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はじめての気持ちを振り返る

私が初めて生で角野さんの演奏を聴いたのは2022年1月。全国ツアーの岡山公演だった。

ツアーの日程が発表されて「大阪は絶対あるよね?大阪ならなんとかして…なんとかして行きたい」と、、、詳細を見た。

「え、、、お かやま…がある…………」

なんてこと。。
岡山があるじゃない!
まさかまさか。
神様ありがとう!
角野さんありがとう!!!

私の周りではコロナの規制がまだまだ厳しくて、大阪でさえ出かけるはものすごく難しかった。その中で岡山開催があるというのは私にとってはありがたくてありがたくてたまらない事実だった。
しかしそれでも2000人規模のコンサート会場に行くということは人には言えないと思った。
でも世の中は動き出しているのだと、いかようにも心の中で言い訳してやる。
やっと角野さんに会えるかもしれないのだ。
凄くドキドキしながらFC8810先行抽選に申し込んだ。

もともとコロナ禍とか関係なく、私は数ヶ月も先に楽しい予定を立てるのが凄く苦手だった。
今を自由に生きたいから??
違う。そんなカッコイイ理由では無い。
いつ何が起きて、その楽しい予定を諦めなくてはならなくなるか…それを不安に思いながら暮らさなくてはならないのが苦しいからだ。

チケットは当選した。
初めてコンビニ発券というものをした。
そのチケットには、位置としてはすみっこの席でありながらも「3列」という文字が光っていた。
息を呑んだ。もう引き返せない。
怖くて震えた。

角野さんの生演奏を聴くという大イベントの予定を持って日々を送るというのは、私にとってはなかなかなプレッシャーだった。
季節はちょうど寒い時期に向かっていた。
少しも体調を崩してはいけない。
どうにもならない予定も入ってはならない。
私の周りの人にも何かあってもいけない。
どうか身動き取れないような大雪が降りませんように。
どうか無事に生きていられますように。

ひと月ひと月と経ち、楽しみでわくわくしてくればいいものの私にはその仕方がわからない。どんどん毎日、胃の痛さは増していく。

そしてついにその日を迎えた。
前夜からソワソワして落ち着かずフワフワしていた。無事に行けたこと、まず何よりホッとした。
一ヶ月ほど前にワンピースを新調して、数日前には美容室にも行って…。ネイルもして。
至近距離で会えるわけでもないのに馬鹿みたいだけど…だって私にとっては大イベントだったから。

ステージの上は別世界のように明るくてキラキラ輝いていて、近くで眺めているのにリアルな感じがしなくて夢のようだった。
でも忙しくあれこれと活躍される様子を日々追いかけながらも、いつも「小さな画面の中の人」だった隼斗さんがすぐそこでピアノを奏でているんだ。目の前で歩いている、喋っている、笑っている。本当に現実なんだと思うと眩暈がしそうだった。

最後の最後はスタンディングオベーションでバイバイをして、とてもとても幸せだったけど、終わってしまったら本当に寂しくて、ステージにポツンと残るグランドピアノをしばらくぼんやりと眺めていた。

なんて贅沢な時間だっただろう。幸せだった。
でも隼斗さんはどんな思いでおられたのだろう。同じように幸せをたくさん感じてくださっただろうか。
Youtubeライブのようにその場でわからないのが不安でもあった。

その夜は帰っても何度も演奏や演出を思い出し、そしてまた次にコンサートに行ける日のことを想像し、眠ることができなかった。
前夜も興奮して眠れなかったのだから、およそ2晩眠れなかったのだ。

そして私はその後、高熱を出す。
ぼんやりと夢に浮かされたような感じであれは確かに現実だったはずだけど、自信がなくなりそうな感覚だった。
でも胸の奥底に確かに残るものがあった。それを受け取るために私は行ったのだと思った。

それが私の初めての角野隼斗さんの生体験でした。

あれから何度、彼のコンサートに出かけたでしょうか。聴くほどに、より心は欲して可能な限り追いたいと思ってしまう。
彼がNYに新しく拠点を置き、活動の場を完全に世界に広げられたことや、とんでもない人気でチケットが容易には取れなくなってきていること、自分自身の生きる環境なども少しずつ変化していく中で「推しは推せる時に推せ」の気持ちも強まって、最近ではどこまでで折り合いをつけるかで悩ましい日々を送っています。

けれどチケットを手にできることに感謝し、無事にコンサート会場に伺えることは奇跡だと思い、決して背伸びしすぎず、一回一回を大切に大切に迎えたいと心から思う。

初めて生演奏を聴いた日のことを振り返ると、ひとつ公演に行くことが本当にもの凄く大変なことで、特別すぎるほど特別なことなのだという事を改めて思い出させてくれます。

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