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ちょっとお手を拝借!

私の友達のリサはシングルマザーで、小学校2年生の息子のリュウを育てている。リュウは自閉症のために、パニックを起こしたり、大きな声を出したりすることがある。

夏休みの間、リュウが大好きなプールに、リサは何度も連れて行った。今はまだ、リュウを女子更衣室でリサと一緒に着替えさせても、周囲の目は気にならない。ただリュウは体が大きいから、1年後には「お母さんが女子更衣室に一緒に連れて入るのにふさわしい年齢の子ども」と、周りから見てもらえないかもしれない、とリサは来年の夏を早くも心配している。

「プールの男性スタッフに、着替えを手伝ってもらえないかな」と私はリサに聞いた。男性スタッフは人数が少ないし、忙しそうだ。リュウがパニックを起こさないように気をつけながら、着替えを見守ってもらう、そんなことはとても頼めないと言う。着替えには10分もかからないから、ボランティアにわざわざ来てもらうのも心苦しい。

車椅子や白杖は、「何かお手伝いしましょうか」と周囲が声を掛ける目印となりやすい。でもリュウには、助けを申し出てもらえるような目印はない。それどころかリサは、子供のわがままを抑えられない親と見られがちだから、「ちょっとお手をお借りできますか」とはなかなか言い出せない。

リサと話した数日後、私は2階建てのショッピングセンターの1階で、リュウがパニックの時と似ている声を聞いた。大きな声はなかなか止まず、2階から1階に降りてきたスタッフが、「2階のお客様まで、心配して混乱しています」と深刻な顔で1階のスタッフに話しているのを見た。

私は、2階の「混乱」がどの程度なのか見ていないけれど、自閉症の子にはパニックを起こして大きな声を出す子もいると知っている人なら、スタッフが簡単に説明すれば、すぐに状況を理解して買い物を続けただろう。

車椅子や白杖の方を見かけたら、その人が安全に通行できるか、気を配る人は多いと思う。同じように、自閉症などが原因でパニックを起こす人がいることについて、世の中での認知度が上がって、理解が広がったらいい。

「共生社会」とは何だろうか。私はこの言葉を見聞きすると、ちょっと難しくて大変なことをしなくてはならない意識になる。でも、リサとリュウが今より楽しく、過ごしやすくなる世の中にしたいと私は思う。手伝いを必要とする人が遠慮せずに「ちょっとお手をお借りできますか」と言い出しやすい、そんな社会になったら素敵だ。リサとリュウのためだけではない。私が怪我で松葉杖になる可能性もあるし、年をとったら誰しも体が衰える。まさに自分が生きる社会の話なのだと思っている。

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