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capacity for love 〜社会毒、器の小さい社会と現代人達〜電車や会社編

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◆ヘルプマークとはSOSである

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電車に乗るけど、大体の人達は、

『優先座席』

にも関わらず、普通に座る。
まったく、誰がきても譲ってはいない。

わたしの乗車する線だけなのか?
それがわたしがみた現実。

妊婦さんにさえ譲っていない、寝たふり。
足を広げて、スマホをいじって…色々。

別にいいんですけど、
どんな「気持ち」なんかな?


自分ばっかりで余裕ない”

んだろう、ね…確かに暑いしね。
「優先座席もあんまり関係ない」んだろな。


わたしは扉側に立った。
ウウウ、苦しい。

ヘルプマーク付けているけど普通に押された。
押されて小さくちぢこまった。

“ヘルプマーク”を見た人達には
ジロジロされた…。


ヘルプマークをジロジロ見る人達は
どんな「気持ち」なんかな?

“この人はメンヘラor障害者?”
とかって思ってるのかな。

冷や汗が出る。
ジロジロは何の意味合いがあるだろうか…。

そもそも人混み、広場が怖いから焦る。
だから、冷や汗かく。

そういえば、

母の車椅子を押してる”ケアラー(介護側)”な時も、
平気でぶつかってきたりする人達がいた。


わたしは”ヤングケアラー”でもあったけど、
大人になっても”シニアケアラー”で…

数十年、ずっと頑張ってきた

親のことばかりで自分の為に医療が受けられなった。

何十年とケアラーとしての立場として生きてきて、
誰か困ってたら助けようと決意してきた。

自分自身の方が「若い」からお年寄りは助け、
高齢の両親には本当に献身的に尽くした。

でも、

実は…

自分自身の方が“重度な病気”だった。


そして、

いよいよ、自分自身が、
「助けて」(SOS)
と、言わなければいけない立場になった。

周りは全く知らない、わからない。
だから、病気と言っても、
甘えているみたいに扱われた。
見た目だけ見て、ちゃんと知らないのに、ね。

助けてというのも『勇気』がいるんだ、SOSする事
それすら言えない人、いっぱいいるだろう。
なぜなら、恥ずかしいとかじゃないよ。
周りは、思うより親切じゃないから、よ。


本当にね、

恥ずかしいんじゃなくてね?
どうせ、若いだろとか、甘えてるとか、
助けてくれないから。

だから「助けて」さえも言えないんだよ。
それは「助けない」から、だよ。
本当に『良い人』って稀(まれ)だよ。

「迷惑」「切り捨て」みたいにされたりする。
良い時だけの友人は離れるだけ。
時々、ボロカスにもされる事ある。

これは『事実』だよ。


そして、

「若いから」とかじゃないと思うよ、実は。
そもそも若い人達でも「重病」なら倒れます。

死んでしまいますよ、放置したり、虐めて。
わたし、みたいに、ね?

何度か死にかけましたけど、ね?
もう、ね、わたしはいのちは短いだろうから。

もう

正直

綴りますよ?

そもそもですが、

コロナ禍から『命の選別』みたいなのがあった。
子供とお年寄り、どちらを選ぶ?みたいな。

どっち選ぶというか優先順位をつける意味だけど、
どちらを選ぶ?みたいな二者択一もあった。

いや、マスメディアの記事、その書き方は、
やめようよ、ミスエデュケーション、やん。

それ、”トリアージュ”な感覚だけど?
なんやそれ、カタカナ好きなん?

わたし、得意なけどカタカナ。
それ、どちらをヘルプか”選別”してるって事。

優先順位、二者択一、どっち?みたいなのは、
本来は”日常的”にはあったらあかんねんで?

社会は、

本来は『とりこぼしなく』であるべき

なんですけれどね?


いやさ、

医療機器や医療物資やワクチンが限られる時、
「どの命を救うか」な”選別”はあるのはわかる。

二者択一にされたら、

どちらかを見捨てる?

