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家にPCもネットもスマホも無かった中学3年生が、高専に入学し5年後Webエンジニアになった話

こんにちは。都内でWebエンジニアとして働いている名人です。

趣味で将棋をやっていることから、かれこれ8年ほどニックネームで名人と呼んでもらっています。

今回は、実家にPCもネットもスマホも無かった中学3年生の僕が、高専の情報工学科に入学し、5年後にはプログラミングが大好きになってエンジニアとして就職した話を書きます。

特にどんな人に読んでほしいといった想いは無いので、こういう人間も居るんだというネタとして気楽に読んで頂けると幸いです。

高専とは?

高専は中学を卒業した学生が入学する5年制の学校で、卒業すると短大卒と同じ年齢になります。なので、センター試験とは無縁で、僕は受験戦争も中学3年生以来経験していないです。

高等専門学校の略称で、名前の通り普通高校とは違い工学系や化学系の勉強を行う学科がほとんどを占めている学校です。

一説によると全人口のおよそ1%が高専卒らしいです。

高専に入学したきっかけ

100人に1人しか入らない高専に僕が入学することになったきっかけは、一言で言うと実家の経済事情でした。

中学3年生の僕に、母はこう言い放ちました。

「あんたを大学に行かすお金はないから、高卒よりは学歴が上な高専卒になりなさい」(だいたい原文)

実家はPCもネット回線も無く、携帯電話はもちろんガラケーで、車も無いし、塾にも通えず参考書や学習机は母親の人脈で無料で譲り受けたもの(むしろ凄い)でした。

高専はとにかく学費が安く、普通高校と同等にも関わらず短大卒と(ほぼ)同じ学歴を得られます。そして、高校一年生から専門的な勉強をするので就職にも困りません。

当時の僕「なにそれ、めっちゃお得やん。高専行くわ」(だいたい原文)

所詮中3なのでこんなノリだったと思います。

情報工学科を選んだ理由

僕が入学した奈良高専は、ITを扱う情報工学科だけではなく、機械工学や電気工学、物質化学の学科もありました。

当時の僕なりにその中で情報工学科を選んだ理由はありまして、

「さすがに実家にPCもネットも無いまま育って社会人になったらマズそう。あえてPC使いそうな学科に入って鍛えられなアカンな」

というものでした。

PCやネットが無いという環境に限界を感じて情報工学科を避けるのではなく、あえて学びが多い進路を選んだのは悪くない判断だったと思います。

電源ボタンがどれかわからない

IT経験ゼロの割に入試面接で合格をいただき、無事に入学ができました。

最初のパソコン室での授業では、パソコンの電源のつけ方が分からず、隣の子に電源ボタンがどれか訊くところからスタートしました。

僕は電源のつけ方を教えてくれた彼を「師匠」と呼び、パソコン室での授業のたびに色々教えてもらいました。”名人”が”師匠”にパソコンの使い方を訊いているという妙な構図がしばらくの間展開されました。

Ctrl + Cでコピーできることを教わったときなどは本当に感動した記憶があります。

プログラミングとの出会い

さすがにこの調子だとそのうち追いつけなくて留年するのではないかと危機感を覚え始めた僕は、1年生の夏休みに学科の先生が開いていたプログラミング講座に出ることにしました。

そこで黒い画面にC言語で書いたプログラムが「Hello, World!」と表示した時、これは面白いぞ!!と食いつきました。

小学生のころ、放課後は紙飛行機を自分で工夫して折って飛ばしてまた工夫してを友人と延々と繰り返していたり、将棋では自分で考えた戦法を盤上で表現したりと、頭のなかで考えたことを結果が見えやすい形で表現するのが好きだった僕は、同じ感覚で取り組めるプログラミングにどハマりしました。

放課後パソコン室で

プログラミングにハマったは良いものの、家にPCが無いので、部活(将棋部)が無い日を選んで放課後にパソコン室にこもって黙々とプログラムを書く人になりました。

アスキーアートで化学の先生の顔を描画して、体力(HP)ゲージを縦棒を横に並べて表現して、コマンドを入力すると先生の体力が減っていく(つまり横棒の数を減らす)という、インターフェースは古いわ技術レベルも低いわ内容は悪趣味だわという酷いプログラムをひたすら書いてました。

