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今年の8月は新盆

昨年の8月1日、愛猫ねねちゃんが旅立った。
18歳だった。

去年の今頃から食欲が落ちて、粗相をするようになった。
ねねちゃんがそんな風になることは珍しい。
食欲旺盛で、いつもご飯時間より前にご飯コールが始まる。

ただ、気温が上がる梅雨から夏にかけてたまにこういう日があったから、今は猫にとっても体調か整わない時期なのだろうな、と様子を見ることにしていた。

健康診断のため時々通院していたが、とても病院に行くのを嫌がるため、お家で休んで良くなるのならそのほうがねねちゃんのために良いのではないか?と判断していた。

ただ、猫は年齢が上がるとともに腎不全を患うことが多いと知っていたから季節が安定したら一度診てもらおう、そう思っていた。

7月の初めは食欲にムラはあったが、食事は取ってくれる。
ただ、大好きな出窓に登らなくなった。
胸騒ぎがしたが打ち消していた。
そんのはずはない、たまたまだ、と。

結局その日以降なくなるまでの間、ねねちゃんは出窓に登る日は来なかった。

7月中旬、寝場所が急に変わった。
不安がさらに大きくなった。
猫は旅立ちが近くなると人間から離れた場所で眠るようになる、ときく。
お水もご飯も食べるけれど、前にいた場所で眠ることをしなくなった。

そして、下旬に入り食欲が衰えお水だけしか飲まなくなった。
心配で心配で気が狂いそうだった。
もう一匹の愛猫みみちゃんと不安な気持ちで過ごした。

その後数日悩み、動物病院の先生に診てもらうことにした。
ここまで悩んだのは昨年はすごい猛暑だったため。暑さの中弱ったねねちゃんにダメージを与えたら取り返しがつかないことになるのではないかという不安が自分の中から取り除けなかったから。

できるだけ、暑さに触れないようにしながらねねちゃんを病院に連れて行った。
緊急で診てもらった。
先生の表情が険しくなった。
「よく診せてもらいたいので30分ほど時間を下さい」

そう言われて診察室を出た。
居ても立っても居られない30分を過ごし、再び診察室へ。
「胸水が溜まっていて、腎不全と貧血を起こしています。原因をつきとめて、治療したいので少しの日数病院でおあづかりしても良いでしょうか?」
もう涙が溢れて止まらなかったが、ねねちゃんが少しでも良くなるならばと、お願いした。

その日の18時ころ病院での電話で、ネネちゃんは肺がんであること、治療は難しいことを知らされた。

迫りくるものが何なのかはっきりしてしまい、背中のゾワゾワが止まらなかった。
それとともに、まだみみちゃんがいる、倒れてはいけない…と自分に言い聞かせた。
毎日毎日泣いて、みみちゃんは私の涙を舐めて慰めてくれた。

みみちゃんは、どうして私が泣いているのか分かっていたのかな?

翌日病院に面会。
ねねちゃんは胸水を取ってもらって少し元気な顔つきになっていた。
10分程度面会した後疲れた表情になったので、「また来るね」と言い残して病院を去った。
翌日夕方も面会に向かったが、その途中で「ねねちゃんの容態が急変しました」と連絡をもらった。

精一杯急いだが間に合わなかった。
理性で抑えが効かず、そこ場で叫び尽くした。たぶん15分位叫んだんじゃないかと思う。
何を叫んだかは覚えていない。 

先生が
「すごく長生きしましたね。」と声をかけてくれた。
ねねちゃんは前の飼い主さんの事情で、6歳から私のところに来た。
飼い主さんがかわるだけでも相当大変な思いをしたはずだ。
本当にながく私を支えてくれたと思う。

気持ちは簡単に落ち着いてはくれなかったけれど、ねねちゃんをうちに連れて帰った。

みみちゃんにも会わせたが、現実を受け入れられないように落ち着かない様子をしめした。

それから2日後メモリアルパークにて火葬。

みみちゃんはねねちゃんが入院したあたりから、食事があまり取れなくなっていた。
痩せた。
もともと食が細く、心配していた。
ただ、みみちゃんも12歳、高齢の部類に入る。
小さな頃から腎臓にトラブルを抱えていたので食事には気をつけてきたが心配だった。
今考えれば、みみちゃんもペットロスに陥っていたのだと思う。
生まれた時からねねちゃんと一緒に過ごしてきた。その喪失感は受け止めがたかったと思う。

できるだけ楽しい雰囲気を作り、腎臓に優しいご飯やチュールをそろえて
「一緒に回復してこう」そんな気持ちで過ごしていた。

もともと食が細い人が
「食べなさい」
と言われるのはとても辛いものだと私自身の経験からしっていたから、無理に食べるようには仕向けなかったが、ちょっといつもよりトッピングを変えたり、ハイカロリーチュールなどみみちゃんがちょっとでも楽しそうと興味を持てるように色々と工夫した。

順調に…という感じではなかったが、少しづづ食事の量が増えてきた。
好きな遊びに目を輝かす様子も見られるようになってきた。

少し安心した。
ねねちゃんが亡くなって2ヶ月、不安で不安でたまらない気持ちが少し落ち着いた感じがした。

その夜久々にゆっくり寝て、朝起きたら、みみちゃんが透明なものを吐いた。
嫌な胸騒ぎが再び込み上げた。
まさか…まさか…
急いで病院に電話して診てもらったが、その日のうちに息を引き取った。
10月28日18:30。
享年12歳。
ねねちゃんが旅立ったのと同じ時間だった。

ねねちゃんが旅立ってから3ヶ月もしないうちにみみちゃんも旅立った。

6歳違いとはいえ、同じ女の子で仲が良かった。小さい頃からみみちゃんほ躾はほぼねねちゃんがしてくれた。
グルーミングもほぼねねちゃんがやっていた。
大人になると時々「もう自分でできるから」とねこぱっちして喧嘩もしていたけれど、お互いの好物は譲り合う場面など、仲の良さが伺われた。

みみちゃんは、ねねちゃんが旅立って寂しかったのかもしれない。

今年はねねちゃんとみみちゃんの新盆。
愛猫にこんな言葉を用いなければならないことがとても切ないし、まだ認められない。

※なんとなくただ今の気持ちを書き留めておいたほうが良い気がして書いてみました。



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