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潜在意識から読み解く『みぃちゃん物語A面B面』


この物語は、私、ワンネスカウンセラー瑞羽が、生まれてから今までに辿ってきた人生を物語風に語ってみたものです。

ただし、普通の物語とはちょっと変わった書き方にしてみようと思います。
「みぃちゃんA面」と「みぃちゃんB面」
同じ出来事を二つ側面から語った物語です。

「みぃちゃんA面」は、私が記憶している顕在意識から見た物語。
「みぃちゃんB面」は、私が潜在意識から見ていた物語です。
B面はサイキックセンスやヒプノセラピーを通じて、潜在意識で見て来た私のもう一つの物語です。

顕在意識とは、普段私たちが認識している意識。
潜在意識とは、普段私たちが認識出来ない意識。
普段私たちは、認識している顕在意識の世界がすべてのように思っていますが、実はまったく逆です。実際には、潜在意識が95%もの意識を司っていて、現実の世界にも影響を与えているのです。

顕在意識と潜在意識。
二つの世界と、そのつながりや違いを感じて貰えたらと思います。
では、どうぞ。


みぃちゃん物語A面(顕在意識)
生まれてから幼稚園まで

生まれたときの記憶はまったく無い。
だけどお母さんによく聞かされたのは、こんな話し。
「あんたが生まれる前に、実は流産してしまった子がいたの。だから、あんたがお腹にいたときには、たくさんの薬を飲んでいて・・・。それで、あんたが"薬のせいで奇形児になるんじゃないか・・"って、そう思ってお母さん心配で堪らなかったの。生まれる直前まで、あんたはお腹の中で逆子になっちゃって、なかなか直らなくて。そのことも随分心配したの。やっと生まれてきたあんたを見て、真っ先に手の指と足の指がちゃんと10本あるかを数えて確認したんだから。それで、あ〜ちゃんと10本ある!って、やっと安心したのよ。」

お母さんは公務員で、朝早くから夜まで働いていた。家にはおばあちゃんが居たけれど、朝、お母さんが出かける時に、私は毎日泣いていたそう。2〜3歳の頃の話し。これも、自分では覚えていない。お母さんに聞かされた話し。
「あの時は本当に困って、辛かった。だって、あんたが毎朝、玄関のところで泣いてるんだもの。おばあちゃんに預けて、逃げるように出かけたのよ。本当にあの時はつらかった。」
こう言われる度に、責められているような気持ちになった。
私は、幼稚園の頃には"人前で泣いてはいけない"ってもう思っていた。いつしか、私は泣かない、手のかからない子になっていった。

それから、家の駐車場の所で転んで、目の下を切ってしまったことがあった。これも2〜3歳の頃。
「あんたがちょうど転んだ所に、割れたガラスの瓶があってね。血がたくさん出て、そりゃあびっくりして大変だった!顔だから、傷が残ったらどうしようって、すごく心配したのよ。」
これも覚えてはいない。今でも傷は小さく残っているけれど。

ここからは自分の記憶。
幼稚園の年少さんの時、これから帰りるところだった。みんなで並んでいる時に、脇腹が痛くてたまらなかった。少し前に鉄棒で遊んでいた時に、間違ってひどく打ってしまったのだった。本当は歩けない程痛かったのに、何故か先生にも友達にも、誰にも言えなかった。"言ってはいけない"と思っていた。"気づかれないようにしなくちゃ"って思っていた。この時の気持ちをとてもよく覚えている。
そして結局、帰る道の途中で倒れてしまったのだ。後で、「どうして言わなかったの?」って怒られた。

みぃちゃん物語B面(潜在意識)
生まれてから幼稚園まで

瞑想していたら、お腹の奥の子宮の辺りに"怖さ"を感じた。この"怖さ"なんだろう・・・。そう思って、そこに入っていった。
すると、真っ暗な中にいた。真っ暗だけど、あたたかかった。
お母さんのお腹の中だ。そう感じた。
そして、とっても不安で、怖くて、縮こまっていた。
お母さんがとても不安になっていて、その不安を感じていて、"どうしよう・・"って自分も不安になっていた。
「上から見ていたお母さんは、とっても優しそうだったのに。だから、この人だって決めたのに。だから、お母さんに会いたかったのに。こんなに不安でいるなんて・・・。私、本当に生まれてもいいのかな。大丈夫なのかな。」お腹の中にいる私は、そんな風に思って不安になっていた。
お母さんが不安なのが、怖かった。
これは、お母さんのお腹の中にいる時の記憶だった。