そしてそれをパソコン室で授業があると、クラスメイトに遊んでもらって笑いを取るのが最高に楽しい時間でした。

そんな日々が、1年生の夏から2年生の終わりまで1年半続きました。

転機:ノートパソコンのプレゼント

高専2年生の終わり、3月の上旬のとある日に、将棋部の師範から電話がかかってきました。

「齊藤さん、中古のノートパソコン買ったんであげます。今●●駅の改札まで持って来ているので取りに来てください」

所属していた将棋部の師範の先生が、僕が情報工学科にも関わらずPCが家になくて放課後プログラミングをしているという事実を知り、ノートパソコンをわざわざ買ってくれたのです。

しかも最寄りの●●駅の改札まで持ってきている・・・?

外は夜で小雨が降っていましたが、そんなのお構いなしに家を飛び出し、駅まで走って向かい、改札越しに大きなダンボールに入ったノートパソコンを受け取りました。

補足:将棋の師範との関係

ここで急に師範の存在が出てきましたので補足します。

僕は入学直後から将棋部に入部しましたが、僕は当時まだまだ弱く、一方師範はめちゃめちゃに強く、「齊藤さんは弱いのに毎週来て偉いですねぇ」という軽口(名言?)を叩かれるくらい実力差はあったのですが、よく対局し、よく話をしました。

僕はだいたい辛いことがあったらネタにする人間なので、おそらく師範との世間話で、実家にPCがないとか、放課後プログラミングをしているとかの話はしていたんだと思います。

ノートパソコンをプレゼントして頂いた師範には感謝してもしきれませんが、あえて僕の行動でよかったところを言うと、弱くても部活に通い続けたというのと、辛い現状をネタにして人に言いまくったことかなあと思っています。

加速する趣味プログラミング

家にノートパソコンが来た当初は、ネットが無いので初期設定に大変苦労しまして、学校にUSBメモリを持っていってインストーラをダウンロードし、家に持って帰ってインストーラをPCに入れてインストールだけやってみたり、それでも無理な場合は学校のPCでインストールしてCドライブの中のフォルダを全部丸コピして環境変数をいじってインストールしたことにしてしまうとか、そういう荒業を試行錯誤しながらやってました。

ネットがないとプログラミングしてて途中で困っても何も調べられないので、IDEの補完機能でそれっぽい英単語を打ち込んで正しいプログラムを推測するとか、むちゃくちゃ非効率なこともやっていました。

とはいえ一度設定が終われば楽な話で、そのあとは今までのアスキーアートプログラムから卒業し、WindowsでGUIで動くソフトウェアでメモ帳アプリとか、グラフィックなゲームを自作することを始めました。

家でプログラムが書けるというのは、僕にとってあまりにも大きな転機でした。

3年生の後半からは、TeXというマークアップ言語(HTMLと似ている言語)で表を書くためのWindowsソフトウェアを開発し始め、自分で実際にTeXを使うときに利用したり、友人に使ってもらって感想をもらうというのを始めました。

ソフトウェア自体はデザインもダメだしバグも多いしソースコードも汚いものでしたけど、今まで世に出ていないものを作ると、たった1人で作るものでも人のためになることができるというのを体験できました。

転機2:ベンチャーでのインターンシップ

高専4年生になった僕はインターンシップに参加することになりました。

当時僕はプログラミングの実力が足りないのを気にして、エンジニアの仕事をしたいとは思っておらず、趣味で続けられたら良いなと思っていました。インターンシップも通信系や電気系の会社を候補に考えていました。

いくらソフトウェアを作れると言ってもクオリティは低いし、何より高校2年生まで家にPCがなかったハンデが大きいと勝手に気にしていたんだと思います。

しかしふとしたことをきっかけに、某ITベンチャーへのインターンシップに応募することになりました。

そのベンチャーはESこそ記入が大変でしたが、合格して行ってみれば150人ほどの東京のベンチャー企業に5日間行けて、簡易的なものですが実務にも関われるという密度の濃い内容でした。

