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「大丈夫?」なんて、欲しくない

「あいつ、キレたら、フライパン投げてくるからさ」
「昨日もあいつ酔っ払ってぶっ倒れたよ」

全部、笑い話。

思春期の頃、友だちの少しいびつな家族の話を、いつも笑いながら聞いていた。

「大丈夫?」が欲しいんじゃない、ただ笑ってほしいんだ、と感覚的に気づいていたからだ。


「笑い」とは、最大の受容である。

思春期の時から、本能的に思ってきたことが、本当のことだった。

映画「さとにきたらええやん」を見て、そう実感した。


誰ひとり排除しない居場所

映画の舞台は、日雇い労働の街・大阪釜ヶ崎。

「さとにきたらええやん」は、こどもの里(通称・さと)という居場所に集う子どもたちとその家族の姿を収めたドキュメンタリー映画だ。

子どもたちにとって、「さと」は遊び場でもあり、第2の家でもある。集う子どもの中には、生きづらさを抱えている子どもも多い。

「さと」では、複数の職員が24時間体制で子どもたちを見守る。

その関わりは自然で、親を含めて、誰ひとり排除しない。その姿は、大きな家族のようにも見える。


「笑う」ことが生み出す安心感

職員は、とにかくまっすぐ子どもと向き合う。時には強烈な言葉を使って。

多くの大人が、「真剣に聞いてあげなきゃ」と肩肘張ってしまいそうな場面で、笑う。ふっと子どもたちの肩の力が抜けるのを感じる。

笑ってごまかしながらじゃないと、本音を語れない時もある。

生きるために誰かの顔色を伺ってきた子どもであれば、なおさらだ。

勇気を出して心を開いた時、気まずそうな顔なんてされたら。それ以上、何も語れない。

笑ってもらえると、「この人には話して大丈夫だ」という安心感が芽生える。

怒っている気持ち、哀しい気持ち。それらに寄り添うことだけが共感じゃない。


子どもたちが本当に欲しかったもの

深刻な話の時に笑えるのは、信頼関係あってこそだ。

「大丈夫?」「どうしたの?」は誰にでも言える。

そうやって声をかけてくれる人が、必ずしも、ずっとそばにいてくれるわけじゃない。子どもたちは、そう気づいていたのかもしれない。

大切なのは、言葉だけではなく、行動の積み重ね。

それが、スクリーンを通して、「さと」から学んだことだ。

この人は、ずっとそばにいてくれる。自分を見放さない。そう実感した時に、居場所を見出だせる。

子どもたちが一番ほしいのは、「あなたは、ここに居てもいいよ」という承認なのではないか。

「助けて」と声をあげられるようになるのは、相手にまるっと承認されていると実感できてからなのかもしれない。

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