見出し画像

ひとりじゃなく、みんなで。

始まりの春なのに。何をしてもうまくいかない。やらなきゃいけないのに、できない。春のスタートはどんよりしていた。

今まで、半期に2~4回ほど開催しているカフェゼミの準備は1つ上の代の人と準備することが多かった。それぞれの想いからアイデアを出しながら、準備するものを決めていた。今年に入って4年生になり、今いる2年生と3年生は新しくゼミに入ってきた子ばかりだ。「自分から動いて頑張らなくては、やらなくては。」と、責任感が強まれば強まるほど、自分の頭が固くなっていく。案の定、動けなくなり、みんなの助けを借りることになった。みんなで話しあうと今までにない新しい案も出て、良い空気で進んでいった。つい「自分がやらなきゃ」と思うと周りが見えなくなるものだ。頑張る内容を人に話さないで1人で頑張ろうとするものだから、それが空回りして、周りには自分の思いが伝わらずに孤独に感じ、より自分自身を苦しめていくのだと思う。

 7月にあったセクシュアル・マイノリティをテーマとする作品を上映する映画祭、レインボー・リール東京のボランティアに参加した。その時に「日本語字幕が付いていないから、日本の作品の映画が観られない」という外国人の方からの意見があった。その後、耳が不自由な方もそうではないか、と思った方が聞いたところ「私たちは観られないと諦めている」とおっしゃっていたそう。外国語の映画には字幕が付き、吹替やもともと日本語のものには字幕はつかないことが「当たり前」だと思っていた。私自身、言われないと気付かないことに心がざわついた。マイノリティの話にも繋がっていくとは思うが、マイノリティに限らず、一人ひとりが感じることや意見を言葉にして発信するのは大事だと改めて感じた。みんなが想い気付き合いたいと思うけれど、それでも、自分が思っていることは言葉にしないと伝わらない。共有してこそ、何か問題があればそれに向かって解決策を考えようとする。もっと多くの人の気持ちに触れ、色んな自分の中に潜んでいる「当たり前」にも気づいて、みんなにとっていい場になるよう変えていけたら。

それぞれが一人で頑張っているよりも、みんなで一緒に考えた方がより多くの気付きがある。「自分はみんなよりも経験しているから自分が頑張らなくては」と思っているうちは、そもそも人との関係性を上下で考えている上に、ただ前にやったことのバージョンアップをしているだけだ。それよりも「みんなが違う経験をしてきて違う考えを持っているのだから、それらを出し合える場を創ろう」と思える方が好きだなと思った。

私自身は大学4年生で普通は引っ張っていく立場なのかもしれないが、私はこの春学期にフラットにみんなでやることの魅力を改めて感じた。だからこそ「言いにくい」「言ってもしょうがない」という想いを少しでも減らせたらなと思う。自分自身もふさぎ込まずに人に話すようにしていきたいし、他の人がふさぎ込んでいることにも気づいていけたらなとも思う。

#MELCブログ #春学期の終わりに_mb

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?