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家族がいてもいなくても、不安なく老後が過ごせる社会だったらいいな

 病気になって入院する際、病院から「身元保証人」を求められ、頼れる家族がいなくて困っている高齢者は少なくない。(2019年9月16日付け読売新聞朝刊11面)
 身寄りのない高齢者には、病院を退院する際も「身元保証人」の壁が立ちはだかる。一人で暮らせない場合、介護施設などに行くことになるが、そこでも身元保証人を求められるからだ。退院先を確保しようと、医療ソーシャルワーカーや地域包括支援センターの職員らが奮闘している。(2019年9月17日付け読売新聞朝刊26面)

 今週初めに掲載された、読売新聞の連載記事「身寄りなき高齢者」より引用した。「おひとりさま」で老後を迎えて、身元保証人がいなくて困るというのは、古くからある課題。単身の高齢者が増えているのに、状況はあまり改善していないのだな、と、この記事に少し衝撃を受け、直球そのままのタイトルでこのnoteを書いている。

 私はすごく心配性。
  ・私には子供がいないし
  ・たとえ子供がいても、私の老後に近くにいるか分からないし
  ・夫とは何度か離婚の話をしているし
  ・離婚しなくても、夫は少し年上だから老後は私一人だろうし
  ・老後に年金が支給されるか怪しいし
  ・老後まで働ける体力があるのか怪しいし
  ・今、仲良しの友達と、老後も近所に住めるのか分からないし
  ・死後の手続をお願いできるNPOとか調べた方がいいのかしら…
と、迷いはエンドレスに続く。これから老いていく過程で、臨機応変にいくしかないのに心配しすぎやろ、と自分でも思う(^_^;)

 でも、「老後資金2000万円問題」が注目された、今の世間の空気が変わらないなら、私の老後も、
  ・子供がいないのに、頼れる人間関係を築かなかったなら、自己責任
  ・お金で解決できるように、貯金してこなかったなら、自己責任
となる気がする。

 もちろん、私個人でできることは、心がけていく。友達は大切にするし、家族とも(可能な限り)平和な関係でいられるようにする。貯金も少しずつ頑張る。でも、40代の今、「老後に自己責任を指摘されないための努力」にエネルギーを注ぎすぎるのも、何か違う気がする。

 健康に過ごしていても急に病気になるかもしれない、認知症で判断力が衰えて貯金をだましとられるかもしれない、誰にでも起こりうることだ。人生何が起こるか分からないけれど、家族がいてもいなくても、何歳でも、周囲から助けを借りながら、何とかやっていける社会だったらいい

 何かよい方法はないかな、と考えることが、私の #40代から始める老い支度 だと思っている。そしてヒントは、このnoteの世界にちりばめられていると感じている。毎日、noterさんたちの多様な個性と才能に魅せられているから。
 誰かと一緒に過ごす時間も楽しむけれど、一人の時間も絶対に欠かせない。1週間の仕事を終えた金曜日の夜、お気に入りのマグにコーヒーをたっぷり入れて、チョコレートをつまみながらnoteをしている今、私はとても幸せだ。私と似たような方、もしこのnoteを目にして下さったら、一緒に考えてみませんか。