JWと家族のはなし[1]

※JW(エホバの証人)の元2世, 80年代生まれの30代です。中学半ばで組織から離れました。
JWについての過去の経験を, 自身と向き合う過程での(主に愛着障害への)セルフケアとしてぽつりぽつりと書いていきます。恐らくお酒に酔わないと書けません。
身バレ防止の意も含めて詳細は記さずサラッと書いているつもりですが, 宗教2世としてや家庭内暴力でのフラッシュバックをしたり不快な思いをする可能性のある方は自己判断で読み進めてください。第一に自分を守ってほしい。
エホバの証人についてご存知なく興味のある奇特な方にはネット検索や一般書籍をお勧めします。'輸血拒否'や'家を訪ね歩く伝道活動'や'子どもへの鞭打ち'と言ってピンと来る方はなかなかです(なにが)。

【 幼少期 】
JW(日本支部)の教えと恐らく元来の真面目な性格が呼応し, 更にはバブル期の仕事至上主義人間(未信者)父がほぼほぼ不在のため子ども3人ワンオペによる育児ノイローゼ(推測)がもたらした厳しすぎる母への反動で, 当時小学校高学年だった長兄が暴れ出した。そもそもわたしの物心つく頃には長兄は暴言が酷く, 確か夏の日中の奉仕(伝道活動)の帰りだったかには帰宅するや否や母が「サタンが汚い言葉をー」とかなんとかヒステリックに言いながら長兄の口に石鹸をあてがい洗おうとしていたのを覚えている。
 その後も奉仕や集会に行きたがらない長兄をなんとか連れて行こうと試行錯誤した母は, 怒鳴っても無駄だと学び, 最終的に物で釣る作戦に出たのだろう。集会やら大会に行ったらおもちゃ(レゴやNゲージ)を買ってあげると約束した。それを横目で見ていたわたしは「ズルい」とおもちゃをねだったが, わたしの記憶では達成されたことはなく, なんなら母によるムチ(鞭打ち)に力がこもり, 幼心に理不尽さを感じたものだった。

長兄が中学に上がり, 反抗はあからさまな暴力へと変容していった。
母に対する暴言・暴力を時折目の当たりにした父と長兄が揉み合い風呂場のガラス戸が割れたり, まだ幼かったわたしが母に甘えるのに嫉妬したのか(愛着障害であろう) 長兄がわたしに向かって包丁を投げてそばにあった茶碗に当たり割れたりした。当時は何かが割れたり壊れたり壁を叩く音をよく聞いた覚えがある。
その音が響く度にわたしは普段(わたしの起きている時間に)家にいない父の書斎に逃げ込みドアを閉めては耳を塞ぎ縮こまってやり過ごした。
長兄の矛先がわたしに向かう時には, まだ小学生だった次兄が泣き叫び両手を広げてわたしを庇ってくれたことが何度かあった。
(この経験は後に, 対中学生には適応しないかもしれないが今でいうネグレクト期と自暴自棄の思春期を越えてからのわたしが次兄だけは見捨てまいと誓う所以である。)


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