しかも僕に最初にパソコンの電源のつけ方を教えてくれた師匠も同じベンチャーを受験して合格し、奇遇ですが2人でインターンを受けてきました。

このインターンで、プログラミングを仕事にする、ということのイメージが少し具体的になりました。そして同時に自分がどれだけ知らないことが多いかというのを知りました

新ソフトウェアの開発

インターンから帰ってくると、僕はその翌日から、今まで使ったことがないC++という言語を使って、1から新しいソフトウェアの開発を始めました。

そして、半年がかりで「模擬テストを自作できるソフトウェア」を開発しました。その名も「MogiMeijin」です。

この時期でも相変わらずソースコードの汚さは異常です(こんなソースを書く人間でもエンジニアになれるという勇気づけに使えるレベル)が、初挑戦の言語に挑んだのは我ながら偉かったなと思っています。

また、MogiMeijinは、「文章を記入して、問題にしたい箇所をマウスで選択するとその部分が穴埋め問題になる」というUIで模擬テストを作成できて、その模擬テストを自分で回答したり、誰かに配ることができ、勉強に役立つというのが僕が今まで作ったソフトウェアの中で違っていた部分でした。

MogiMeijinを機に、「ITを駆使すれば勉強を面白く、便利にできる」という価値観を持ち、「勉強を面白くするITサービスを立ち上げたい」と後に目標を抱くきっかけになりました。

転機3:ついにインターネットとスマホを入手

ちょうどそのころ、母親がスマホを購入し、テザリングが使えるようになりました。僕は相変わらずガラケーでしたが。

そこで、僕は母親のスマホのテザリングでノートパソコンでプログラミングしたり、Twitterしたりができるようになりました。SNSという概念と出会ったのもこの頃です。クラスメイトはほぼ全員Twitterで繋がっていたので、みんな放課後にもこれだけオンラインで会話していたんや・・・と衝撃を受けました。

母親が家にいるときしかネットが使えないって、魅力半減だと思う(?)のですが、ネットが家で使えるだけで十二分にパラダイムシフトでした。

続いて、パソコンの電源のつけ方を教えてくれて、また一緒にインターンにも行った師匠が、僕にiPadとAndroidスマホをくれました。

買い換えるから古い方の端末あげるよ、将来エンジニアになるならスマホは使えるほうが良いでしょと言ってくれたのですが、控えめに言って仏でした。

こうなると今度は母親のスマホが限界を迎えました。テザリングでノートパソコンとスマホとタブレットが常時繋がっているので、端末の負担が半端なかったようです。

母親はついに観念して、あんたはもう来年就職するなら、1年間は私が払うけど就職したらあんたが払うんやで、とWiMAXを契約してモバイルルーターを僕に渡してくれました。

ついに、インターネットも手に入れることができました。

高専卒の就活事情

高専卒の就活は、一般的には推薦応募の形を取っており、すでに過去高専卒の採用経験がある企業が、1次面接や2次面接くらいで内定を出すパターンが大半を占めていました。その代わり推薦なので同時に1社しか受けれないという形です。

それだけ高専卒は社会的に働きの良さが認められているということですが、ネガティブな言い方をすると、高専生は高専卒の価値を認めている企業にしか入れないような格好になっていました。

また、推薦応募先の企業は通信系大企業の子会社(●●●システムズ、とか●●●コミュニケーションズ、とか)が多かったり、プログラミングができる会社でもBtoBの中小企業が多く、選択肢の幅が広いとは言い難い状態でした。

逆求人への参加

元々大学に行かすお金はないと言われて高専に来ているので、どこに入社できても喜ばしいことなのですが、一度インターンでITベンチャーに行ってしまっていたので、選択肢の幅が狭いことがどうしても納得いきませんでした。

そこで逆求人と呼ばれるイベントに参加することで、推薦応募以外の会社の方々と話してみる機会を得ました。

高専の一般的な就活は本当に閉ざされていて、推薦応募の企業以外見ないことのほうが多いので、この手のイベントに行くだけでも中々勇気が必要でした。

この時の逆求人で驚いたのは、「学生の技術力だけを見ている企業は無い」ことでした。

僕はMogiMeijinをアピール材料として使ってみたのですが、僕自身が勉強を面白くしたいと思って作ったという「意思」の部分を興味深く聴いて頂いて、使った技術は一切Webの要素がないのに高い評価をフィードバックしていただいたWeb系の企業の方が多かったのです。

