心地よさを無理に求めず、苛々を減らす心がけの方が、社会を楽にできる。

僕たちは心地の良い言葉を使えば、心地の良いことをイメージする。心地の悪い言葉をつかえば、心地の悪いことをイメージする。

そして、そのイメージが現実の「こころ」の状態を決めることになるんだ。

何かにつけ文句ばかり言ってたら、常に頭の中が不満や怒りで満たされてしまい、何も不満でないはずのことにまで、キツイ態度や言葉を使ってしまうようになる。

そういったことは、巡り巡って自分に跳ね返ってくるので、結局は自分が嫌な思いをするものの、その頃には自分のとった態度など忘れていて「逆ギレ」してしまう。人ってそんなもんだ。

今日1日くらい、苛々としていてもいいじゃないか、と思うだろう。まぁ確かにいいのだけど、もしも、世界中のみんなが苛々して、心無い言葉で不満をぶつけ合うという1日があったとしたら、おそろしいことだ。必ず大きなトラブルが起きる。

だから、良い言葉、綺麗な言葉、心地よい言葉とイメージが大切なんだ。
ただ、心地よい言葉を常に使わなければいけない世界があるとしたら…なんでだろう、それはまた窮屈なものになってしまう。

無理に心地よさを作り出そうとすると、それが不満につながるということだ。ということは、その方法は、何かがズレているんじゃないかと思うんだ。

そもそも、心地よい言葉をつかえば、心地の悪い言葉が帳消しになるわけじゃない。

昨日は腹を立て人を罵ってしまった。だから、今日はやさしく丁寧に向き合おう…それは礼節として然るべき行動だけれど、マイナスを後のプラスで帳消しにできると考えるなら、それは思い違いのような気がする。

大切なことは、心地の悪い言葉、悪いイメージが「そもそも表現されないように」減らすことの方なのだと思う。

結局、心地良いものをたくさん増やしても、心地悪いものが浄化されたり、相殺されるわけではなく、ただ、薄まったようにみえるだけなんだ。

たとえば、「普通のお米」がある。
そして、「良いお米と悪いお米が半分ずつ混ざったお米」があるとき、

さて、どちらを買うだろう?

良いもので悪いものを相殺できるなら、この2つのお米は同じもののはずだけど、悪いお米が入っているものを食べたいとは思わない。

それどころか、悪いお米の割合が、3割に減っても、2割に減っても、なんだか気になってしまうのではないだろうか。

同じようなことがお水でも連想できる。「ふつうの水」と「良い水と悪い水がまざった水」どちらを飲みたいと思うか。

やはり、良いことで悪いことは浄化できない。

また、良いことを増やさなければいけない、と思うと窮屈に感じてしまうのも、それが、結局は偏りだから、振り子のように、シーソーのように、逆方向にも偏るだけなんだ。

できるだけ偏らず、
楽な世界をつくるのなら…
そもそも「心地悪いをうみださない」ということが要るのだと思う。

そのためには、
怒らないこと
責めないこと、
苛々としないこと。

それらをつくりだしている
「ひとに何かを過剰に求める」
を減らすこと。

そんな過ごし方を心がけることで
この社会はもっともっと楽になる。


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畠 健太郎

星の学校|人生のデザイン

僕たちの住んでいるこの星はきっと学校なのでしょう。物事のめぐり逢いを感じながら、学び、発見し、表現することが、生きるということ。ひとりひとりの日常が、この世界をつくっています。
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