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信州吉野太夫新説

 中山道と北陸道の分かれ道の 信州追分宿に 志乃という
えらく美しい娘が おってな。
佐久の貧農に生まれ、追分宿の 遊女となったんじゃ。
浅間山の雪のように色白で 目鼻がくっきりとして、
流し目で微笑んだときにうっすら表れるえくぼに男達は悩殺されたもんよ。 井原西鶴の「好色一代男」の中に出てくる京都の有名な遊女の吉野太夫の
名をいつしか名乗るようになったが、誰も文句は云わね~さ。
吉野太夫とは大きく出たもんだと、遠方からやってくる者もおってな。
一目見るとその美しさに息を呑んださ~ね。
信州の吉野太夫は綺麗なだけじゃない、
なんとも云えない愛嬌が値打ちを引き揚げたさ。

    時は幕末、尊皇攘夷の志士たちが江戸と京都を行き交った。
   江戸城坂下門外で老中襲撃事件があってから 幕府は
   倒幕を目指す浪士たちの粛正に血道を上げた。
   長一郎も追われる身となり、恩師の地、佐久に逃げて逗留した。
   そして京都からの同士達と江戸に攻め込む謀議を繰り返した。
   酒席で吉野太夫に見初めた長一郎は会う毎に思いを募らせていった。    西と東の要衝、ここ追分宿は人も情報も交差し、 宴席の吉野太夫の
   耳に幕府の動静が入り、惚れた長一郎に話して聞かせた。
   ある時、幕府軍が反幕の浪士と協力者共々討ち滅ぼすため、
   ここ追分宿に攻め上ってきていることを察知した。
   吉野太夫の身を案じた長一郎は、置屋の主人と共に一計を案じた。
   はやり病で死んだ女郎の亡骸を吉野太夫として葬り、
   目立つところに 墓石を建てて、宿場の者達には幕府方の者が
   内通のかどで 吉野太夫を斬首したと触れ回り、
   追っ手の気勢を削いだ。

 すんでの所で、長一郎と吉野太夫こと志乃は上田に逃げ伸びたさ~。
激動の明治維新に揺れる東西の都とは隔絶した静かな山川草木の中で
太郎山を眺めながらひっそりと田畑を相手に三男二女を育てながら
豊かに暮らしたんだとさ~。
 


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