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足利銘仙の宣伝・販売戦略 vol.2

こんにちは。
 
先日、夫の実家である京都に帰省してきました。そこで京都のお父さんの兄弟の方が、絹関係の卸しの仕事をしていて群馬県の桐生に住んでいたこともあるという話を聞きました!東北から北関東への転勤を聞いたときは、縁もゆかりもない土地だな…と心細く感じたこともありましたが、こんなルーツ(大袈裟⁈)が身近にあったのかと思うのと、なんだか心がほんわりしました。桐生と京都の織物の関係についても学んでいきたいと思います。

そして、お父さんから、京都の織物の話で興味深い話も聞き、それについてみんなでディスカッションできたこともとても良かったです。足利銘仙に出会えたおかげで今まで知らなかった織物の歴史や文化に触れることができるようになり、自分の中に知識や経験が増えることは人生を豊かにしてくれるものですね♪
また、西陣織会館にも行き、西陣織の歴史や実際に織っている様子を見学することができ、こうやって足利銘仙を通して織物に触れている今だからこそ、自分なりに考えながら貴重な時間を過ごすことができました。無料ですので、気軽に行けるのもポイントです(笑)
 



 
それでは、引き続き足利銘仙の宣伝、販売戦略について考えてみたいと思います。前回では、足利銘仙の宣伝、販売戦略の四つの柱のうちの一つ、足利銘仙会の発足と足利本銘仙についてお話しました。
 
今回は、当時の女学生への広まりによって銘仙がより広まりメジャーになったという点です。
足利銘仙は手頃な価格と斬新なデザインで、一世を風靡し、女学生の通学着としても用いられ、流行に敏感な女学生の間で瞬く間に広まりました。また、ある学校では、女学生の通学の服装が華美なことから、この贅沢な服装を改める目的で通学着を銘仙程度に定めたこともありました。銘仙は華美すぎず、自分好みを探しながらオシャレを楽しめるというのがマッチしたのかもしれませんね。
 
そして足利銘仙では、大物女優をポスターに起用し、女子中等学校にも配布しました。学校に配布するというのは個人的にとても驚きでした。どんな意図があったのでしょうか。
銘仙を着ることで、憧れの女優のようになりたいという願望やいつもとは違う自分への変身願望の実現、また大人へ背伸びしたい気持ちまで経験できたのではないかと思いました。
現在でも流行りを作る中高生、通じるものがありますね。きっとまだ何にも染まらない若いパワーが爆発力に繋がったりするのかもしれません。
また、学校に配布することで、学生の間で口コミで広がる為、宣伝にかかる費用を抑えることができ、とても効果的な宣伝方法だと思います。もちろん、口コミで広がるまで宣伝費用をかけたり商品力を育てる必要はありますが、そこまでの販売戦略の道筋が当時から実現していたのですね!
 
これらのことから、足利銘仙は当時の女性が自分も着てみたい、着ることで何か変わるかもしれないという思いをも実現し、自由にオシャレを楽しむきっかけにもなったことでしょう。普段着に利便性や機能性だけを求めるのではなく、着るものを通して自分を表現しオシャレを楽しむことにも繋がったのかもしれませんね。そして、それが認められる社会に変化していたということは分かります。