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Re:ブログから始まるnote生活。あるいは共鳴のプラットフォーム

ちょっと前にMediumに「死に続けるブログとどこに書けばいいのか問題」という記事を書いてたくさんの人に読んでいただけたことがありました。

ここで紹介していたのが、個人がブログを書くときのコンテンツの一生を 1. Creation「コンテンツの作成」、2. Distribution「配信」、3. Discovery「読者による発見」、4. Consumption「消費」と分けた時に、RSSの時代は1から3までが明確にわかれていたのが、いまはどれもが融合しているという考え方です。

Facebookに投稿することは、ブログに投稿することとは違いますし、noteに書くことはMediumに書く世界線を諦めることでもあります。

かつてはフラットだったブログの世界がゆるやかに分断され「どのタイムライン」に掲載され、「誰のアテンション」奪うのかという選択肢によってコンテンツの運命が変わるというのが、私が言いたかった「死に続けるブログ」という話でした。「ブログはオワコン」という話ではありません(笑)

ネットワークがプラットフォームだ

この記事を書いたのは1年前で、あのあたりからブログの世界の周回感について予感めいたものがあったのですが、それがなんであるかちょっと言葉を見つけられずにいました。

それが去年の終わりあたりから少しずつ明確になって、いよいよ仮説めいたものが生まれてきたのがnoteを最近書いている理由でもあります。

ウェブがもはやフラットな場所ではないことを受け入れれば、分岐した世界線のそれぞれの場所で話題をドロップすると共鳴する場所やコンテンツの勘所のようなものがあって、単純な「バズ」や「インフルエンサー」では測れない、単純にフォロワー数にも還元できない空気がうまれつつあるのが、なんとなく感じられるわけです。

例えば徳力さんがこうして、過去の実績から「noteブロガー」を測ってリストにしてくださっているのですが、なんだか違うんですよね。過去になにをしていたかとか、フォロワー数が多いとか少ないとかではなくて:

いまnoteでアクティブに書いている人々のネットワークがあって、ここに話題を落とせば人々の共鳴が記事として可視化される

というところが、いま徳力さんが楽しそうな理由の背後にあるような気がするわけです。「The Network is the Computer」というフレーズを覚えているくらいに古い世代なら、「ネットワークがプラットフォームだ」といってもいいでしょう。

こうした共鳴胴のような場所はなにもnoteだけではなく、はてなブログのフォロー関係から浮上してくる人気記事、はてなブックマークのホッテントリ、Medium のおすすめ記事と、これまでにもありました。

新しいものですらありません。その昔ブロガーの登竜門的なサービスだったTechnoratiだって「人のいる場所にコンテンツが落ちる」ことから生まれる共鳴の空間でした。

noteがいま面白いというのは、一掴みのインフルエンサーがいるからではなく、いまnoteにいる人が面白いからで、その共鳴がうまく浮上してTwitterははてブなどへも波及できているところのライブ感がSNSの延長線上でとても心地よいというのがあるわけです。

FACTFULNESSの売上が一週間で10万部と驚異的なことになっているのですが、ウォッチしているとゆるやかに重なったクラスタで「これは読むべき」とひとことずつ書いている人々がいて、それらの共鳴が効いているようにもみえます。これについてはまた別途記事にしますが。

というわけで、ブログはこれからもずっと死に続けるのですが、こうして形を変えて、その遺伝子をnoteのようなプラットフォームに感染させつつ、伝染経路を変えつつ、なんどでも転生するんだろうなあと確信を深めました。

まだまだこの話題についてはもっと書きたいことがあるのですが、論が乱れますので、また別の日に、べつの余白でご紹介したいと思います。

p.s.

タイトルはまつゆうさんを踏襲したかっただけです。すみません(笑)



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