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1993年 SideA-4「東京は夜の七時/ピチカート・ファイブ」

小西康陽作詞・作曲・編曲

・「ウゴウゴ・ルーガ2号」(フジテレビ系 1993/10/22~1994/2/25)オープニングテーマ

 「ウゴウゴ・ルーガ」は、1992年の秋に朝6時10分から30分間の帯番組としてスタート。深夜帯の開拓に成果を挙げたフジテレビが、最後の未開の地=早朝の時間帯を掘り起こすべく「カノッサの屈辱」の桜井郁子プロデューサーと「アインシュタイン」の福原伸治ディレクターを送り込んだ確信犯的チャレンジ番組であった。主役のウゴウゴくんとルーガちゃんを除いてセットもキャラクターもすべてCG。テレビくんやシュールくんなど主要キャラクターの声はすべてスタッフが行うという家内制手工業ぶり。扱うテーマはウンチだオヤジだボディコンだととにかく下品でシュールでオフビート。子ども番組の体をとりながら、予算のなさと時間帯の悪さを逆手に取った超絶自由な思いつきの撮って出しを「おきらくごくらく」と言い切る乱暴さ。これが当時のエッジ好きの若者たちに熱狂的に支持された。実際、内容もテンポ感も当時の最高峰サブカルチャーといってよかった。この手のチャレンジとしては稀有な成功例であった。

 そして放送開始から1年後の93年10月、ついにゴールデンでの放送に踏み切った。それがこの「ウゴウゴ・ルーガ2号」である。レギュラー枠も継続したままでさらにゴールデンというのも無謀な話であった。翌1994年の春の「めざましテレビ」スタートに伴い、本編・2号ともに放送を終了。正しく使命を終えての臨終だった。ある意味当時のフジテレビの自由さを最も忠実に体現し、時代に殉じた番組であった。

 「東京は夜の七時」は、1993年夏のカネボウキャンペーンソングとしてスマッシュヒットした「スウィート・ソウル・レビュー」に次ぐピチカート・ファイブのシングルで、「ウゴウゴ・ルーガ2号」のオープニングテーマに使われた(エンディングがコーネリアスの「PERFECT RAINBOW」だったから、狙いは明確であった)。放送時間が金曜の夜7時だったことに着想を得た(おそらくは)一種の夜遊びソングで、矢野顕子の大傑作ライブ盤から引用されたタイトルもここではプラスに働いた。今でも夜の7時に東京でこの歌を歌うっていう人、結構多いんじゃない?(つい先週も羽田空港国際ターミナルで行われた音楽フェスで、野宮真貴本人が夜の7時きっかりに歌っていたそうだ)。

 よっぽど相性が良かったのか、翌年番組キャラクターも多数参加して「ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイブ」というミニアルバムも発売された(カセットテープはコロちゃんパック仕様だった)。そして家内制手工業の一環としてシュールくんの声を担当していた元フジテレビ社員は、のちに野宮真貴と結婚した。相性が良いにも程がある。

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