9ヶ月が経ってしまった。。。

9ヶ月…このnoteに登録してからのこと。

でも全く記事を書いていなかったわけではなくて…

この9ヶ月の間に2回も海外おひとりさま旅もしたし、

4カ国も旅したのに、

その旅の話を自分が楽しむために綴っていこうと思っていてネタも豊富にあるのに、

ちっとも気分が乗らなかった。


だけどせっかく行ってきたし、初の“国またぎ“や、一つの国を3都市回ってきたりもして、


長篇の旅話を書いたのですけど、


全部消した。


書いてみても、読んでみても、何にも面白くなかった。

ただ苦痛だった。



とにかく、仕事に忙殺されて、仕事の合間に書くことが、とにかく苦痛で

感情が「無」になっていった。


とにかく、何にもしたくない。気づけば舌打ちばかりしていた。




ある日、
朝方みた夢で、

「予約しているものなんですけど、お店が空いていないんですが…」



心臓が止まるかと思った。

勢いよく起きた。

もう地獄だった。

しかもその日は休みの日だった。

今でもそのことは忘れられない。

ほとんどトラウマレベル。


そんな夢をみてしまってからは


夜寝るのも怖くなっていった。それが今年の3月頃の話。


そして5月、目眩でぶっ倒れた。初めてのことだった。

マーライオンの如くに吐いた。6回も勢いよく吐いた。

意外と食べた物って消化されていないもんだなと思った。

これもまた休日の日だった。


最悪でしかない。


4月には謎の熱に見舞われて、無理矢理に熱を下げて仕事に行く数日間。



私は何をやっているのか。


美容師の世界に入ってからは、クソみたいな理不尽なパワハラにもいじめにも耐えるの

が当たり前の中、修行中のモチベは休みの前に集まって安い居酒屋で仲間と上司の悪口

そこから数年を経て、

夢で実現した個人授業主。ひとり親方。ストレスのない環境での職場なのだが…


私は雇われの時は、いかにサボって、楽して給料をもらうか。

仕事の手が空けば、タバコ、しまいには昼寝。

もう、どうしようもないのだが、本人は楽しくしていた。

しかし今はどうだろう。。。


人生の中で一番働いていて、月にたった4回の休み、朝から晩まで愛想笑い、相槌、

同じ意見じゃないけど、接客とはいかに聞き上手に長けて、気持ちよくなってもらい、


保守的にさせられて選挙の勧誘に遭い、同調圧力に沿うように生かされ、

勝手に真面目なレッテルを貼られ、品行方正の人物に勝手に作り上げられる。

田舎の地域密着型、少しの無理を言っても快く受けてくれる優しい独身美容師さん。


ストレスでしかない。気持ちが悪くなる。



私は何をやっているのか。


もう何にも楽しくない。会話をしなきゃならないのかと思うと、

初めて、仕事行きたくない。と思ったのは6月のこと。

自分の店をオープンして7年目で初めて芽生えた負の感情。

吐きそう。

小学校の時に急にクラスメイトから無視された時を思い出した。

自分の城を築くのに、内装の構想3年。

壁紙なんかわざわざロンドンとフランスから取り寄せた。

届くのに3ヶ月も掛かった拘りすぎたお気に入りの壁紙。

ゲストが喜ぶようにとかそんなんじゃない。

私が一番店に居ることが多いんだから、

とにかく私が一番居心地の良い空間に身を置きたい重視でできた美容室。


これで、自分の夢は実現できた。最高。

あとは軌道に乗って、忙しくなって、時々海外に遊びに行っちゃって、

目標売り上げも達成させて、借金も払い終わっていけば

良い感じの人生なんじゃないの?


確かに。それが本当に理想的だと思う。


しかし、


あのサボっていた、給料泥棒の私はどこへ行ってしまったのか…


現実的に7年で借金返済できた。目標としていた売り上げも3回達成してしまった。

広告も出していないが、予約は月の初めにはほとんど埋まっている。

それに加え、10年近く東京にも1週間毎月顧客のために出張へ行っていた。

限られた時間の中で3日で20万円稼いでいた。






このまま生きていて楽しいか?

もう一人の私が労働というものに忙殺されて、感情が無くなってきた私に問いかける。


死んでみてももう良いのかもな。今までにやったことないことしてみたいし。



寝れなくなると、人間は本当に碌なことを考えなくなる。

それに加え2020年から始まった伝染病のこともあり、

私も生きがいだった海外旅行の楽しみをいきなり絶たれ、

先の見えない辛い日々の中、なぜか私がゲストに鼓舞し、

元気を与え、たくさん笑わせてあげて、馬鹿なふりをし、

限られた中で私なりに出かけてみては何かネタを探して、

面白おかしく話をしてみれば、中には、コロナを疑ってくる者もいたり。


馬鹿らしい。


今年の1月は、我慢の限界が来て、逃げたくて、11日間、マレーシアへ行ってきた。

私は仕事を休むことが怖かったから、未接種で、PCR検査を現地の病院で受けなければならない。


クソめんどくさいことをよくやったなと今は思うけど、

なぜかもう殆ど記憶がない。自分の中で難問の課題を与えたくなっていたのか?

何となく感情が朦朧としていたのかもしれない。

3年半ぶりの海外は、旅の感覚も全くないし、

勘が働かないから、行きたいところにも中々辿り着かない。


ただ、初日のペナン島の夕陽を眺めていた時、

自分でも引くくらい泣いた。


嗚咽が止まらないほど泣いた。


自分で自制できないほど、泣きまくった。


気持ち悪くなるくらい泣いて、気持ち悪くなるくらいビールを飲んだ。


何だったのか…正直今でもよく分からない出来事だったが、

それを明確にしたところで何なんだ。と思うし、

ただただブサイク極まりない顔で泣いている自分を想像しては、

たまに思い出しては恥ずかしくなったりもしている。

そんなことがあって浄化されたのかなと思ったが、結局その後ぶっ倒れたわけだから、

相当身も心も末期だったのだろう。

そんな上半期を過ぎようとしていた頃、

何かに導かれるように、



私は思い切ってセミリタイアをすることに決めた。




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