みたいな感覚よ。

それを頭に刷り込まれてから、
『優先座席』
の光景を見るんだけれど…

あんまり人間って、変わらない、ですよね。
常に”高次元”に居る人以外、”誰でも座る”のは。

空いてたらいいじゃんみたいな。
いいんだけどね?


ただ、

コロナ禍で苦労した人類が学べる事があるなら
何だったのだろうか。

普段と変わらないのか、な。
まぁいいけど。

別に良いんですけどね…
その人の選択
で、その様に生きて、行動する。

それによって…

“行い”によって『自分自身』が決まるだけ。
自分自身がそれを決めたら良い、だけよね?

さて、まず、

道ばたに複数人が倒れたり、困ってたとしよう。
どっちを、誰を、救おうか?

これって、心理学の”トロッコ問題”だよね?
もしくは、”臓器くじ”だよね?

人々の

倫理観、道徳観を浮き彫りにするテスト

だから、

『サイコパスならこうする』な回答

もあるみたいよ?


要は、

複数人がそこにいて、一般人なら、
「誰から救おうか」「誰を救おうか」に悩む

んだけど、

サイコパスなら悩まないのです。
『全員、救わない』となるから…ネタバレ。


そもそも、

サイコパスソシオパス

は、

他人が、倒れようが、死のうが、関心がない

んだって。

そして、自分自身への”リスクを排除する”だけ。
だから、全員の事を考え、救ったりしない。

自分自身だけを考えるからであり、
自分自身にメリット・デメリットで考えるから。

それは賢さというより…

『良心の欠如』

と言われています、よ。

もし、自分にメリットがあるなら、
そのうちの誰かを救う
、かも、しれない。

まぁ、

そうゆう『論外』な解答例は置いとく…ね?



まずね、

道端に誰か倒れたり困っていたら、
年齢を基準に”選別”なんてするもんじゃないよ?

いったい、それはいつまで「年功序列」なん?
もしくは「姥捨爺捨」の感覚なん?

どっちかの古〜い感覚で
命の選別なんてしていくもんじゃない、よ?

それって、

“コンディション”(健康状態、耐久性)

だとは思うよ?

何故なら、ご老齢でも健やかなら、待てるやん。
耐久性は確かに若者の方があるけど、

若かろうが心臓止まりそうなら
すぐ処置が要るやんか?

あとはさ、

『損得』『メリット・デメリット』に基づいて
救う、助ける人を選ぶという人達はいるって話

だけどね。

そういうのは自分では気づいてないんだけど、
サイコパスとソシオパスと同じ
って事。

メリット・デメリット
で友人選ぶっていうのも
サイコパスとソシオパスと実は同じ
って事。

そして、

ソシオパスは『社会』が育ててるね。
『社会毒』が、ね。

よくいるのは、

救う価値がある人を救う。

これってさ、一見、正しいかな?


=自分に都合の良い、社会的価値ある、
自分に利益のある人を救う。

なんだよ?

そういう人達は…

例えば、

倒れてたのが大統領と一般人なら大統領を先に救う。
これは「社会的価値ある人間を救う」という事。

偉い人は先に助かるべきって思っているんかしら。
大統領でなく医師とかもそうだよ。

何故なら、

その人はソシオパスだからそうする、のです。
社会的な損得に育てられているサイコパスだから。


そもそも…

その大統領が重病で危篤な場合など以外に…
本当に良い大統領なら…

明らかに「自分より市民を先に!」とは
言うだろうけど、ね。

大統領は社会に貢献できるから救うべきなどの
考え方をするのは…”社会での損得勘定”。

根底には、”社会貢献しない命ならば価値がない”
もしくは「無価値」だ、的な考えがあるよね。

誰かを救う事に、

理由

は、必要?


社会へのメリット・デメリット
を考えたり…

価値付け」(自分の都合の)
して選んだりする。

『命を選別する』

のは、

それは、そもそもが、

社会につくられた損得勘定での利益の追求

だからだよ?

ソシオパスの世界、では、ね?


本来なら、

命の価値は平等

なんだよ?わかる?
まあ、あなたがソシオパスならわからんやろ?



