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まだ意気地なしを続けている

はじめまして。
まずはここでは私のことは「めぐみんと」と名乗ることにしました。わかりやすいですね、こんな名前にしたので本名バレしてますが、スルーしてください。恥ずかしながら、わたしは結構いい歳です。こんなところかな。歳を重ねた割に中身はペラッペラです。なので自己紹介が終わりに近づいてます。あとは〜、……。ま、追い追いで(笑) ←近頃は「w」で済ませてて手帳にも書くくらい日常的なのに、自分でもびっくりするくらい自然に、そして久しぶりに「かっこ笑」出てきました。多分、文章を書こうという脳みそに一瞬でなったのかしら。なんか凄い効果です。でも〜、この(笑)は気持ち的に(照笑)です。始めるにあたり、まだ恥ずかしさがあります。仕方ないか…  

さて、遅くなりました。長続きさせたいなと思ってます。いらしてくれた皆さん、どうぞ宜しくお願いします。


ふぅ。書き出しが思い浮かばないままどんどん続けてますが、タイトルを見て覗きにきてくださった方が殆どかと思います。「意気地なし」なかなか使いづらい言葉ですよね。他人にも自分にも。だけどわたしは自分に平気で使います。だって、わたしは意気地なし、そのものなのです。大人になってから特に自分のことをそういう言葉で括ってます。今日もそう、わたしは意気地なしなわたし自身をを呪うのです。

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以前から生協の宅配サービスの配送の方に

生協さん「今度何か作って食べさせてくださいよー。パンとかぁお菓子とかぁ。」

わたし「人が作った食べ物とか嫌じゃないんですか?」

生協さん「平気っすよ、ガンガンいけます。むしろ好きっすよ、手作り」

わたし「なら今度何か作る機会あったら食べてくださいね。」

こんな会話を数回やりとりしたことがあり、お互いが社交辞令なんだという、実に、時の流れに流されるべき大人な会話だと思っていた。そう思いたかった。向こうは、食べたいぞというアピールをする事でわたしを気持ちよくさせてくれる。わたしの方は貴女の為に作ってあげたいというアピールをすることで下手に回ってみる。そこで均衡が保たれていた。わたしはそう思い込んでいた。でもわたしの想像する彼女の裏は、本当は食べたくないけど、お客さんだから持ち上げとかないと。わたしの本当の裏は、生協さん味の嗜好もわからないから、自信がないからあんな風に作るって言ったけど、実際本当は作るの怖いな。———真実が何かもわからないまま、そんなありもしない妄想や勝手な人物像を仕立て上げて山程仕様もないチャート組み立ててyes/noで答え作って行ったり来たりして。わたしは、この何週間もの日々を小麦粉の瓶の蓋を引き抜く度、生協さんとのやりとりが頭をかすめて良くない緊張を繰り返す。

だけど、今朝の私はいつもと違った考えを持った。本当は作って欲しいんじゃないか? 生協さんにまたも良くない人物像を仮としてあてがってみた「コイツの手作り試しに食ってみて、自分より下手なやつだったらアタシ自信ついちゃうかもぉ!」みたいな感じだったとしても「食べてみる」につながるんじゃないか? 別に「味わいたい」じゃなくて、そういう動機の「食べてみたい」だってあるんじゃないか? じゃ、作ったっていいんじゃないかな?  ソワソワと震えの区別がつかない。動悸がする。なんか掌が熱くなる。時間が気になっていた。

