障がい児は、人の気持ちを変える力がある。素晴らしい社会貢献の話。

最近、ある養護学校の校長を取材した。記事には書けないほど衝撃的な体験を語ってくれたので、noteに書き残しておく。

親がさまよう奈落の底

インタビューが始まり、校長はすぐに答えた。「障がいのある子を持つ親は皆、絶望の末に、養護学校にやってくるんです」

肢体不自由、重度の知的障がい、それらが重複した子どもも入学する養護学校。小学部の入学式を終えた母親の表情は、皆、絶望的な色をしていると、校長は話す。「誰でも妊娠中は、お腹に胎児がいる喜びを味わう。生まれてくる子どもの将来に夢を描き、期待に胸を膨らませている。そして、出産。生まれてきてすぐ、肢体不自由や知的障害のため、我が子が『生涯寝たきり』になることを知り、奈落に叩き落されます」

「どうしてこういう子が生まれたんだろう」「どんなに時間が経過しても、生涯、社会に出て働くことなど叶わないのではないか」。そんな不安だけではない。夫の家系に誰も障がい者がいない家庭の場合、お姑さんから「こういう子どもが生まれたのは、あなたのせい!」とお嫁さんがなじられる。

だから校長は、入学児童の母親たちにこう伝える。

「障害のある子どもには、人の気持ちを変える力がある。それは素晴らしい社会貢献だと思います」

おむつ交換とスプーン

校長が養護学校教諭になったのは、23歳の春。大学新卒で着任した学校で、いきなり目の当たりにした光景に衝撃を受けた。自分で椅子に座れない小学5,6年の児童たちが床に寝かされている。猛烈な悪臭。教師たちがおむつ交換をしていた。

「大変な世界に入ってきてしまった」。新米教師にとって、他人の大便の処理は「いやでいやで、仕方がなかった」。おむつ交換に悪戦苦闘しながら、鼻を衝く悪臭に、こみ上げる吐き気。嘔吐を堪えたのは1度や2度ではない。

いやな仕事。それが、愛すべき仕事に変わったのは、ある男子との出会いだった。

担当した小学6年の男子児童が、頑なに食事を摂ってくれない。何度もスプーンで食べ物を口元に運んだが、必ず口をつぐみ、顔を背けて拒絶する。「〇〇君は、いつも食べようとしないんだよ」と、先輩教師もさじを投げていた。信頼されていない現実を突き付けられ、教師として自信を無くす日々。それが1週間続いていた。

「どうせ今日も食べてくれないんだろうな」。その日も悲壮感が張り付いた顔で男児と向き合い、スプーンを口に運んだ。

その瞬間、「〇〇君がぱっと、大きく口を開けたんです」。目を疑う光景だった。見ず知らずの他人から、何かを口に入れられるという、得体の知れない恐怖。それを初めて乗り越えようとしている。「ようやく、俺を先生と認めてくれたのか」。心が震えた。重度の障がいのある子どもが心を開き、初めて信頼を向けてくれようとしていた。「あの姿は、30年経ったいまでも鮮明に覚えている。涙が出そうなほど、うれしかった」

障がい児による社会貢献

1年間、この男児を担当した。毎日の食事の介助、苦手だったおむつ交換も、難なくこなせるようになっていた。

3月、迎えた卒業式当日。わずか1年だけなのに、小学部から中学部に進学するだけなのに、男児の姿が少しだけ、逞しくなったような気がする。卒業証書を手渡されるその姿を見つめるうち「涙が溢れ出して、止まらなかった」。周りの先輩教師たちから「泣き過ぎだよ」と笑われたが、そんな嘲笑など、どうでも良かった。ただただ、涙でぐしゃぐしゃだった。

「あれから30年。苦労は多かったけど、この仕事を辞めたいと思ったことはない。1年目に感じた大きな喜びが、ずっと心の支えになっている」

校長となったいま、確信している思いがある。「障がいのある子どもは、人の気持ちを変える力を持っている。障がい者に対する恐れを、『理解する気持ち』に変えてくれる。それは、素晴らしい社会貢献なんだと思う」。人の意識が変われば、社会が変わる。「障がいの有無を問わず、誰にとっても優しい社会になってほしい」

養護学校では、今日も教師たちが食事の介助をし、おむつ交換に奮闘している。指導に悩む若い先生にも、子育てに絶望しかけた親たちにも伝えていきたい。新米教師とスプーンを受け入れ、心を開いたあの子が教えてくれた喜びを。


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