社会に利益を生む人を基準に、
価値付けしたがる
、というだけな話。

社会的利益を生まない存在は「無価値」
な考えは、
本来は間違えてるし、それはソシオパスともいう。

己に利益を生まない存在は「無価値」な考えは、
本来は、サイコパスに近い、よね。


そして、さ、

救う事の「見返り」を求めてるのは、
本当は救う事でもない、んだよ?

「見返りがある」なら救うというのは、
救うというか『仕事(ビジネス)』だとは思うよ。

「利益がある」なら救うというのは、
それはサイコパスやソシオパスの思考であるけど。

そして、さ、

その“命の選別”という行為は、
本来なら『医師』の医療的にするという決断だが、

わざわざ…

何故、一般人達に「刷り込んでる」の?

おかしいで。


医師なら本来は「社会的損得」は捨ててるけどね。
良い医師なら「自分より患者を」となるけどね。

消防士でも「家族より緊急な人達を」となるけどね。
一般人ってどうですか?優先座席も譲らないけど。


もしも、ね?

ただの一般的な人達が選別しようとするのなら、
結局は、損得勘定、自分都合にはなりうるよ。

何故なら、

一般人達は「ヒポクラテスの誓い」などしないよ。
それは究極に自分たち本位にはなりうる、よ?

恐ろしいわ。

現代社会はコロナワクチン問題な時には、
マスク警察みたいな人達もいたし、

人々は『認知は歪んだ』よね?
おかしい人増えてる、
よ。


また、

ワクチンが限られた緊急事態時には、
高齢者は先が短く、子供は長い…

とか言って、

数限られたワクチンを

譲り合い

みたいなもあったけど、さ。
それもそれ。

本当に子供には先は長く
夢いっぱいだからという子供を守る意味でなく…

もしね、その根底に…

子供は長く「社会貢献」するから、なら違う。
老人は年金者で「社会的貢献」が無い、なら違う。

それには前者の様な”思いやり”などは、ない。  
単なる『社会』中心なソシオパス的な価値観だよ。

ぶっちゃけては、

それが『社会毒』だって事。

ヒーローになれとかも、そうである。
極端なコロナヒーロー
ばっかやった、やん?


損得、メリット・デメリット、
社会をあくまで中心に

に、

「刷り込まれたもの」

と言えば…

戦時教育

やん?

ヒーローも、でしょ?

厚切りベーコンは、回し者みたい、なん?
マスメディアのわざとらしいの全部。


でね、

…おかしいんじゃないの?

と、思う。

福祉施設職員だって老人虐待するしさ、
世の中、社会的ステータスでもない、よ。

戦争だって政府が正しいとかはわかんないじゃん。
国民がノーと言うべきこともあるじゃん。

で、

社会をあくまで中心に考えた損得ってのは、
マスクもそう、だったやん。

マスクからはいろいろと問題も生んだ。
マスクマスクって、体育中に子供が亡くなった。

大事なのは社会に従う、従わないだけ、だったり。
だからさ、社会は皆んなのものであるのに、

呼吸器に問題ある人までマスクマスク、言われ。
そのルールに優等生かそうでないかみたいな?

病気したら劣等生みたいなのもそうやん。
自分本位な“選別”する社会が出来上がったのは

コロナからであるし、
それって『偏見』として根付いたりした。


実は、ねぇ、

命は平等

だから。


社会的損得や価値などは関係なくて、さ、
年功序列ステータスメリットもなく、

コンディション

緊急性」

などから選ばないといけないよね?
困ってる順番だよ?


だから、さ。
優先座席』の話に行く。

わかりきってるけど、
年寄りが偉いから席譲れ、じゃ無いよね?

足腰が辛いなら
年配者に譲ってあげる
それだけ。

年寄りより若くても、
臨月に近づいた妊婦さんなら
座らせてあげようさ?

健常なおじさん…毎日ご苦労様ですけどね、
心臓疾患の人には譲って下さいよ?
骨折した学生、座らせて?