「今日は生協さんがくる」

その考えに押されるかの様にわたしの緊張した体がオイルの差されていないロボットの様にギシギシ音を立ててパンを作っている。動悸で息の上がっているロボットは顔まで高揚し、まるで生きている様だ。本当は作りたかったんだ。家族にはもちろん毎日食事は用意しているけれど、そうじゃなくて、誰かに腕を奮ってみたかったんだ。もしかして、リアルな「いいね」が貰えるんじゃないかと言う少しの欲も湧き上がってきたんだ。ロボットが欲に任せた考えを持ちはじめてまもなくパンは焼けた。練乳クリームを包んだクリームパン。表面には薄っすら化粧粉を振って見た目もかわいい白パンに仕上げてみた。なかなか。見た目も悪くない。———生協さんが来るまで30分。興奮したロボットはあれこれ考え始めた。ほぼ焼き立てだから美味しいかも。その場で食べてもらったほうがいいかな、クリーム熱いから大変かも、それともお昼にどうぞとか言ったほうがいいかなぁ。でも可愛い袋がこれしかないけど、袋の大きさ変じゃないかな? 蓋閉めたらまだあったかいし汗掻いちゃってベタつくかな。それが冷めたらかたくなっちゃうかな。そもそも乳製品大丈夫かな? 牛乳は好き嫌いあるし。甘さこんなんでいいのかな… 薄味かもしれない… この袋で中身釣り合わないんじゃないか? そもそも本当に食べたいのかよ!?    もう来ちゃうよ… どうしよう、どうして、どうしちゃったの? 助けて!わたしがわたしに戻っちゃう!!

終に人間からロボットになったわたしは、結局もとの「わたし」に戻ってしまったのです。興奮して震えていただけのロボットのわたしはなんて幸せだったのでしょうか。 考えを持ちそれを改めて組み直し、力に変えたはずなのに、また新たな考えに押し潰され自信を失って自分を削って小さくなっていく。わたしはこれの繰り返し。

意気地なし

自分に自信がないから意気地なしなんじゃないんだよね。否、それもあるんだけれど、如何にもだし、わたしには綺麗すぎる。自分がどう見られてたら満足するんだい? リアルな自分と理想の自分がかけ離れているからなのかな、意気地なしの原因は。わたしどんだけ凄い奴になりたいのかな?見栄っ張りなんだ。おっと。Aと言う意気地なしの話をしてたのに、急に新しいBの見栄っ張りまで出してきたら、話がごちゃつくじゃないか(今回はBの要素も踏まえつつ、Bはまた別の機会で。失礼しました)。良く思われたいというか、良く見せたいが合ってるのかな。かっこつけて、なんでも出来たくて、出来ない自分を隠したくて、でも好きな事だからやって見せたくて。でもそんな自信がなくて。

悲しいな。わたしは何に囚われているんだろう。何をしたいんだろう。考えてばかりいるからまた涙が出ない。悲しいのに。否、残念なんだ、せっかく作ったパンだけど渡さないことを決断した。

生協さんはいつもの様に明るい声で入ってきてお喋りをガンガンぶちかましてアゲアゲな感じで帰っていった。これで生協さんの雰囲気は伝わったと思う。気さくないい人です。なのに、わたしはその生協さんに嫌な性格などを当てがって、わたしをいじめる、上から目線の嫌な奴を脳内で演じさせて、勝手に自信を奪われて泣くことも出来ないとほざく。


なんて意気地なしなんだ。自分を変えることもできない。勝手に考えてばかりで、かっこつけて見た目や評価が気になって、大したこともやってないのにジトッとした目で他人のいいねを待ってる自分がもうウンザリ。そんなわたしじゃ いいね の付け所なんてある訳がないじゃないか。ロボットだったわたしが、否、体じゅうをガタガタ震わせて熱くなっていたロボットになりきれなかったわたしが、まだ意気地なしの心を持っていたから、いいね を期待してしまった結果なんだ。

改善策もなく、まだまだ続く意気地なしロードだけれど、わたしが自信を手に入れるのは困難極まりないけれど、また突然いい考えを生み出し(今回は確かネガティヴ寄りだった気もするけれど)熱い体を持ったロボットになって余計な事は考えず力いっぱい動いて体じゅうで泣いて。さっきみたいな幸せな時間の中で過ごしたい。

と、またアレコレと考えながらパン頬張り「もっと美味しくできるはず。工夫して美味しく食べてもらえる様に頑張ろう。」と、文章をポジティヴに終わるのが一歩前進する練習。

実際は「意気地なしgoes on」落ち込みながら、渡しそこなって冷えたパンを齧って見つめる窓の外。台風が来るのか。





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