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ドキュメンタリーに生きたい

社会福祉士の勉強を始めたり、こども宅食という新しい取り組みに加わったり。2017年は自分が広がった年だった。
 
時代に逆行してる感があるけど、2018年は深める年にしたい。もっとリアルに触れて、掘り下げていきたい。
 
でも、それは、社会というより、自分へのアンチテーゼだと思う。

いつも早く何かを手に入れたくなって、見えない誰かに追われている自分自身への。

1)そばにいる人を深める


スピードや意外性があるものばかり求められるけれど、ちゃんと光を当てないと見つからない、一見「ふつう」に見えるものの尊さを追っていきたい。
 
何か大きなことを成し遂げた、誰もがすごいと認める人じゃなくて、自分の周りにいる人の言葉に耳を傾ける。
 
身近な人たちが何かと対峙した話や、痛みと共に生きている話を聞いてまわりたい。あとは、まちで活躍している人の元を巡って、その人が使う言語を知りたい。 


2)関係性を深める


去年は人と一緒に仕事をするという経験をした年。
 
もともと閉じて生きているタイプだったけれど、人と仕事をすることを通じて、何かを成し遂げるにはひとりではだめだ、という当たり前のことに気づく。
 
ある意味、希望でもあるし、絶望でもある。(ずっとひとりのほうが楽だと思ってたし・・・笑)
 
そこから、立ち直って「他者にひらく」ことに関心を向けるようになった。これは2017年の個人的な収穫。
 
せっかく「ひらく」ことに関心を持てたのだから、何かを深めるときに閉じこもってしまうのではなく、人と人との関係性の中でも、学びを昇華していきたいな、と思う。

3)自分を深める

自分を深めるというのは、ほとんどの場合、自分と向き合うという意味で使われる。

でも、わたしはあえて「脱線すること」で自分を深めてみたい
 
今まで、自分のやりたいことを追究してきたけれど、なんだか綺麗にまとまったストーリーのようにも見える。
 
「自分がこんな経験をしたから、こういうことをやりたい」。それは、誰しもが受け入れやすい。
 
でも、そんな簡単にすっと受け入れられるストーリーの上にばかり身を置いていていいのかなあ、と感じることがある。
 
何かに当事者性があると応援される。でも、その当事者性と呼ばれるものは、その人の一面でしかないわけで。
 
誰にも行動を制限されていないのに、少し息苦しさを感じてしまう。
 
だから今年は、あえて紆余曲折して、自分の人生のストーリーと相反することをやってみたい。
 
脱線することが深さを増すこともあるのではないか、と思う。
 
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いつも新しいことが始まるとわくわくしてしまう。
 
新年なんてその最たるもので、あたらしいノートを買ったり、ペンを買ったり、毎年大忙し。
 
でも、今年は、そんなふうに「区切り」をつけたいと思わなかった
 
2017年のつづきを大切にしたかったから、ノートも年末から、あたらしいものを使い始めた。
 
2018年にやりたいことのうち、習慣にしてしまいたいことは、全部2017年が終わる前にはじめてしまった。おかげで少しずつ習慣になりつつある。
 
2018年にやりたいことを100個書き出したのだけれど、成し遂げたいことはちゃんと達成できるように、全部数字で目標を立てた。読書年間70冊みたいな背伸びしすぎない感じで・・・。
 
稚拙なわたしですが、今年もよろしくお願いします!

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