大体おじさんばっかが…
多く…さいしょっから
優先座席にくるのをよく見かけるけど…

家族の食卓ではお父さんが偉くて一番でも
『優先座席』は『弱者』に先に座らせてあげて。
お父さん、疲れてるのわかるけど。


でね?

何故、普通の座席に空きがあるのに
そこに座らないの?

何故、普通の座席は女性に譲るけど…
おっちゃん達、おにいちゃん達は…

『優先座席』に座りにきます、か?
女性や子供に普通の座席を譲るから?

優先座席が空いてようが、
普通座席の空いてるところ、を探して?

何も言わないけど、
周りにヘルプマークの人、いるかも、です、


一番に…

何故、この話をしたか?

と言うと、

わたしという存在と、高齢の母の存在は、
2人ともが困窮してた、んです。

わたし達、2人ともが病気
、で、
介護での経済的困窮者
、で、

2人とも「ヘルプマーク」だった話と、
わたしは『切り捨て』にあった事の話

を説明していく為
です。

本当は、ね?

緊急に医療サポートを受けないと
いけなかったのは…

わたし

だったよ。

高齢者の母もヘルプが必要だったのも本当ですが
わたしは最も重篤でもあった。

別に今まで譲ってきたので…
いいんだけども、ね、自分の母だしね。

わたしは母の方が脳梗塞命の危機だったから、
わたしも命の危機せまっていても

一生懸命に働いて、介護して、献身した。
それは『数十年』に及ぶ、『事実』ですからね、


これは捻じ曲げないでください。


わたしは、

車椅子を押して介護をしてきたケアラーだった。
自分が壊れるまで働き、献身的に尽くしてきた。

「わたし」も、助けて欲しかったけど、
ずっと長い長い間に、助けてもらってない立場。

そんな事、誰が深く考えてくれた?

誰もいなかった、自分自身すら。


最後には、一応、地域包括担当にSOSはした

わたしは、もしそこで助けてもらえて回復したら、
さらに、誰かを助ける力にもなれた、よ?

でも、助けて、SOSを言っても、
わたしは救われなかった。

倒れてしまった上、
悪者みたいにされて、孤立化させられた。

献身したわたしは、
悪ものみたいに踏み台にされたりした。


お金の事だけ、で。


経済的困窮、死にかけるまで過労して、
献身し続けたけど、無理だった。

病気で倒れて、ボロボロになって、
わたしが「用無し」になったら、

わたしが母が支払えなかった施設料金を
代わりに補えなかったら?

わたしが『悪者』にされた。
何故だろう?

わたしは貯金も収入も母に捧げ、
自分自身は病気でも病院さえいけなかったのに。

倒れてしまってボロボロなのに、
助けてはもらえない。


わたしの献身した人生すら捻じ曲げられた。
母には会わせてもらえない、話させてくれない。

わたしは死にかけているのに、
人格否定、された。

だから『自殺未遂』した。
障がいを負った。

自殺未遂にまで、
極地にまで追い詰められてしまったけど、

母の介護を苦に、じゃない。
何もわかってない『他人』達に捻じ曲げられた。


もう、限界だった。
身体的に。

これが、まさに、介護する世代が、
介護を苦に親より先に逝く理由、とわかった。

親が理由じゃない、よ?
周り、社会、社会に巣食うその『毒から』だよ。

その現実はよく見えたよ。

福祉、福祉と言いながら、余計追い討ちする。
法律すら未熟
で、意味わからないを助けてる。

そうゆうのが、

自殺する理由

であると思う、よ?


それが、

社会毒

なんだよ。

サイコパステストみたいにどちらかではなく、
皆んなを取りこぼしなく、助けてよ。

サイコパスやソシオパスじゃないんだから…さ?
え、それともあなた方はそうなのですか?


