「おれ、将来すごいことがしたいんです!」

「日本一周する予定なんですよ!」

居酒屋に着くやいなや久しぶりに会った地元の後輩に突然言われた。

この後輩とは学生時代に部活が同じだっただけであまり話した記憶はない。「遠足のおやつは300円まで」を大人がやったら異常に盛り上がる!という僕が書いた記事をたまたまネットで読み、さらに僕が過去にママチャリで日本一周をしたことがあると知って声をかけてきたのだった。

その席で日本一周に着いての持ち物やルート、過酷さなど様々なことを聞かれた。話を聞いていくうちに後輩は「日本一周がしたい」というよりも「将来は大きなことがしたい」という希望を持っていることに気づいた。

「俺、日本一周するときに動画配信とかしようかと!Youtubeに上げたら人気出ると思うんですよ!」

「やっぱり一つの会社で働いているって自分には向いてないと思うんですよ」

「Youtuberってもっとこれから来ると思うんですよ!」

僕はこれらを聞いたときに初めは「大きいことを言っているな〜w」と思ってただただ笑って聞いていた。ただ後輩の将来に対する希望を聞いているうちに、だんだんと「おいおい!そりゃ将来に期待持ちすぎじゃないか?」と口からこぼれそうになってきていた。

「将来にそんなに希望持っても思い通りにならないよ」

という言葉が頭をよぎったときに、急に我に返ってハッとする思いがあった。たしかに後輩の言っていることは荒唐無稽かもしれないが、僕のこの「頭ごなしに否定したくなる気持ち」「若者の意見に口を出したくなる」というのは、自分自身がもっともなりたくなかった老害と呼ばれる人たちじゃないだろうか。

若い人が語るめちゃくちゃな理想に対して否定するという行為は、可能性を潰しているだけなのではないだろうか。

自分の人生を変えるのは自分だけである。人に四の五の言われることではない。人生を変えるのは自分だけであるが、他人に夢や人生を壊されることは大いにある。誰かの理想を潰すような人に自分がなってはだめなのだ。

理想を語る後輩を前にしてそんなことを考えていたが、そうなってくると会話する内容が難しくなってくる。相手の気分を害せずにアドバイスをしなければならないと考えると言葉に詰まってしまう。

僕は人数の少ないベンチャーで働いてるため、直系の社会人の後輩というものができたことがない。こういった「誰かの将来を変えるかもしれない責任を負う」ということについて真面目に考えたことがなかったのだ。

自分自身の何気ない一言で誰かの将来が変わってしまうというのは怖いことだなと初めて気づいた。今の会社の尊敬する先輩もこういった責任感という重みを背負っているのだと知ることができた。

そう考えると僕は人生に置いて何も覚悟や努力をしていないと感じた。

僕は年齢的には若輩者の部類かもしれないが、責任を持つという覚悟を経験しなければいけないのかもしれない。誰かの将来を左右すると言うと大げさかもしれないが、自分以外の他人のことを考えて行動する時間を増やすべきなのだ。

後輩と飲みに行ったことにより、自分の中で新しいことに気づくことができてよかった。1対1で話してみると今までに自分にはなかった考えになっていくものだ。

ただ、その後輩には結局たいしたアドバイス出来ないまま終わってしまったのが唯一の心残りである。

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