ごまかし育児
反省と愚痴の内容です。
我が家は共働きで、朝7:15に家族全員揃って登園&出勤する。
そのため、洗濯物たたみ、自分の身支度、夕飯の炊飯準備、朝食づくり、子供を起こす、着替えさせる、朝食をたべさせる、歯磨きをする、ゴミ出しがある日はゴミをまとめる、、、を、ほぼ私1人が担当している。
子供は、日によって機嫌の良し悪しがあり、スムースにいくときもいかないときもある。
両方の要望が通らないこともしょっちゅうである。
もうすぐ2歳の下の子が洗面所で歯磨きをしていて、おかあちゃーんと呼ばれる。
上の子はまだ朝食が終わってなくて、行くなという。
仕方ないので、上の子の気持ちにはひとまず「ごめんね、いまはあっちにいってくるね」といって放置するしかない。
そして朝食に時間がかかり、テレビを見る時間がなくなったものの、気持ちが治らない上の子は、わずかでも見たいという。
ここでテレビを見せないと、またぐずりが本格化する。と思った私は、仕上げ歯磨きをする1-2分の間だけでもと、テレビをつける。
このタイミングで、夫が怒り出す。
お前はごまかしてばっかりだ。と。
なんだその、一貫性のなさは、と。
テレビを見せたら、あとで余計機嫌が悪くなるだけだろう、と。
私は反論する。
時間がない中でたくさんのことをやっている、ごまかしながらでないと全てに対応できない。
テレビを少しでも見れた方が気持ちがおさまると私は思ったし、テレビを少しでも見たいのか、少しだけしか見れないならいらないのかは、人によると思う。
結局ヒートアップして結構な口喧嘩になり、上の子は泣き出し、最後には
「うっさい、だまれ!ばかにすんな!やってから言え!」と、大変汚い言葉を発してしまった。
夫は、また「やってない」という話になるのかと憤慨して、それなら俺がやる、俺なら朝食を食わせない、そのかわり口出しするなよ!と言ってきたので、「わかった、でも全部やってよ。起こすところから着替えから歯磨きまで」
そしたら、なんでそういう話になるんだ、、、とちょっと日和っていた…それはやりたくないんだな。まぁそうやろな。
そうそう、彼の「俺がやってる時は口出しするな」については、その言葉をそのまんま、返したかった。
私が朝、1人でやってる、あれやこれや。
それに、口出しするな、と。
ひとしきり怒り、その奥に悲しみを感じ、やるせない気分であった。
少し冷静になり、考えて見る。
多分夫は、どうしようもなく、私の姿を見ていると苛立つのだろう。
そんなことで苛立つな、といいたいが、苛立つものは仕方ない。
私も実家で、母が子供達に場当たり的に接しているのを見ると、苛立つことがある。
自分が渦中にいない時、第三者は冷静に観察できるが故に、重箱の隅の埃に気がついてしまうのだ。
ただ、夫は常日頃から常に自分は高みの見物でいるが故に、細々気づいては、私にダメ出しをしつづける。
これは、正直、しんどい。
自分が同じことをしてみたとき、本当にそんなに完璧にできるの?と、言いたくもなる。
せめて、手を動かしている私に最低限の敬意と配慮をもって、感情的でないアドバイスという形で発してほしいのだが、、、、
そういうやり取りは、これまでなんども試みてきて、夫には理解しがたいものらしいとなった。
とにかく、気に入らないものは気に入らない、黙っていることはできない、自分に非があるわけではなく、私の努力が足りず、やる気がなく、放棄しているんだろうお前は、の一点張りである。
頑張ろうと思っても、腹が立ってこんちくしょう、である。
涙がにじんできてしまう。
夫の性格、考えもある程度分かるつもりだが、だからってゆずれんやろ、それじゃ私が浮かばれん、と思ってしまう。
と、どうしても夫からの批判に対して、私は感情的にフラットになれない。
だけど、夫をいったん横に置いておいて、自分の胸に手を当てたとき、確かに、私はごまかしながら育児をしている。
たくさんのことを、日々、ごまかしている。
ごまかさなければやっていけない、と思う面もある。
だが、ごまかさずにやることが本当に不可能なのかと言われると、わからない。
私は働いているから。
私は余裕がないから。
私はもう十分頑張ってるから。
このくらいは大目に見るべきだよ。
誰でもやってることだよ。
仕方ないんだよ。
そう正当化する声が頭で響いている。
でも、本心は、ごまかさずにいたい自分がいる。
そして、これまで育児以外にも、わたしはたくさんのことをごまかし、ごまかしやってきたので、ごまかさないというのが、どうしたらいいのか分からないという正直な気持ちもある。
ごまかさないってどういうことか、どうすればいいのか、分からないけど、
わたしは、ごまかさずに生きている人を、何人も知っている。
この人はごまかしていない。
そう、分かる人がいる。
だから、本当はわたしも、ごまかさずにいたいのだ。
ごまかして生きるのは、嫌なのだ。
パートナーは鏡というが、夫は、わたしの奥深いところの本心を、ある意味でついてくる相手なのだなぁと思う。
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