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ご無沙汰。

生身の人間と過ごす時間が増えた。
部署が変わってからというもの、同世代の同僚が一気に増えて。

美味しいお酒とおつまみいただきながら、平気で5〜6時間を過ごしたり。

意味がある無いなんて関係なく、その場にいることで何か運が動いているような気がする。

そのためにはやはり、多少面倒でも、体を動かし自分を動かして、ぼそぼそと口を動かし、うんうんと頭を動かさねばならんようで。

そういう原理がおもしろ楽しく感じられるようになったのは、人生の反抗期を最大限反抗して過ごすことができたからかな、分からないけど。

そんなこんなで、何かしら作ろうと思って買っていた食材もダメになり、洗濯物もなんとか間に合わせる始末、本なんて読めた試しないけど、生身の人間から得られる細々とした事柄をふむふむと自分の身にかけ流す時間を適度な脱力と信頼の適当なポジションで過ごしている。

最近あまりにも果物と生野菜が足りてないから、ここからの一週間は努めて摂取する。それだけは頑張る。

‥深夜のミスドにうはうはしてる今も、いいもんなんだが。

そういえば心に一人、留まる人間が現れた。
この先のことは何にもわかりゃしないが、留まるんだから仕方ない、成るように成れ。

その人は、私の心の中で起こったある反応を、目が合った瞬間、そのままの言葉で伝えてくれる。その人は、私がどんなふうに遠回しに伝えようかと立ち止まる”あること”を、目が合った瞬間、私の気に入る言葉を使って伝えてくれる。それも、片方が片方に伝える言い方ではなく、あたかも私が同じことを同じ思いで企んでいることを知っているかのように。

つまり、会いたいとか、食事に行きたいとか
つまり、もっと一緒にいたいというようなこと。

期待どおりの言葉を言ってくれる人を心に留めることが自分に対する甘えのような気がして許しがたいような素振りを見せる自分を繰り返し宥める。大人になるとはそういうこと、曖昧で単純なことに身を任せるというラフさ。確かめることや疑うことに労力を費やさない、ただ流された先で待っている予想できないことにただひたすら向き合うだけ。

それにしてもこういうことってのは、本当に突然やってくるんだ…

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