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今は亡きラフェール・ルイ・トリオのライヴ動画に過ぎし日を想ふなど

1987年のデビューから98年の解散まで、おフランスらしいセンスとウィット、それにそこはかとない詩情に満ちたポップな音を鳴らしたこのバンド、不世出の天才だったとわたしはいまでも思うのです。
最近になってそんな彼らの当時のライヴ動画がいくつも出てきていて、ファン歴30年以上のわたしも感無量です。

まずはこれ、1993年のライヴは4枚目にして最高傑作「Mobilis in mobile」リリース後のもの。ステージに置かれた大道具はジャケ写にあったセットですね。

大名曲バラード「Loin」は、レコードでは弦カルテットがバックでしたが、ここではギターをバックに、椅子に掛けて斜に構えて歌うクリート兄貴が最高に粋です。

そしてなんと、93年来日時のライヴも。この時はフェス出演者の一つとして呼ばれてきてて、会場は渋谷オンエアでしたか。

なんでそんなに覚えてるかというとそのときチケット買ってたんですよ。けど当日緊急の仕事が入って断念。まだ修行中のソルジャーだったので離脱もできず。当時狙ってたおねえちゃんの分も買ってて一緒に行くはずだったのに(涙)
聴けるのは「それだけはヤメテ Tous mais pas ça」1曲ですが、ホーン隊も加えた10人編成。いやー当時のわが国はお金持ちでしたねえ。

もうひとつ1987年デビュー直後、地元リヨンでのライブ音源(音のみ)。
1stと2ndは管弦のアレンジが大仰すぎるきらいがあり、楽曲の良さが覆い隠された感があります。しかしこのライヴではバンドが前に出た音で、これこれ、こういうアレンジで聴きたかったんだよと溜飲が下がるものがあります。
客の歓声は女子率高いし、アンコールは3回!(2回目の曲はアンリ・サルヴァドールの曲)。デビュー直後から人気もりもりだったんだなあ…。


これ聴いて思うに、初期2枚でコテコテに盛られたフェイクラテン風味はやはり制作サイドのやり過ぎだったのではないかと。バンドのラテン度はもともとこのくらいで、マット・ビアンコに通じる軽快なバンドサウンドが本来の持ち味だったんだと今思います。実際3rd以降はバンド中心の音作りに回帰してるし。

解散後、キーボードのブロンコJr. ことフランソワ・ルブルは脳梗塞で46歳没、シンガーのクリート・ボリスことユベール・ムーニエは大動脈瘤破裂で53歳没。残ったのは思い出だけ…。
フランス人、喫煙率高いからなあ…。

没後、バンド・デシネ(マンガ)作家としても名声を得ていたユベールを顕彰して、バンドの故郷であるリヨンの街には「Place Hubert Mounier」と名付けられた広場があるそうな。

僕は ずいぶん遠くにいた
遠くまで来たことを 振り返って感じることもできないくらい
君からずいぶん遠いところに来た
もう愛さえ何もできないぐらい遠くに
君がいなくなったことも想像できないくらい 遠くに

「Loin」拙訳


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