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着物とレコードと竹久夢二④

夢二のイラストを目に焼き付けながら、それまで目を向けずにいたレコードの展示の前へと足を進めた。<↓前回の記事>

SPレコード
かっこよすぎる仏像

これらは貴重なSPレコードの展示なのだそうだ。

SPレコードというものが何かも知らないまま、ジャケットの斬新さにただ目を凝らす。後で(というか今)調べてみるとSPレコードとは1950年頃まで作られていた蓄音機用のレコードなのだそう。蓄音機は映画で見たりして知っているが専用のレコードがあるのは知らなかった。

そしてなんとこのSPレコードという代物、虫の樹脂から出来ているらしい。
ラックカイガラムシという虫で体長は一㎝にも満たないとか(今調べ)。主に東南アジアや中国四川省で養殖されており、1950年以降はプラスチックでできたLPレコードが登場しその後は完全にそちらへ移行したのだそうだ。

というか、ジャケットももかっこいいけど虫から出来たレコードってちょっとすごくないか・・・?発想がキテレツじゃないか・・・

誰が何をどうして虫から出る樹脂でレコードを作ろうなどと思ったのか誰かインタビューしていたら教えてほしい。

虫の樹脂でできたレコード

ところで、山と川に囲まれた田舎で育ったわたしは小学生の頃、近所の男の子と銀杏の木に実った銀杏の実をパチンコで落とすというスリリングな遊びをしていた。

ご存知のように銀杏の実はくさい。驚くほどに。くさくて扱いづらい実の中にまた小さな実が埋まっている。その実めがけて近所の男子たちがお手製のパチンコを引いては離し引いては離し、いざ命中して落っこちてくるやギャーっと奇声をあげて逃げるという、ピンポンダッシュの銀杏バージョンだ。銀杏もたまったものではない。

長い時間かけて育んだ自らの分身を、くさいだのギャーだのとそこら辺のガキんちょどもに云われる筋合いもないだろう。わたしもなぜそれをして遊んでいたかさっぱり判らないが、自分達でスリル体験を日々生み出さねばならなかったのだけは確か。田舎は嫌でもクリエイティブが鍛えられる。

虫から銀杏の話になってしまった。
言いたかったのは最初にそれを食べた人はすごいってこと。あのくさい実をほじくって、更に埋まっている実を最初に食べた人、すごい。

そして虫の樹脂でレコードを作った人も相当ぶっ飛んでいる。最初にウニを食べた人も、最初に蟹を食べれると思った人も、最初にふぐの毒を抜いてまで食べた人もすごい。もちろん最高の褒め言葉だ。

ちなみにSPレコードとは(Standard Play)レコードの略で、LPレコードとは(Long Playing)レコードの略だそう。

展示の話に戻そう。
次に目に入ってきたのはこれら戦時下のレコードだった。

え、冗談ですよね?というタイトルばかりが並ぶ。

不謹慎かもしれないがタチの悪いジョークですよね?と言い切ってしまいたいぐらいに胸くそ悪くなった。

あの銘仙の艶やかさは一体何だったんだ・・・

ジャケットから英語表記が消え、享楽的な音楽も禁止されてジャケットから華やかさが一切消えている。

・・・こんなレコードやだ。
貴重なものだそうだから写真に収めまくったけど、こんなレコード見たくもない。(進め一億火の玉だ)とか(かくて神風は吹く)とか完全にイカれている。

内臓からいやーな気分にさせてくれるこれらのレコードを写真に収めるだけ収めて、銘仙の展示がされている弥生美術館に戻ることにした。

そして銘仙の部屋に再度足を踏み入れた時、わたしはどう表現すればいいのか言葉が見つからない感情に見舞われた。

切なさと言うべきだろうか。
悲しみと喜びのあいだとでも言うのだろうか。

前回の記事でサイケデリックだの何だのと銘仙の感想を並べたけれど、これらの鮮やかな色使いと、飛び跳ねるような大きな柄は平和の象徴であると銘仙がわたしに語りかけてきた。

見て!世の中にはわたしたちが必要よ!と云わんばかりに。

週末ということもあってか館内はとても賑わっていた。特に若い女性の姿が多く目立ち、それぞれに着物やレコードを見て感じるものがあるだろう。

そしてこの中にどれぐらい、ポップな柄や貴重なレコードという枠を超えて時代の果ては戦争というものまでを通して見る人がるだろう?と、そんなことをぼんやり思った。

ファッションが生きているうちは平和だと言った人がいた。

誰だったか思い出せないが今回の展示はその言葉を様々なピースで肉付けしたような意味深いものになった。

時に、時代とファッションは逆行する。
トレンドを追いがちな日本のアパレルを指すのではなく、服を生み出すデザイナーの頭の中は常時そうであるとわたしは思ってる。本来ならそうあるべきだし、サイレントマジョリティの肩を叩けるのもそのような内なるパンク精神だと思ってる。しかし資本に組み込まれてしまうと中々そうはいかない。

暗い時代に明るい色を
浮かれた時代に暗い色を

服を生み出す人ならきっとそうせずには居られない。あまり理解されないかもしれないが、服はいつでもメッセージの一つになり得る。とっても身近なものとして。

先日初めて作ったZINE、「Introductin」の中では音楽家の寺尾紗穂さんに麻の服を着て貰った。着倒して皴の刻まれた麻の服を、わたしはとても美しいと思った。それを水のように着る寺尾さんも同じように美しい人だと思った。

それは大量生産大量廃棄へのアンチノーゼとして一つのメッセージでもあるが、それ以上に時間を経たものの持つ雰囲気にわたしは魅せられてしまう。そのことを少しでも伝えたいと思いZINEに載せさせて頂いた。

そう。2024年春夏のパリコレで、コムデギャルソンの川久保玲氏が放ったコレクションはとても艶やかかつ奇抜で異次元なものだったが、そのメッセージはこうだった。「いい加減にしてほしい。私は明るい未来を希望する」

わたしも同じだ。

「いい加減にしてほしい。私は明るい未来を希望する」



全4回に渡りお付き合いいただきありがとうございました。

Merry Christmas!🎄✨


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