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交換ノート04:だれでも、写真1枚くらいは「コンテンツ」をもっている

ブログ「みたいもん!」のいしたにまさきさん、「ネタフル」のコグレマサトさんとの連載ノート。お二人から note はなぜシンプルなんだろう?というバトンを渡されました。

でも、ブロガーのようにウェブで何かをするのになれている人ならいざしらず、普通は note でも「簡単」とはなかなか言えないと思うのです。

だって「コンテンツ」を作れといわれて、それだけでピンとくる人、そんなにいませんよね?

そしていま note に言及しているのは主にブロガーや、ネットにツイートを送信するのに慣れている人、動画で悪ふざけするツボを心得ている人など、「経験値をもっている人」が多め。

それでもnoteは大勢の人がサインアップして、試してみるくらいにはシンプルな魅力がある。実際、僕の周辺ではGoogle+でフォローしている人がおおぜいサインアップして、書き込んだり、システムの仕組みを調べてみたり、一日で「飽きたぞw」と言ってたり、なにはともあれ動きがある。

ここで、Medium のような立て付けなのに、コンテンツの入り口を狭くしたのは大きい。

入り口で、「ひとことつぶやかない?」「一枚写真ないかい?」という具合に、コンテンツを引き出すようになっているんですね。

言い直しましょう。普通、ブログを定常的に書いているでもない限り、「自分はコンテンツをもっている」なんて思いません。

でも「つぶやき一つくらい」「写真一枚くらいなら」だれでももっています。noteではそれをうっかり投稿すれば、ちゃんと見た目もコンテンツ化する作りになってる。

だからnoteのこの入口のインターフェースも、シンプルさの源のような気がするのです。

これ、tumblrで通った道ですから、やはりこの10年の私たちとウェブとの関係が、「コンテンツってのは結局これとこれだよね」という集合知が結晶しているとも言えるんですよね。やはり古くて新しいわけか(笑)

コグレさんいかがでしょう?


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