見出し画像

「家事分担するには」と言っている時点で、家事分担などできない相手だと気づいた

こんばんは、近藤です。

今回は眼鏡やらアイパッチのお話はちょっとお休みして、#家事分担の気付き キャンペーンに関する話題を。

ワンオペ家事育児に近い状況で病みに病んでいた私が、一定の解決に至るまで。

前回はこちら。

今回もちょっと導入っぽい話です。


武家諸法度は末期だ論


高校生の時、歴史の先生が言っていた。

「武士の精神を唱えたものに『武家諸法度』があると言われているが、あれは実は触れ出された時点では既に武士は無茶苦茶するようになっていて、それを引き締める為に文書化されたものだ」。

方法論で問題を捉えようとする時にはもう末期なのだ、と。

この現象の切り取り方が、妙に気に入り記憶に残っている。

なるほど問題のこじれ方には段階がある。
「ちょっとコツを知れば解決できる程度」なのか、
「ありとあらゆる手段を試したが、それでもどうにもならないので困っている状態」なのか。

「音信不通からの復縁の仕方」で検索している時点で、もう望み薄なのだろう。

同じことが家事分担にもいえると気づいてしまった。


「夫とうまく家事分担をするにはどうしたら?」


これが私の、結婚後5年間の悩みだった。

双方フルタイム、転勤あり、30分以上の通勤時間。
遠方などの理由で、実家からの家事育児の援助は見込めない。

日々の家事と育児の火力は夫と私にかかっている。

…はずなのに、私からすれば、家事8割育児9割を引き受けさせられている状態に感じられて、辛かった。

「女がすればいいでしょ」というモラハラタイプなのではなく、私から見れば夫氏の家事育児のスキルがあまりにもあまりなので、
タスク数としても、難易度("見えない家事"や癇癪への対応など)からしても、夫氏ができない分、結果的に私がやらざるを得ない状況になっているのだ。

(尤も、夫氏本人は「僕だってもっとやってるもん、がんばってるもん」という言い分がある)。 

でも、こちらがやらざるを得ない状況に追い込まれ、日々あり得ないエンジンのぶん回し方をして、身も心も削るうちにパワフルになってしまったのに対し、
夫は今でもマイペースに初心者マークを振り回している気がする。

一緒に子育てしたかったなあ。

矛盾に苦しむ

夫のことは大好きだ。
でも、家事育児8割負担は辛い。

なぜ、解消してくれないのか。
家庭仕事が圧倒的にできない、苦役を強いる相手なんか、愛し続けられない。


何とかして夫にも家事育児の負担をもっと引き受けてほしい。
せめて「いかに奥さんにすごくやってもらっているのか」の意識をすり合わせたい。

そう思い、インターネットやテレビで見るようなありとあらゆる手段を取ってみた。

でも夫の家事育児のレベルも、
私の負担も変わらない。
迫る育休明け。


ところがある日、あることをきっかけで、吹っ切れた!!

そして解決したあとに気がついた。


「家事分担するには」という方法論をこねくり回している時点で、そいつは気持ちよく家事分担などできない相手だ。



結婚約5年目にして気がついた事実。
何言っても通用しない相手はいるのだ。
インターネットなどに書かれている家事育児の分担アイディアを15ほど試したが、全て空回りに終わった。

「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」。

そういうことなのか。
いい大人なので百も承知だけど、でも諦めたら私は家事育児の負担感に倒れてしまいそう。

でもやっぱり変わらないし…。


そして現れる新たな悩み

そんな私は、新しい切り口で悩むことになりました。
「夫は私と同等に家事育児しないし、おそらくする能力もない。そのことを納得するにはどうしたら?」

納得のプロセスが欲しい。
自分を諦める、我慢する、に終わらない、いい納得のプロセスを。

そう考え、結局悟りを得るのはもう少し先の話です。






#家事分担の気づき