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これってタオルじゃない???

 2021年に 両国の江戸東京博物館で開催された「大江戸の華」展で
タオル生地のような展示品を見つけてビックリしました。

 武家の儀礼と商家の祭りと副題にあるように、戦乱のない三百年の
平穏な時代にあって、武家も庶民も唯々美しさ求めることが許された
熟成の文化の「華」たちが一堂に会したのです。
一口に三百年と云いますが、世代で云えば親子10代にもなり、
平和が当たり前の時代に生きた人々の功績です。
私の両親は大正生まれで、青春を世界大戦に捧げた世代であり、
改めて300年の平和の重みを感じます。
 
 美が極まった大江戸の工芸の数々に感嘆の声を漏らしながら見て歩き、
鎧兜の展示コーナーに足が止まりました。
甲冑の数々も刀剣も、もはや実戦向きではなく、ひたすら美術工芸の価値に重きがおかれています。
先の大戦に敗戦して多くの美術品が戦勝国に収奪されましたが、
甲冑は人気があったそうです。  
この展示会のために2領の甲冑が里帰りしていました。
 
 それらの甲冑の側に「白天鵞絨地胴服」と表記された着物が展示されていました。
17世紀、高い位の侍が鎧の下に着ていた異国の生地で仕立てられた襦袢とありました。
 その服の見頃に使われている厚地の生地は、なんとタオルのパイル地の
ようでした。
単純にタオル地とは云えませんが、確かに長いパイル状の糸が
びっしりと表面を覆っています。

 日本がタオルを輸入し始めたのが明治5年(1872年)のことですから、
250年も先駆けていて、改めてタオルとは何だろうと興味が湧き
調べてみました。
 
 16~17世紀と云うと今のトルコ、オスマン帝国が勢力を奮って
ヨーロッパ、中東を支配していた繁栄の時代です。

 イスラムの君主スルタンの豪勢な生活ぶりは、
アラビアンナイト・千夜一夜物語にあるように贅を尽くし、
ハーレムでは愛憎、欲望が渦巻いていたといいます。

 王の子孫繁栄はことの他重要で、後宮ハーレムの規模も
想像を絶するものでした。
スルタンへの献上としての女奴隷たち、戦利品として捕らえられた
女性たち、奴隷市場で買われた女奴隷たちで、
千夜一夜物語・ハーレム千人と伝えられました。

 つい語り手の口が滑ったのでしょうが、実際は1603年時点で
266人という記述があります。それでも大変な人数です。
若い娘たちは、文化、文芸の教師たちによる高い教育を受けて音楽、
舞踏、演劇などを学びました。
美と教養が試され、スルタンに選ばれて子を産めば、
一躍王妃として格別の扱いになるため、美容と勉学には
余念がなかったに違いありません。

 特に美形のコーカサス系の女性が好まれたようです。
一方スルタンの好みではない女性は教育が終わると持参金をもらい、
自由になって普通に結婚して行ったそうで、どちらが幸せだったかは
は知る由もありません。
 
 ハーレムでの女性たちの暮らしは、大勢の宦官たちが身の回りの世話をしたので、慌しいものではなく、むしろ退屈な時間が多く、手慰みとして
手間の掛かる工芸も厭うことがなかったようです。

 ある日、ハーレムの女性が織物をしていて粗い目で緩く織った布地に、
思いつきで別の糸を差し込んでみたら表面にくるりと輪が出来て、
これは面白いとなりドンドン進めて、装飾として工夫しているうちに
洗練されてゆき、とうとう立派な厚地のパイル布地ができたのではないかと
いわれています。
これが後にトルコのタオル「ターキッシュタオル」と呼ばれ、
大変に貴重な布地となりました。
この手法が現在のタオルの原型となったようです。
 
1850年にイギリス人のヘンリー・クリスティが、当時のスルタンから
ターキッシュタオルをもらい受け、それをイギリスに持ち帰り、
織機の専門家サムエル・ホルトに相談したところ、
これは凄いと感心し、早速、織機の改良が始まり、
なんと翌年には完成させるという程の意気込みでした。
二種類の縦糸を張り、一つがループを作り、
もう一つが地組織を形成しました。
これを特別にテリーモーションと呼ぶことにしました。
 
 二人ともこのタオル地に夢中になり、クリスティーは
イギリスでクリスティータオルの事業として成功し、
ホルトの方はアメリカに移住して、1865年にニュージャージー州の
パターソンにAmerican Velvet Companyを設立して、
本格的なタオル生産を始めました。
 この会社名を日本語にすると「アメリカ鵞絨商会」となります。
「鵞絨」はベルベットという意味です。
さてそこで、冒頭の鎧の下着の名称を見ると
「白天鵞絨地胴服」とあり、
あえて云うと「白天ベルベット地胴服」ということになります。
ここで話の糸が、めでたく繋がったという訳です。
 
 きっと長崎出島からトルコの貴重なタオル地が入ってきて
武将の元に届き、着物として縫製されて、大切に今日に
伝わったということでしょう。
日常、なんていうことなく使っているタオルにも
こんなに面白い歴史があるのでした。

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