社会的損得勘定から『病気』のわたしの
存在価値を下げて来た人達っていた。

価値やメリットが無いから『切り捨て』ですか?
わたしは死にかけようが、悪者にされた、

だから、わたしは、正直に生きるを決めた。
事実を話していくと決めたのね。


わたしはね、

“ヘルプマーク“

をつけた。

だって、それが『事実』だから。
わたしは救われず、孤立化させられて、

死と隣り合わせ

になったからね、
過労と、その2023/07/11の出来事の末、に。

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◆正直に生きること

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病気になり、倒れたりし、友人達の中には、
離れた人もいれば、残ってくれた人
もいた。

それは、友人達が選別されていった事になった。
ある意味、良い事かもしれない。

友人と思っていてもそうじゃない人もいたしら
フレネミー、フェイクもいるから、友人達は減った。

むしろ、隠れて潜んでいた、
友人ではない友人が炙り出されたかも、ね。

だから、よかったかもね。
今は本当にケアしてくれる人達しかいない。


「困難な時」に離れた人達はわたしには
「いい時だけの友人達」で、

いい時だけの友人達は”トラウマ”になった。
全くこれは「逆恨み」でなく、本当にそう思う。

困窮したり病気だから離れるのはその程度。
そもそも友人でなかったら、それでいい。


まず、
病気の人は「害」なんですか?
困っていたら「害」なんですか?

病気になって疎遠になる人達は
”そこまで”だし、

わたしにはトラウマなので、
もう2度と、これからも関わらないと思う。

わたしは”使い物”にもならないし、
その人達の”評価”に合わないからで、

“存在価値までを決めてもらう様な立場”
では無いし、

そもそも、そんなの必要ではない。
そんな事する人達は、もう”本質”が見えた。

病気になれば、

電車ではジロジロされ、
ヘルプマークしても普通に押されて、

フラフラとしてるのも悪いけど
正面からイライラとぶつかってこられたり。

そもそも、あんまり…
「ヘルプマーク」も見ていない。

自分自身に精一杯で、
”見えてない”んだろう。



わたし、ハートアタック、起きるかもね?




会社では子供のため休むならok、介護ならnot ok。
いじめの対象になってた。

自分自身が救急搬送されてもnot ok。
倒れたりしても毎日変わらずいじめにあってきた。

意地悪な人達がいたら、
最近よく気づいて、すぐわかる様になった。

意地悪というか「心をなくして」いらっしゃるか?
サバンナのシマウマの様に360度見える。

わたしが「避ける」しかない。
彼らはわかっていないから。


そういえば、

車椅子の母の介護をしてケアラー(介護側)な時、
同じ事があり、ケアラーでもいじめられてた。

介護が理由でリストラされたり、
本当はそんな企業はブラックだけど、ね。

ケアラーとして守る立場にいても色々みた。
親切な人達もいれば、そうでない人達もいた。

『理解』もなければ、突き放されたりもした。
話がつまらないとか。

施設からは「お金」の話ばかりされてきた。
わたしは病気になるまで、真面目に働いてきた。


わたしが、

ケアラー側の時は社会的に良いというイメージ。
わたし自身が病気になったら悪いというレッテル。

わたしはあなた方の評価に生きていないし、
嘘の塊の犠牲になってるだけ。


わたしみたいなケアラーは、
あまり遊べないし真面目だからつまんない、とか、

他者らの『都合』から評価され、
別れたり離れたり、フラフラとされてきた。

それ、あなた方の自己評価だよ?
不安定な自己愛でフラフラと振り回さないで?


わたしは、

わたしが病気になったら、
迷惑扱い、話したくないとされた。

わたしはいつでも『大切』にはされなかった。
どっちが大事なんだよとか男の人にさえ言われた。

他人に「使い物」にならないなら、突き放された。
“ヤングケアラー”は遊べないし友人が元から少ない。

さらに、わたしは親友は亡くしてるから居ないの。
友人いないだろ、も、友人無くしていけば、も…

…ないわ。

わたし自身が忙しかったり、面白くなく、
体や心が辛いといえば毛嫌いされたけど、ね。


全部、その人達の『都合』でしょう?


気づいたけど、そもそも、で、

そんなのは友人や恋人や夫などではなかったし、
そうゆうのが「社会毒」だと本気に思う。

都合が良い時だけな人達には、
「サヨナラ」をしたし、

なくして後悔がないし。
しかし、そうゆう社会なら困るから『声』にする。

おそらく、この声は、間違えてはいないよ。
病気をしたり困窮しても、離れない人達もいるから。


助けてくれてる人がいるから。



違いは何? 

