見出し画像

第2回 ベトナム戦争・後編

 2009年1月20日, オバマ大統領の就任演説をテレビ中継で見ていたとき, とても気になるフレーズがあった。

「コンコード, ゲティスバーグ, ノルマンディー, そして, ケサンのような場所で戦い, 死んでいった人々」

 ケサンという地名だけ馴染みのない人も多いのではないか。コンコードは独立戦争, ゲティスバーグは南北戦争, ノルマンディーは第二次世界大戦, そして, ケサンはベトナム戦争の激戦地。教養あるオバマ大統領は, アメリカ史の重要な転換点となった3つの戦争と同列に語ることで, ベトナム戦争がいかに重要な出来事であるのかを強調しているように感じた。

 ベトナム戦争はアメリカが負けた初めての戦争だった。


目次
⑴1968年のアメリカ
⑵ベトナム戦争の展開
⑶ベトナム戦争の国際的影響
⑷ウォーターゲート事件とニクソン辞任
⑸イラク戦争とベトナム戦争
【大学入試問題】
おわりに アイゼンハワー退任演説とケネディ暗殺
【関連年表 ベトナム戦争】

<第2回 ベトナム戦争・後編のキーワード>
①キング牧師暗殺 ②サイゴン陥落 ③キッシンジャー ④ドル=ショック ⑤カウンターカルチャー ⑥ウォーターゲート事件 ⑦アジェンデの死


⑴1968年のアメリカ

 1968年1月末, 北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線によるテト攻勢が始まった。テトはベトナムの旧正月。サイゴンをはじめとする南ベトナムの諸都市が奇襲攻撃を受けた。ベトナム戦争はテレビが世界に伝えた最初の戦争。リアルタイムに戦場の悲惨な光景がお茶の間に飛び込んでくる。1968年1月からのケサンの戦いも, アメリカ軍がケサン基地を放棄することになった。戦術的にはアメリカが有利なはずだったが, 世論はみるみる悲観的になっていった。ベトナム反戦運動は盛り上がりを見せ, 戦争を始めた民主党ジョンソン政権への批判が高まった。1968年はアメリカ大統領選の年だった。

 1968年3月31日, ジョンソンは大統領選挙への不出馬を表明。その4日後の4月4日, キング牧師が暗殺された。公民権運動とベトナム反戦運動の指導者の突然の死は衝撃的だった。享年39歳。亡くなる前日の4月3日夜, キング最後の演説はあまりに印象的だ。死を予期していたかのような言葉。彼はどんな敵と闘っていたのだろう。その2ヶ月後の6月5日にはロバート=ケネディ上院議員も暗殺される。ケネディの弟で民主党の有力な大統領候補。ベトナムからの即時撤退を公約に掲げていた。1968年のアメリカは, ベトナム反戦を唱える多くの市民の願いとは裏腹に, 反戦勢力がさまざまな暴力によって押し潰されていった。


【キーワード①  キング牧師(1929〜1968)
アフリカ系アメリカ人。19世紀アメリカの作家ソローの「市民的不服従」やインドのガンディー非暴力・不服従運動(サティアーグラハ)の影響を受けて、非暴力直接行動による黒人差別撤廃運動を展開した。1955年、アラバマ州モントゴメリーで黒人のローザ・パークスが白人にバスの席を譲らなかったために逮捕された。この事件に抗議して, キング牧師は非暴力のバス・ボイコット運動を指導した。モントゴメリー・バス・ボイコット事件でキング牧師は連邦最高裁判所から違憲判決を勝ち取り, 公民権運動の最も有力な指導者となる。1963年8月ワシントン大行進では「私には夢がある」と演説して黒人差別撤廃への世論を高め, 1964年公民権法制定に貢献し, 同年, ノーベル平和賞を受賞した。1968年4月4日, テネシー州メンフィスで白人男性により暗殺された。



ここから先は

8,744字 / 2画像
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?