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怒りや不快感を表すのはダメなことだろうか。

いつでも穏やかで前向きでニコニコしている人は素敵だなぁと思うけど、日常で生じる不快感や疑問(それってどういう意味?とか)は口に出してもいいと思うのよな。相手が親しくても親しくなくても。

言われて(されて)嬉しいこと嫌なことは人によって様々だし、時には誤解も生まれる。誰が誰にいうか、言われるかなど関係性や機嫌にもよるのが自然だから 、その都度コミュニケーションを取ってやっていくしかない。

セクハラパワハラなどと一括に一般化するべきでもない。

私の文章力では真意を書き切るのが難しいけれど

たとえば
「これは不快です」と言われたからといって、自分の尊厳やポリシーを抑えつけてまで、すべて取りやめたり相手に譲歩する必要もない。(昨今のクレーマー対応なんかとくに思う。)

ただ、お返しに自分のポリシーを押しつけて良いわけでもない。クレーマーの話でいうと、そのクレーマーを客として持っておきたいなら改善の余地があるし、そんな客いらないのなら放っておけばよい。それだけだ。

他人に"許す"を強制することもできない。

分かり合えない共感できないということは普通にあり得て、それを認めつつ共存するのが社会だ。

たしかに無神経な人や悪意は存在するし「ハッキリ言わないほうが悪い」などと責めるつもりはない。本当に言ってはいけないこと、言論の自由にもあたらないこともある。

軋轢を生みたくないので言わないというのもわかる。

けれども、言わないと/聞かないとわからないことは実際にある。そんなことだらけだ。

私自身も「気難しい」「ノリ悪い」と言われるのが嫌で、または、(苦手な)相手を転がすつもりで相手が望む反応をすることは今でもあるけれど

関係を保ちたい相手ほど、適切に表明し合っていくべきだ。と私は思う。

笑ってやり過ごすということは、一概にダメなことではないけれど、これからも笑ってやり過ごす場面がくるということ。笑ってやり過ごすというのは自分のための自分自身の選択であるということ。

「我慢してやってるのに」「優しくしてやったのに」となるなら、もうその相手との関係は破綻している。

何度でもいうけど自分がされて嫌なことはしない。ではなくて相手がされて嫌なことはしない。してしまったなら「相手が嫌な気持ちになったと認める」謝る。だ。

自分がされて嫌なことはしないということは、自分が嫌でなければしても良いということで、相手を慮ることを怠っていると私は思う。

相手と自分のされて嫌なこと/嬉しいことが一致しているとは限らない。その前提を、言われる方も言う方も、もっと認識してゆけたらいいのになぁ。

余談

会話でありがちな

「(有名人など)○○さんに似てますね」というもの。

本人に直接言う場合には褒め言葉?的に使われることが多いと思うのだけど、これをよく言う人は褒め言葉のつもりで言うのだと思うし、自分も言われたら嬉しいのだと思う。

けど、「〇〇さんに似てる」って私にとっては、とても居心地の悪い言葉だ。とっても美人な人に似てると言われたとしても。わざわざそのセリフを使う必要があるだろうか。。

「〇〇に似てる」って、本人に伝えて良いことあんまないよな。

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