高い技術を使ったかどうかよりも、どういう想いでどんな意思でものづくりをやっているか、のほうが余程重要で、興味深く聴いていただけたなと言う実感がありました。

社会人からすると、新卒には技術力はそこまで重要じゃなくて、カルチャーフィットとかビジョンフィットのほうが大切なのは分かるのですが、当の学生からすると技術力がないという理由で就職先を自分から限定しがちだと思います。

Web系の企業へ

逆求人での評価内容をきっかけに、僕はWeb系の会社を受けてみたいという想いが強くなりました。

今の自分の技術力が就活にあまり関係ないのであれば、未経験の分野に飛び込むほうが幅が広がると考えたからです。ましてやWebは、今やあらゆる分野でバックエンドで動いている技術なので、そこを仕事として扱える立場になれるのであれば、なって得であろうという考えもできました。

加えて、僕がMogiMeijinを通して得た原体験、「ITを通して勉強は面白くできる(かもしれない)」ということを仕事として体現できたらめっちゃめちゃ良いなという考えが芽生えてきました。

高専4年生くらいまでは、就職とは「大学に行けないから早めにするもの」という考えでしたが、このあたりで結構能動的な考え方に変わってこれたなと思います。

入社を決めた企業と考え方

ITで勉強を面白くするという部分だと色々な進路があると思います。教育系の既存大手企業に入社するのが最短に近いかもしれません。もしくはスタートアップでEdTechを扱う企業も面白そうです。

僕が最終的に選んだのは、株式会社LIFULL(当時は株式会社ネクスト)で、社内起業家としてITで勉強を面白くする事業を0から立ち上げることを目指すという道でした。

社内新規事業提案制度があり、社員が新規サービスを発案して形にする風土があること、エンジニアを育成する/エンジニアが挑戦する制度が充実していること、また何より社是で掲げる利他主義という考え方が気に入ったことで入社を決めました。

気に入った考え方を持った企業で、自身の職種を育成する環境を活かして、実力を付けたら新規サービスを立ち上げていくという道筋が面白いと思いました。

新規サービス立ち上げが最も難しいところですが、その時点で考え方が身についていて技術力もあるならば、ダメなら転職して別の場で目標の実現に取り組むこともできそうだし、進路の柔軟性もあるように思いました。

ちなみに内定後に聞いたのですが、LIFULLに高専卒で入社したのは僕が初めてだったそうです。内定前に聞いていたら心臓に悪かったので内定後で良かったです。

総括

かくして僕は「家にPCもネットもスマホも無かった中学3年生が、高専に入学し5年後Webエンジニアになった」人になりました。

そもそも親が高専を知っていたことに始まり、プログラミングを早く知れたこと、電源のつけ方から教えてくれる友人が居たこと、ノートパソコンを貰えたこと、インターンでITベンチャーに行けたこと、LIFULLを見つけたことと、幸運を数え上げればキリがないので、全然再現性の取れない就活の記事になってしまっていますねw

高専1年生のときに結構大きなバス事故にあっているのですがほぼ無傷でしたし(関係ない)。

僕の見解としては、「学生の間にやりたいことが見つかってしかもやりたいことを仕事にできそうな会社を見つける」みたいなことはめっちゃ確率が低いと思うので、「見つかるまで進学しまくる」とか「さっさと就職する代わりに人脈を広げて転職をしやすい状態にしながら働く」とかして、決断を後回しにしながらもいつでも決断できるように知識や人脈などの準備をするとかが最善なのかなあという気がします。

なので無理に早くやりたいこととか見つけなくても良いだろうなって思っています。

・・・・・・これって総括になっているのだろうか?まいっか

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

過去の話は語り尽くしたので、次は現在〜未来の話を記事に投稿していけたら良いなと思います。よろしくお願いします!

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