少なくとも、
自分への利損得での付き合い方じゃないし、

そんなんで選ぶ友人達にこそあまり価値はない。
と、わたしは正直に生きてる。

自分自身の必要な人達とそばに居る。
だから、サルナラナレ、と、思うだけ。

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◆電車や人混みでの息苦しさ

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わたしは、

電車や人混みで胸が苦しい、んですね。
だから、ふらつき、めまいがしてる。

ひどくなったら…

テタニー(強直性痙攣、てんかん)
が起こる、手足が動かなくなる。


自分には、日常的に胸の痛みがあり、
苦しいから、過呼吸になる、だから検査が必要。

でも「手続き上」にまだ診察すらできてない。
医療援助もまだなので、待ってます。


低所得な人達が制度を利用する為には
「手続き」が必要だけど、待つのが長すぎる。

今待ちの期間で、薬も無いです。
現在、医療費も十分になくって、援助申請中。

保険証も仕事始めで、ないんです。
だから、救急搬送では六万て言われたりした。

保険証がきたら返るからねって、10割負担。
お金持ちなら簡単に「ok!」でしょ、六万。

少なくとも今のわたしには無理な金額。
さらに、わたしには「身寄りがない」です。

だから、倒れない様に気をつけています。
入院も簡単にはできません、から。


「手続き」は長く、優しくないけど…

わたしは、
テタニー(強直性痙攣、てんかん)
という症状

があり、

本当に早くに医療援助が欲しいです。
いつ倒れるか死ぬかすらわからないです。

だから、毎日、死と隣り合わせ。

でも、

そんな優しくないのが『現実』で、
電車や広場には本当は1人では無理です。

わたしは電車が怖い、広場や人が怖い。
それは理由となる「ある出来事」からではある。

PTSDの様なフラッシュバックがあるけれど
こういうのは外見に出さない。


身体的には、常に胸が苦しく、頭が痛い。
胸や頭に痛みがあって、呼吸もしづらい。

声も出しにくい。
身体的な方が辛さがある。

そこからの恐怖が色々と「併発」を起こし、
過換気症候群になったりする。

全部、メンタル的な話だけど、
原因は、身体的病気からと思われる。

併発したものが、たまたま、
メンタル的な疾患に見えてるだけ。

テタニー(強直性痙攣、てんかん)は
更にひどくなれば心肺停止になる。


ハートアタック、です。


わたしは、

テタニー(強直性痙攣、てんかん)
で、

救急搬送されたりが怖いし、経済的にも怖い。
だから、気をつけています。

対人恐怖や広場恐怖、パニック障がい、
PTSDも併発していたりして、

正直、毎日、辛いのは辛い。
しかし、働かないと、食べていけない。

わたしは勿論、

車を運転できないので、
そんな状態で毎日電車を使わないと生活できない。

身寄りもなく、働かないと支払えないから、
毎日、仕事し続けないといけない。


世間はおかしいと思うのは、

ニートが親の脛をかじり、
夫は妻の財布で生きて、

何も咎められてもいないけど、
何故、病気にまでなって介護に献身した結果、

倒れたら、酷い扱いをされ、
悪ものにレッテルされるか、意味が不明。


それはまた別の記事に綴る。


自分自身の体調面、
自分自身で対策みたいなのはしてるけど、

出来るだけ周りに『理解』が
必要な時もあります。

わたしには守る家族もいます。

単に胸が苦しい、怖いだけでなく、
テタニー(強直性痙攣、てんかん)があるので、

筋肉硬直してしまい、
最悪は心停止に至る発作がある。

だから、

少しわたしを助けてくださいますか?
しんどい時、少し座らせてくださいますか?

