」という考えでいると、どうしてもその子のできていない部分に目を向けることになりらお互いにその認識がつみかさなると、子どもとのかかわりが指導的・管理的になってしまいがちです。
……
 子どもは与えられる存在でもありますが、誰かに与えることができる存在でもあります。それを私たち大人が忘れてはいけません。

Chapter5 大人のこころだって守らないといけない より

帰っても上着は脱ぎっぱなしでカバンの中の荷物はそのまま、テレビや本に集中してこちらの話を全然聞かない…うちの子どもたちの姿です。

「ちゃんとしてくれよ」そんなきもちが湧いてくる一方で、母親から言われた「あんたの小さい頃そっくりやで」の言葉を思い出して苦笑いします。

「子どもたちの失敗する権利を全部奪ってはいけない」どこかで見かけた言葉を思い出します。今すぐ何もかもができるようになる訳ではありません。まだまだ長い道のりの途中なのです。

そんなことを考えていると娘から「パパ、上着こんなとこに置いたままやで」と注意されます。「ほんまやな、パパもあかんなぁ」と言いながら一緒に片付けます。まだまだ僕も未熟なようです。

そんな日常のひとコマを思い出しました。

まとめ

なんだか本の紹介のような、ただただ僕の個人的な感想を書き殴っただけのような記事になってしまいました。

こど看さん自身が「おわりに」で書かれているのですが、「これを言うだけで子どもがグングン伸びる!」といった魔術的な言葉や、「子どもが必ず言うことを聞いてくれる禁断のコミュニケーション術!」みたいなのは載っていません。

ですが、子どもたちとの関わりの中で欠かせない大切なものがたくさん込められています。

 本書では、子どもを大人の思い通りにするのではなく、ひとりの人間として尊重し、その傷つきやすい心をどうやって守っていけばよいのか。子どもは大人のどんなかかわり方に安心感を覚え、その安心をベースとして自分なりのチャレンジをしていけるのか。私の経験からお伝えでいることをすべて出し尽くしたつもりです。

おわり より 

今日も頭を抱えながら、正解のない子育てに向き合い、泥臭くも一生懸命に子どもを支えている一員として、こど看さんの言葉は自分が大切にしたいとことを再認識させてくれました。

紹介した以外にも日々の子どもたちとのかかわりの中で大切にしたいことがたくさん掲載されています。

子どもにかかわるすべての人におすすめの本です。ぜひ読んでみてください。

著者のこど看さんは、TwitterやYouTubeでも情報を発信されています。そちらもぜひ覗いてみてください。



表紙の画像はAmazon.co.jpより引用した本の表紙です。