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私がフェアリー詰将棋を作るときに大事にしていること

以前「フェアリー詰将棋を作る上での考え方」と題して、フェアリー詰将棋を作る上で気を付けたいことを書きました。

自身の経験に基づいて「概ねこれは理解が得られるだろう」という内容を書いています。

今回は「私がフェアリー詰将棋を作るときに大事にしていること」を書いていきます。
あくまで私の拘りを書いていくので、「こう考えるのが正しい」という内容ではありません。
誰に対しても役立つような内容ではありませんが、「フェアリー詰将棋を作るとはどういうことなのか」を再考するきっかけになればと思います。


1.作品の狙いを自分で簡潔に説明できる

「作品」と呼ばれるものには、見所や狙いがあることがほとんどです。

ただ、人間は欲深いもので、作っていると作品の中にあれやこれやと詰め込みたくなるんですよね。
色々と要素を詰め込もうとすると、互いがノイズとして干渉し合って、結局何を表現したいのか分かりづらくなるというのが私の感覚です。

「この作品はこれを表現したものです」
簡潔に説明できる状態にするのが私の理想です。
投稿用紙に狙いを書く際に、あれやこれやと色々書かないといけないような作品は、私の中ではアウトなのです。

2.何かに気付くと論理的に解ける

解く上での論理も大事にしています。
簡単に解けても面白くないですし、全く解けないのも面白くないでしょう。
そこそこ苦労して解けるからこそ、喜びがあるのだと思います。

フェアリー詰将棋は、解答者に変則ルールを理解してもらうところから始まります。
何も考えずに作ると、基本的に難解になりやすいのです。

なので、
「作品の中に解くヒントが転がっている」
「ヒントを元に論理的に解を導ける」

という状態が理想だと思っています。

実際には上記1を突き詰める過程で、この部分が犠牲になることは多々あります。

「別に解けなくても、鑑賞して素晴らしさが伝わるならいいじゃないか」
という考えもあるでしょう。
ただ、並みの人間が解けないようなものを、私は極力作りたくないのです。
「こんなん誰が解けんねん!」という作品ばかり並んでいたら、私なら絶対にげんなりします。
これは私がフェアリー詰将棋を「作品」としてだけでなく、「問題」としての側面も大事にしたいと思っているからです。


…とまぁここまで色々書いてきましたが、これらはあくまで私の拘りです。
当然、全く異なる考え方を持っている作家もいるでしょう。
とにかく創作する上で一番大事なのは、「自分の理想形」をちゃんと認識しておくことかと思います。