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今を、この瞬間を。生きる。

はじめての出会いは、大学の英語の授業だったと記憶している。
大学生らしく明るくコロコロ笑う女の子。

人懐っこい笑顔に気を許してしまって。
最初に話した時には、すでに「りんごちゃん」というあだ名を呼んでいたと思う。

でも、その無邪気な眩しい存在故に。
斜に構えていたわたしからは遠い存在だった。

あれから、10年以上の時間が経った。
大学時代の自分に、
「10年後、まだ自分とりんごちゃんの付き合いが続いているよ。」と教えてやることができたら。
きっと、自分は驚いたに違いない。
それくらい、遠くに感じる人だった。

明るくコロコロ笑う所は今も変わらない。
でも、なぜだろう10年という長いのか短いのかよく分からない年月を経て、彼女は確実に変わった気がする。

そんな彼女、あんどうともみさんをもっと知りたくて。megumiの眼鏡👓、2本目はじめます。

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10年を経て、一番変わったことは。
彼女が纏う空気感だと思う。

明るくて無邪気。
その言葉は、彼女を形容するには、もう違和感がある。でもそれは、もしかすると本来の彼女らしさを取り戻しただけなのかもしれない。

今。
近付きたくて、なんだか近づけないような不思議な魅力がある彼女。
でも、そこに壁があるわけではない。

知っても、知っても。
彼女が新しく更新されていくから。
日々新しくなっていく彼女から目が離せない。

例えるなら、「流」の人。
毎日、毎秒、新しい水がそこにはあって、とどまることがない。

変化を恐れない。
導かれるように、流れるように生きている人。
それが、今のりんごちゃんのイメージ。

その都度、その都度。
人は人生を選ぶ分かれ道になっていて。
例えば、お昼に塩サバ定食にするか、しょうが焼き定食にするか、なんていう小さな選択から。
「To be, or not to be.」なんていう、壮大な選択もある。
そんな、壮大なお話はおいておいたとしても。

彼女の選択は初めからその答えが決まっていたかのように自然だ。
実際は、死ぬほど悩んだり考えたり、時には自分の直感をフル稼働だったとしても…。

今回、彼女と話していて気付いたことがある。

彼女は、日付をすごく大切にしている。
何かが、起こったことを説明するときに。

「○月○日に、○○っていうことがあって。」
と、いうことが何度かあった。
流れるような毎日の中で、それでも大切な思い出や忘れてはいけないことを、まるで杭を打つように印をつけている。
「体験したこと」をとても大切にしているのだ。

その証拠に。

「どういうことを自分に体験させてあげよっかなっていつも思ってる。」と、言っていた。

もしかすると、この気持ちが、滞ることない新しい水をたたえている秘訣なのかなと思った。

偶然か、必然か。
起こったことに感謝しながら。
彼女は、いつも今を、この瞬間を生きてる。

最後に聞いてみた。

どんな大人になりたい?

「えーーー?」
彼女が困ったように笑う。
「そんなん、最近考えたことないわぁ(笑)」
と、前置きして。

どんな大人になりたいか、昔思っていたなりたい自分はもぅ忘れてしまったけれど。

そして、今も考えることないけれど。

選択肢が一杯ある人。
自分が、おばあちゃんになった時に。
長生きするって面白い。
生きるって面白いって孫とか、子供に思ってもらえる大人になりたいな。

確信した。

彼女は、いい意味で過去のことは見ていないし。
そして、未来も見ていない。

自分が面白いと思うこと、わくわくすることを探して、どこまでも淀みなく流れていく。
彼女は、今を生きてる。

選んだ道が正解か不正解かなんて、きっと誰にも分からないけれど。

次に、自分にどんな経験をさせてあげようかと思い選ぶことは、ひとつ大きなファクターになる。

だって、それって自分ファーストだ。

あまりにも、たくさんの情報が溢れていて。
みんな口々に、よりよい生き方を解くけれど。
誰に言われて生きることも、ないし。
誰に決められなくたっていい。
世間体や、人の目だって、気にしなくていい。

自分ファースト。
感じるままに、「自分に体験させてあげたいこと」を選択していけばいい。

りんごちゃんの生き方は、「なければならない」でガチガチになった人の背中をそっと押してくれる。

美味しそうなものを、目の前にした彼女。
「今を楽しむ」笑顔がとても印象的。

今を、この瞬間を。生きる。
人生を楽しめ!!

これからも、どこに流れるか分からない。
その流れから目が離せない。離したくない。

『今の』あんどうともみさんは、そんな人でした。

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