息子が2歳くらいの時、息子が泣き止まないと心か掻き乱されるようで、堪らなくなって、「とにかく泣かないで!!」って、息子に怒って、怒鳴って、私はパニックになっていた。
人生の中で、初めて"理性を失う"体験をした。
その時まで、自分は"穏やかな人"だと思っていた。誰かに感情的に怒ることなんて、一度もなかった。だから、そんな自分にもショックを受けた。
泣かれることが、こんなにも辛いなんて思わなかった。どうしてこんなに辛いのか?どうしてこんなに自分を失う程反応してしまうのか?
自分の気持ちに向き合うようになって、私は自分自身に、"泣いちゃダメ!!"って、とても強く思っていたことがわかった。実際、"人前で涙を見せてはいけない"って強く思っていて、それを守り続けていた。だから、泣き止まない息子の姿を見て、反応してしまっていたのだった。
その原因を知りたいと思った。
そうしたら、お母さんからよく聞いていた場面が出てきた。朝、お母さんが出掛ける時に泣いていた場面だ。
玄関先でおばあちゃんが私を抱いている。私は泣いていて、お母さんは振り向かないで行ってしまおうとしていた。私は泣いていたけれど、お母さんが行ってしまうから泣いていたんじゃなかった。お母さんが、私の気持ちを聴いてくれなかったから、振り向かないで行ってしまうから、それが悲しくて、いつまでも泣いていた。嫌がられている。迷惑がられている。そう思って、悲しかった。本当は気持ちをわかって欲しいだけだった。「寂しいんだね」って言って欲しかった。「お留守番してくれてありがとう」って言って欲しかった。お母さんは自分の気持ちでいっぱいで、私のことは見ていなくて、それがとっても悲しかった。
でも本当は、お母さんもつらかったんだね。
この場面を見たら、お母さんが話しの最後に「あの時は本当にかわいそうだった。」って、言っていたのを思い出した。話しを聞く度に、責められているような気持ちになっていたけれど、本当は"悪かったなぁ"っていう、お母さんの中の後悔の気持ちを伝えたかったのかも知れない、と思えた。
そして、息子が泣いていたとき。私も自分の気持ちでいっぱいいっぱいで、息子の気持ちをわかろうとしていなかった。そんな、余裕がなかった。そのことをとても後悔していて、母も同じだったんだと思えた。

年少さんの時の帰り道。すごく歩けないほど脇腹が痛かったのに、どうして誰にも言えなかったんだろう。そのことは、とっても不思議だった。
そう思って、その場面を見に行った。
そうしたら、小さな私は、"誰かにわかったら、大事(おおごと)になっちゃう。私のせいで大騒ぎになっちゃう。だから、誰にも見つかっちゃダメだ。"って、そう思っていた。自分の痛みより、そっちの方が一番怖かった。だから、すごく痛くても我慢していたんだった。

どうして、そんな風に思ってしまったんだろう・・・。その感情の種を見ていくと、転んで目の下を切った場面が出て来た。私が転んでいる周りで、お母さんやおばあちゃんが大騒ぎをしていた。特にお母さんがパニックになっていた。私は自分の怪我はよくわからなくて、お母さんが大騒ぎして、いつものお母さんじゃないことが、とっても怖かった。自分のせいで、どうしよう・・、大変なことになってしまった・・、って思っていた。
だから、大事(おおごと)になることが怖くて、ダメだと思ってしまったんだった。だけど、自分のせいでは無かった。それは、仕方のないことだった。誰も悪くはなかったのだ。


お母さんはいつも心配だった話しや不安だった話しを何度もしていた。だから、私の幼い頃の記憶には笑顔のお母さんがあまりいなかった。

だけど、嬉しかったことの感情の種を見に行ってみたら、庭で赤ちゃんの私を抱いて笑っているお母さんの姿が出て来た。これは、覚えてはいないけれど、写真で見たことがある姿だった。写真の記憶かな?とそう思ったその瞬間だった。お母さんの「私に会えて嬉しい!」という気持ち。お母さんの喜びの感情がふわぁ〜と、胸いっぱいに入ってきた。
お母さんのこんな気持ちを、今まで感じれたことはなかった。すごく嬉しかった。初めて、お母さんの気持ちをちゃんと感じれた気がした。
あぁ、本当に、ちゃんと愛されていたんだ・・。そう思って、涙が溢れた。


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