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Increase your sense of self-affirmation

 さっき、親愛なる後輩(感覚としては同級生)に会ってかなり気分が良い方向に向いたもんで、先述の記事とは全く異なる書き方で挑戦してみようと思う。もっとも、この気分を少しでも長引かせようとしているだけかもしれないが。

 まず、この表題の写真を見てどう思っただろうか?まずは率直な感想を脳内に残して、この記事を最後まで読んで貰えると嬉しい。

 さて、今回のタイトル「Increase your sense of self-affirmation」の意味が一目で分かった人は、羨ましいくらい英語力がありそうだ。

 これは、俺が適当な翻訳サイトにぶち込んで英訳した「自己肯定感を高める」という意味であり、Spotifyのプレイリストのタイトルでもある。日本語そのままだと「悲しい」「自己肯定感を高める」って何かダサく感じてしまうので、イタいけれど、英語にしているだけだ。今、この言葉は教育界でも重要視されているキーワードだ。しかし現状、俺が自分に感じている自己肯定感はゼロ、何ならマイナスである。そんなある日、「感情がマイナスの時に聞きたい曲リストがあるなら、プラスの時に自分を好きになれそうなリストがあってもいいじゃない」と思い作成したプレイリストだ。

 Spotifyのプレイリスト機能には、アタマ四曲が表示される。今回は、その四曲について勝手に語らせてもらう。

 まず四曲目、BUMP OF CHICKENの「ray」という曲。

 俺は以前にも、今と似た、何なら今以上に苦しい状況に陥ったことがある。その時の体重は今の半分で、ろくに食事もとらず、ただ煙草を嘔吐するまで吸っては吐き、日光を避け、夜は眠れず過呼吸と自己嫌悪に苦しみ続ける一年半だった。

 ある日、ド素人である俺を心優しく迎えてくれた野球チームの試合があった。しかし、その日は送迎の都合がうまくつかず、駅から近い球場ということもあり、駅から歩いて向かうことになった。俺はイヤホンを装着して自分の負が渦巻く世界に引き籠って歩いていた。

 「ray」に出会ったのは、川沿いの球場に着く直前だった。

 太陽が川辺の芝生と土手道を照らし、元々中学生くらいの頃から好きだったBUMPの曲に耳を傾け、何故か元気が湧いたような気がして立ち止まり、歌詞に目を向けると、丁度二番のサビだった。


晴天とはほど遠い 終わらない暗闇でも

星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ


 この歌詞が、とても当時の俺にとっては救いだった。まさに「終わらない暗闇」に自分がいるような気がしていたからだ。でも、そこに星があれば、暗闇はたちまち美しい銀河に姿を変える。それを望んでいたからこそ、その時に涙が出たのかもしれない。その日の野球で、自分が何をしたかは全く覚えていない。だけど、人生を引っ張ってくれた一曲に出会えたことは紛れもない事実であり、野球の世界に誘ってくれたSにはずっと感謝し続けている。

 次に三曲目、アルルカンの「monster」という曲。

 この曲の何より推したい部分は、ヴォーカル暁の、歌というより台詞に近い部分である。


転げ落ちて 崩れ 打ちのめされて

嫌われても疎まれてもそうして生きてきた

僕はおかしいですか?


 正直、俺は自分のことが「おかしい」と思う。それは笑いを取る言動その他ふざけた振る舞いではなく、病を患い、感情の整理が全くできず、時に友人を不快にさせたり、自己嫌悪を繰り返したりしてきたからだ。

 そんな俺に、ヴォーカル暁の絶叫は心臓の奥まで届いた。

 

悔やんだ 日々を飛び越して
折れたままではきっと もう何一つ 許せないから
幸か?不幸か? 行く先も 知らぬまま
心と声を 震わして 手を伸ばして 何度だって


 絶叫の先で静かに語るように歌詞を続け、その後に語りから歌へと戻り、曲は続く。後述するが、後悔だらけのもうすぐ二十七年になる歳月を重ねてきた。でも、行く先は分からない。進んだ先が幸であれ不幸であれ、そこがゴールであり、新たなスタート地点なのだと。そう言い聞かせて貰えたような気がして、この曲を三曲目に選んだ。心と声を震わせ、手を伸ばして、何度だって折れようが自分がどうなろうが、前に進めそうな気分になる。

 続いて二曲目、DEZERTの「True Man」という曲。

 こちらについては、もし読者に時間があるなら、六分ほど時間を頂き、この動画を見てほしい。

 「True Man」のLIVE映像である。俺はこれを見て、何度泣いたか分からない。自分の過去と現在を照らし合わせると、「ゴミカスクソ野郎」といった言葉が似合うな、といったレベルの人間だと自分のことを思っているからだ。冗談抜きで。

