正しさと正確さ

デッサンをするとき、そこに
「正しさ」という基準を持ち込むとしたらそれは、ありのままに描くってことだと思う。

自分の目が、いかに対象を正確に観察できていないか、ということを知るのがひとつのデッサンの目的だけど、この、対象を正確にありのまま描くっていうのが難しい。

それは主観を外さないといけない。

自分の感情・考えでこう見えている、というのは、デッサンをするときには「正しくない」情報で、余計な判断基準になる。

いまなら、モチーフや自分の描いた絵を写メに撮って写真で見てみるとわかりやすい。

ついさっきまでにらめっこしていたはずのその主観が、いかに危ういかがよくわかる。描こう描こうとものを見るという、ただそれだけで「ありのまま」は主観によって歪められていくのだ。

デッサンでは、「正しい」は主観をはずすこと。余計な感情を入れないこと。写真のようにありのままを受け入れることだ。

これは、デッサンの話をしているようで、ぼくらの日常における、こころの話につながる。

僕らは普段から、「正しさ」と「正確」さを別物として扱っている。

僕らは「正しさ」を感情で考える。倫理や道徳も、感情が大いに絡む。置いて考えることはできない。

だけど、人や出来事は「ありのまま」が本来の正確なすがたかたちをしているのに、それよりも、主観的な「正しさ」を優先してしまうことが多いんだ。

そのまま、ありのままで、物事を見れたら、世界はもっと違う風景になるのかもしれません。

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畠 健太郎

アイデア術、自分探し、人生哲学、いきづらさ等とデザインとの関係について書いています。デザイン論とコンセプトワークが専門のフリーの先生。福祉やNPOの支援、大学高校では企画デザインや社会起業を教えてます。 記事をまとめてデザインしたものを有料にしています。

どこへゆく。

自分の考えをあまり考えすぎず書いています。
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