名前で呼ばれることは、もうない

「おばあちゃんが、私を名前で呼ぶことは、もうないだろうね。」祖母が認知症のため、自分の娘(私の母)の名前を思い出せなくなった頃、母が涙ながらに語っていたのを、私ははっきりと覚えている。当時私は中学生だった。


最近、義父の認知症が進み、私の名前を思い出せなくなった。しばらく前から、義父が夫と話す時、私は「お宅のおかみさん」と呼ばれている。
祖母の認知症の経過を思えば、義父が私の名前を忘れることなど、ほんの序の口。これで切なくなっていたら、この先が大変だと、よく分かっている。


「お父さんが好きな中島みゆきの歌を聴こうね」と私達が言っても、中島みゆきがピンとこなければ、CDプレイヤーの操作方法も分からない。
趣味のカメラを構えても、被写体にピントは合わない。
それなのに、夫が車の買い替えの話をすると「お前、金は足りるのか?」と、いつまでも強い父。
一つ一つが悲しかったけど、私の名前を思い出してもらえなくなったことが、今、とても切ない。きっと、近い未来に、私の存在そのものを忘れるに違いないと思うから。


私は義父とは、夫との付き合いが始まってからの出会いだから、それほど長い思い出ではない。
子供の頃、威厳のある絶対的な存在のお父さんだったというから、夫にとって、実の父の変貌はどのように感じるのだろうか。
「切なくて辛いよね」と、平凡すぎる言葉で尋ねてみたけれど、夫は「大丈夫だよ」と短く答えるだけだった。