 過去に遡るが、十五歳の自分はそれはそれはクソ野郎だった。毎日親や妹と衝突し、その度に母親の口癖だった「嫌なら出て行け」を真に受け、深夜徘徊を重ね、これ以上は文字に起こせないようなことも経験した。

 そんな醜い醜い自分が、この仕事に就いていいのか。続けていいのか。それはやがて、「生きててもいいのだろうか」というところまで落ちていく。別に死を望んでいるわけではない。ただ、生きている資格があるのか疑問に思ったり、純粋に生きることに疲れたりしているだけだ。

 そんな俺を、この曲は肯定してくれたように感じた。


愛して 醜さを 愛して 自分自身を

汚れた掌を握れ 綺麗じゃなくていいから

過去も未来もこの場所にはない いま此処に立て真実の人


 この歌詞に、言葉に、どれだけ救われたことか。ヴォーカル千秋は、「正しい姿で生きましょう」と言った。今の俺の座右の銘と言っても過言ではない。感情が沈み切った時にも、この言葉を思い出して何とか命を繋いでいる。元々は、この曲が先頭だったくらいだ。

 朝と夕方の散歩で、道端に吸殻や菓子パンのゴミを見つけると、無意識に拾って近くの公園のゴミ箱や携帯灰皿に捨てるようになった。(ぶつくさ文句を言いながら。)それは、この言葉のお陰だと思う。自分にとって「正しい姿」で生きていきたい、と心から思ったからこそ、こんな行動ができるのだと思う。別に自慢したり、俺っていいやつだろって大きなツラをしたいわけではない。俺の「正しい姿」がこう思うから、その感情に従っているだけだ。

 最後に、一曲目であるムックの「前へ」という曲。(正確には、「前へ-in its true light-」だが)

 この曲は三部作(三曲作?)になっていて、「暗闇に咲く花」→「嘘で歪む心臓」→「前へ」という流れになっている。アルバム「葬ラ謳」に収録されているので、興味がある人は聴いてみてほしい。


 この「前へ」という曲は、歌詞こそ難解な気もするが、俺の解釈では、一つの恋が最期を迎え、別れを決意する曲だと思っている。だから先頭にした。

 歌詞内に、「アレ」という言葉が出てくる。あくまで俺の解釈であり、より深く歌詞を解釈する人との解釈違いがあれば大変申し訳ないのだが、「アレ」とは、失恋後に残るもやもやしたような、引きずり回されるような、底のない深い穴に落ち続けるような、あの感覚のことではないか。一言で表すと「未練」ではないかと。


相変わらず「アレ」がちらついて 今夜もうまく眠れない

死んだように生きるような日々に 不感症気味の日々


 歌詞の始まりの部分である。


どうやら「アレ」も消えたみたいだ


 歌詞の最後の部分である。きっと、俺の解釈する「アレ」を乗り越え、「前へ」進めたのだろう。

 今の俺は、二重の「アレ」に取りつかれ、さながら心臓を内側から八つ裂きにされているような気分であり、まだ「アレ」を振り切れていない。

 でも、過去に二度、心臓を鷲掴みにされるような、その人しか見えなくなるような熱烈な恋をしたことがある。どれも上手くいかなかったけれど。そして今回、三度目も上手くいかなかった。

 思い返すと、自分の中で何とか振り切ろうとしていくうちに、「アレ」とは決別できていた。過去の二度惚れた相手を思い返しても、もう特別な感情は一切ない。きっと、いつか「アレ」を振り切れる日が来ると信じて、世界の沢山の光を浴びて生きていく他ないのだろう。だから、この曲を先頭に持ってきた。いつの日か、「アレ」も消えたみたいだ、と言えるように。

 散々語り散らしてきたが、ここは俺の独り言をぶつける場であり、解釈違いや「それ違うやろ」というツッコミもあると思う。だが、いずれも俺が敬愛するバンド達である。だから、そう思った人は、どうか生温かい目でこの馬鹿者を許してほしい。

 さて最後に、冒頭の写真の話をしてこのダラダラ話を締めようと思う。

 この写真は、自分で言うのも何だか変な気分だが、綺麗に撮れたと思う。そして、この場所で告白し、振られたのである。

 告白した相手は知り合った時から面白くて、話をしっかり聞いてくれて、何より最後まで優しかった。この写真を見ても、「アレ」がちらつかなくなることを祈って、この写真を表題に選んだ。「アレ」が勝手に消えるのか、それとも自分で消せるのかは俺には分からない。今の俺の現状も含めて、俺の嫌いな言葉ではあるが、この言葉で終わりにしよう。

「時間が解決してくれる」

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