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永遠を願わずにはいられなかった


お久しぶりです。Twitterのアカウントを閉じてしまったので見てくれている方もういないかもしれませんが、どうしても、どうしても、気持ちの整理ができずnoteを開いてしまいました。

わたしは十五祭が初めての関ジャニ∞で、普通に好きだったけど大ファンっていうわけでもなかった。彼らの歴史や思いなどを全然知らずに参加した。こんなわたしが胸中を綴ることは長年応援してきた方に失礼ではないか?とも思った。だけど、あのコンサートは本当に感動して、関ジャニ∞のことを大好きになったのは本当で。どうしても、どうしても、自分の中で消化できなくて…。自分の感情がわからない。言葉にもできない。本当にびっくりたとき、人間は(というかわたしは)「悲しい」「つらい」「なんで」といった感情より「無」が先行することに気づかされました。これは2回目の経験です。ちなみに最初はいきものがかりの放牧宣言。

十五祭、本当に本当に最高だった。最高すぎてGR∞ESTのDVD買ったもん。わたしが人生初のドームでのコンサートだったこともあって演出も感動したし、何より素人目線でも15周年への特別な熱い思いを感じることができた。本当におめでとう。そして、ありがとう。15年積み重ねているだけあって楽曲も多いだろうからすべてをチェックするのは厳しいなと思った素人は、予習としては2つのベストアルバム(8ESTとGR∞EST)に絞ったのだけれど、当日のセットリストは聴いたことない曲ばっかりだった。なのに、めちゃくちゃ楽しかった。これってすごくない?わたしは基本的に「ああ、この曲は元気ほしいときに聞いたな、今の曲は大変だったときに聞いてたな、さっきの曲はバス停でときめきながら聞いてたな」などと自分に寄り添ってくれた楽曲を生で聴けることに感動するタイプの人間である(もちろんコンサートで聞いて初めて好きになった楽曲もたくさんあるけれど)。なのに半分以上知らない曲だったにも関わらず「めちゃくちゃ楽しい!!!!!!!!」と思えたのはひとえに関ジャニ∞の力なのだと身をもって体験した。この衝撃は人生で初めていきものがかりのコンサートに行ったとき(忘れもしないNEWTRALツアーの大阪城ホールでの公演)以来である。

批判を恐れず言うと、春に報道が出ていたのもあって覚悟はあった。いや、覚悟というほどのかっこいいものではないけれど、万が一のため心の準備をしておいたほうがいいなとは思った。実際そんなにできてなかったけれど。報道を鵜呑みにしていたわけではないし、本人たちからの言葉もない以上疑惑でしかなかったのだが、大人になるにつれ「心の傷を最小限に抑えたい」という守りの姿勢が強くなっていったこともあって「最初で最後かもしれない」そう思って参加することにした。どのみち今日の公演は今日しかないのだから、それくらいの心持ちで参加したほうがいいというのは間違いじゃないと思ったから。

しかし、コンサート中の彼らは本当にエンターテイナーで報道のことなんてすっかり忘れてた。キラッキラしていて、全力で夢を見させてくれる彼らを見ていると、この輝きは永遠に続くのだろうという希望を持たせてくれた。誰かよくわからないひとが書いた記事より自分の目で見て自分の身体で体験したあの奇跡を信じることにした。無論、世の中諸行無常である。永遠などないのだ。当方、逃避しがちではあるが現実世界でなんとか生きているためそれくらいわかっている。しかし、あの瞬間、わたしは永遠に続いてほしいなという希望を抱いてしまった。わたしは、普遍的だと揶揄されることもあるいきものがかりの大ファンであるが、彼らの歌は案外現実的なところもあって、絶対に「永遠」を歌わない。結婚式ソングとして制作された「茜色の約束」という楽曲にでも「別れ」という歌詞が入っている。この言葉が使われているからと結婚式に使うことを辞める方も出てくるであろう。そのリスクを承知で彼らはその言葉を紡いだ。理由は、たどり着く道のりは違えど、「絶対に終わりは来る」からである。人間は無い物ねだりである。だからこそ絶対に手に入れられない「永遠」を求めてしまうのかもしれない。

「永遠にこの関ジャニ∞を見ていたい」
儚い夢であったが、一瞬でも永遠を感じさせてくれた彼らは本当にアイドルそのものだった。

まだ書きたいこと全然書けてない気がするけれど自分が何を考えているのかさっぱりわからないのでいったんおしまい。

#関ジャニ#十五祭

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