10/23

こないだの土曜日は、銀座に行く用があった。

休日の朝、駅のホームで電車を待つ。スマホというのは魔法の道具だ。定刻を過ぎてもやって来ない電車の事なんて、もはや、電車を待っていることすら、この意識から遠ざけてしまう。

アイコンタクトや人との関わりをできるだけ遠ざけるこの国の人には、スマホはどこでもドアで、逃げ道なのではないだろうか。

ホームで電車を待つ時間も、電車に乗り込んだ後も、街を歩いていても、何もせずぼーっと立ち尽くす事に恥ずかしさのようなものがあるのではないだろうか。

誰か見知らぬ人と目を合わせざるを得ない状況において、彼らはすぐにそのポケットから、どこでもドアを登場させる。

私は比較的、ぼーっと立ちつくせる人間だと思う。
どこのホームでも、誰かと目が合うし、あぁ向かいのおじさんいやらしい目をしてる、なんてことまで分かってしまったりもする。

こんなにみんなの意識が逃げられる場所が各々の目の前にあって、隣の人や向かいの人の顔も一瞬たりとも目にしない世界。見て見ぬふりのもっと手前で生きる人々。見ることすらなく、見ずに終われるような世界。それでも続いていくこの社会。

その時、ホームにチャイムが鳴り響く。

『えー、品川方面行きご利用のお客様に、電車運休のお知らせを致します。10:45頃、お隣〇〇駅にて人身事故が発生致しました。ご利用のお客様に於かれましては、…』

腕時計を見ると、確かに定刻を10分近く過ぎていた。

定刻を過ぎても騒がない客。
そもそも気が付かない客。
アナウンスが流れていてもスマホを見つめ続ける客。
暫くの間運転見合わせと聞いてスマホから目を逸らさず顔色ひとつ変えず無言で下り階段へそろそろと進んでいく客。

色んなことに慣れてしまった、この世界、この社会。

私は会う予定の人に一報を入れ、駅員に振替輸送の話を聞き、移り住んで間もない街の駅前を見渡す。バス停を一つ一つ見て歩く。大半の人が流れていく方向へ進む。

(こんな事も無ければこのルートも知らないままだったし、新しい事も知れたしまぁ、よかったかな)
なんて思いつつ、目的地行きのバス停で立ち止まる。

振替輸送の為のバスが次々に到着する。

バスに乗り込むと、道路は慌ただしくなった。けたたましいサイレンの音、消防車、救急車、消防車。

『通りまーす道開けてくださーい』
とマイクで大きく語りかける救助車両。


この人たち、目の前をどタイプな美女が通りかかったなら、こんな緊急事態の最中でも目を奪われるんだろうか

勇ましい眼差しで車両に乗り合わせているレスキュー隊を見てそんなことを思う。

あぁ、こんな日に当たっちまったなぁ、なんてこと思ったりするのかな。
これからこの人たちは血と肉の海を見ることになるのかな、だとしたらまさに今この瞬間この人たち、何を考えて現場に向かっているのかな。
やっぱり仕事だから、やんなくていいことはやりたく無かったりするのかな。

とか思う。

騒がしいその光景、バス車内の誰もが視線を奪われている。

手前で緊急車両待ちで寄せているスポーツカーに目をやる。

気持ちよさそうだな。

今日はカラッとした秋晴れで、日差しもあたたかく心地よかった。

隣駅、飛び込む前、その人は一体どんなことを考えたんだろう。

きっと、どこでもドアがいつでもポッケに入っているこの社会には、視線を逸らすことを躊躇わない人の方が多いのかも知れない。わからないけど、でも、そうかも知れない。

見て見ぬふりすら出来てない社会があるかも知れない。そもそも、一度も見ることすらない、かも知れない。見ないふりすらできないくらい、そもそも見ていないものがたくさんあるかも知れない。

こんな事言っている私だって、隣駅で誰かの命がその人の決断によってなくなってしまっている最中に、あんなことやこんなことを考えてるんだから、結局、私もその社会の一員だ。

常に加担している。私は。
間違いなく、そういったこと全てに実は、力を貸しているんだろうと思う。

あんまりにも目と目が合わないこの日本社会で、せめて逸らした視線の先にあるものがこの小さな画面を纏った機械でしかないこの世界で、だれか何か救えるんだろうか。

予定よりも90分遅れで到着した目的地。
ごった返す休日の銀座、すれ違うのもやっとな人混みの中、どんな思いを抱いても、結局そんな大量の人間たちの間に一人埋もれることに心地よさを感じてしまった時点で、また一つ、何かに加担した気がした。

これってほんとの平和なんだろうか。
平和って本当はなんなのか知らないけど、日本は平和だと言えるんだろうか。

平和と無関心って表裏一体なんじゃないか。
それは社会でも会社でも他人でも。

家族はどうだかしらんけど。

この平和の裏に隠された巨大な無関心が水面下でこしらえている物についてを想像したら、少し怖くなってしまった、そんな休日。

紛れもなく自分も加害者であることの自覚を持った、束の間の休日。

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