私は運が良い、だって生きてるから

昔から、私は超人的に運が良い。

運だけで30年以上生きてきた。そこに私の努力や苦労はない。オケラだってミミズだってアメンボだってもっと努力しているに違いない。

私の運の良さは「宝くじ当たった!」などのわかりやすいものではないが、人生という宝くじで大当たりを引き続けている。

例えば、「1ヶ月前から勉強を始めて大学に受かる」だったり、「ニートだった状態からなんとなくIT企業に面接に行ったら受かる」だったり、「後輩のライブに行って文章化したら、ブログで賞をもらってライターの仕事がもらえるようになった」だったりとか。

人生の節目節目の大事な部分で強運を発揮し続けている。ちなみに謙遜ではなく、私は本当に努力というものができないクソ野郎である。運だけで33歳になることができた。

そんな神に愛された私が、この3連休で広島出張に行くことがあった。そのときの強運について話したい。

〜〜〜〜〜

出張の仕事を終え、上司と飲んだあとに1人でバーに行った。後で調べてみたら、どちらの店も高評価で地元に愛されるような名店だった。

さすが私である。適当に入った店にも関わらず、当たりを引き当ててしまう。豪運の持ち主。

バーを後にした私は友人宅に泊まりに行くために、タクシーに飛び乗った。60近くであろう初老のタクシー運転手に住所を伝えると、「ああ、そのあたりね。了解」と一言ポツリとこぼしカーナビの設定もせずに走り出した。

さすが私である。地元を良く知るタクシー運転手を引き当てることができた。完璧な旅である。

安心してタクシーのふかふかなシートに身を任せ、「ああ、今日も良い一日だった」と浸りながら窓の外を眺めていた。

しかし、すぐに車が妙な動きをしていることに気がついた。

なにやら車が左右に揺れているし、まっすぐ走っているだけなのにブレーキをときどき踏んでいるようなガクガクした動きになっている。

なんだろう?と思って、前方を見てみると運転をしながらカーナビを操作していたのだ。伝えた住所をボソボソと口ずさみながら、必死にカーナビをいじっている。カーナビに夢中になって前方を見ていないため、蛇行しながら車は前に進んでいくのだ。

怖すぎる。なぜ止まってカーナビを操作しないんだろうか。頼むから一旦落ち着いてくれ。

私が、「大丈夫ですか?住所は〇〇ですよ?」と伝えても、運転手は「大丈夫です、了解」としか言わない。大丈夫と了解の意味を辞書で引いて欲しい。

その後もゆらゆらと揺れながらタクシーは進む。お酒を飲んでいたので、気持ちが悪くなってきた。

「この運転手はヤバい」と私の全細胞が叫びだしたときに、タクシーは速度を落として止まった。どうやらようやく車を止めてカーナビを操作するらしい。

ふぅ、と一瞬だけ私は安堵したが、窓の外を見て驚愕した。車が止まっているのは交差点のど真ん中だったのだ。

深夜だったので他の車の気配はないが、道路の中央に鎮座している。ディズニーランドのパレードのミッキーが止まる位置だ。悲しいことに私の人生で初めて主役の立ち位置になれたのがこの瞬間である。

やばいやばいやばい。私が焦っていても、パレードの大元締めであるウォルトディズニーことタクシー運転手は相変わらず住所をつぶやきながらカーナビと格闘していた。

私は冷や汗をかきながら、「大丈夫ですか?住所は〇〇です」と何度も伝えたが、運転手からの返答はもちろんのこと「大丈夫です、了解」である。ダメだ、同じ言葉しか言わない。もしかして九官鳥?

あと、ずっっっっっっっっっっっと気になってはいたのが、社内のラジオからあえぎ声がたまに聞こえてくる。マジでなんなんだ、こいつ。ぶっきらぼうだし、エロいし、中2かよ。

私は恐怖と怒りの狭間の感情で揺れながら、「とりあえず走ってください」と語気を強めて口にした。運転手は反省の様子もなく、返答は「了解」である。返答が一種類しかない。ドラクエの村人かな?

ようやく魔の交差点パレードから抜け出したが、カーナビが設定されている様子はない。船は羅針盤がないまま大海原を走り続ける。ヨーソロー!

友人からDMで、「〇〇って建物を伝えれば必ず通じるよ」と連絡が来たので伝えてみたが、当然のごとく「了解」しか返ってこない。

方角が合っているのかどうかわからない闇夜をタクシーは走り続ける。宇宙船に乗っているみたいだなぁ、とぼんやりと現実逃避をした。

宇宙船の船長である運転手はカーナビが設定できなかったため、赤信号で止まるたびにスマホの地図アプリを取り出して位置を確認している。

もうだめだこれ。この九官鳥であり、ドラクエの村人であり、AIに頼っていたら一生たどり着かない。

私はついに堪忍袋の尾が切れて、スマホの地図アプリを見ながら、「もういいです。今から私の指示にすべて従ってください。次は右です」と指示を出すことにした。知らない土地で指示を出すのは怖いが、自分がカーナビになるしかない。

私の前方からは当たり前のように「了解」の声が飛んできた。やかましいわ。ぶん殴るぞ。

私の指示で走ること10分、ようやく目的地に辿り着いた。こんなに怖いタクシー体験は初めてだった。

タクシーの運転手は悪びれる様子はない。謝りもせずに金額だけを伝えてきた。感情がないのだろうか。もはや怒りを通り越して呆れてきた。

私はトレイにお金を投げ捨てて、運転手に向かって静かに「カーナビを入力するときは車を止めてください。客から住所をちゃんと聞いてから走りだしてください」と短く怒りを伝えた。運転手からの「了解」の声が聞こえる前に、私は素早く車内から抜け出した。もう二度とあんなやつに了解されたくない。

コンクリートの硬い地に足が着いたとき、安堵とともに気持ち悪さが襲ってきた。そして私は小ゲロを吐いてしまった。乗っているときは怒りと恐怖で気持ち悪さが緩んでいたが、荒い運転で酔いが回ってしまっていたのだ。

持っていた水で吐瀉物を排水溝に流していると、一緒に涙も流れてきた。

ああ、生きててよかった。私は生きているのだ。

〜〜〜

私は神に選ばれたように運が良い。

たしかに今回に限っては運の悪いタクシー運転手に当たってしまったかもしれない。しかし、こうやって事実として私は生きている。生きてこの文章が書けていることこそが最大の幸運ではないだろうか。

そして、こういった不運を文章にして消化することができるのである。ライターになっていなかったら、ただの不運な出来事だったであろう。ライターになれたときの運がまた私を救ってくれたのだ。なんて運がいいんだろうか。

また、私がIT企業では働くことがなかったら、noteで文章を公開することがなかったかもしれない。ああ、なんて豪運なんだろうか。

ああ、私は恵まれている!!!

私は幸運なのである!!!!!!

という文章を書いていて思ったのだが、私が1番幸運だったのは、どんなに運が悪いことが起きても、「幸運だ!」と思えるような脳みそを授かったことなのかもしれない。

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