それがわたしの”ヘルプマーク”です。
表向けからはこんな詳細はわからないでしょう。

でも、いろいろありましてのSOSです。
ちょっとだけ、ぶつかったりは避けてほしい。


わたしは、

テタニー(強直性痙攣、てんかん)

って黒マジックで書いた。


知らない人が多いから、見てきたりもあると思う。
だから、「知ってほしい」と思う。

テタニーは外国のほうが知ってる人が多いけど、
ヘルプマークは日本人達だけが知ってる事。

外国人が増えた中で「優先座席」の説明と
ヘルプマークの説明が改めて有れば、と思う。

電車内に多言語の説明書き
あったらいいな。

ヨーロッパなど外国の”障がい”への理解、
ボーダーレスになる対策や

違った見方、
優しい運用もまた、

日本の福祉のお手本になっていけば

と思う。


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◆自分自身を受け入れていく

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わたしはまだ
検査や診断が完了していないから

病名や等級などを
断言をしていないけれど、

しっかりと『症状』があって
頻繁に救急搬送されてる。



希死念慮(きしねんりょ)が強くあり、
うつが隠れてる。

でも、これには、最初に脳浮腫があるのだろうか。
身体的に辛いが”追い込み”があり、希死念慮になる。

過換気症候群(かかんきしょうこうぐん)
頻繁に起こっていて、手足は痺れが続いてる。

胸が痛い、物理的に痛いからで、息が苦しくなる。
心臓が痛い、が痛い、が苦しい。

痛みからパニック障がいの様にもなる。
呼吸、ホルモンがバランスを崩し過呼吸症状になる。

ある出来事からは、対人恐怖がある。
人が沢山な広場恐怖症
にもなっている。

わたしには自律神経発作もあり、ふらふらする。
体と精神、病気は、併発することはよくある。

また、わたしの症状はバセドウに近かったりする。
わたしは声が出ない時があったりする。

手足の痺れや硬直は続くし、バセドウを疑った。
甲状腺疾患だとちょうど甲状腺は喉仏付近だからだ。

ただ、腰を痛め失禁があった時期を思い出したりした。それは脊髄系の問題に繋がってるかと思った。

やっぱり、はじめの脳神経系統から来てる気もする。
この様に、病気って、単純な一つじゃない


脳浮腫や脳神経の問題から来ていたり、
身体的な病気から”過換気症候群”が来たりもする。

勿論、直接的な精神的なダメージもある。
それらのいろんな理由からで起こる。


表面にみえるのが、

過換気症候群という『呼吸』の問題であり、
症状は酷くなり、手足に痺れがくる。

長く続いていって重度になっていくと、
テタニー(強直性痙攣、てんかん)と呼ばれるに及ぶ。

そうなると、なくなるまで、
実は待ってるだけ。

はっきりと診断できていれば、
ビタミンDなど必要なものを注射できる。

テタニー(強直性痙攣、てんかん)は、
てんかんに似ており、予想はつかず発作は起こる。

まず、立ちくらみやめまいが続く。
手足には筋肉硬直が起こってきて、立ち上がれない。

強いこむら返りの様に、硬直し、動かなくなる。
だんだん手足がまったく動かない様になる。

手は「産科医の手」と呼ばれる形で硬直する。
意識はあるが、意識もだんだんモウロウとなる。

この症状の最悪な場合には、
”心停止”になってしまう事があるとの事。

過換気症候群の主な症状をまとめる。

  • 過呼吸(過換気症候群の中の過呼吸症状)

  • めまい・ふらつき・立ちくらみ・失神・頭痛

  • 動悸・胸痛・不整脈

  • 吐き気・腹痛

  • 発汗・口の渇き

  • しびれ・けいれん・硬直

まず、筆者のわたしは過換気症候群が重度だと
テタニー(強直性痙攣、てんかん)により、わかる。

症状が起こるプロセスは、3つ。

  • 過呼吸になっての過換気症状

  • 不安や精神的ストレスによる交感神経症状

  • 身体的な病気から付随する症状

どれもが現在に筆者のわたしに
起こっているプロセスと結果ではある。

だから、

無理しない様に心身共に癒やし、
なんとか休まさないといけないのだが、

わたしには「身寄りがない」上に、
「孤立化」させられ、福祉的なサポートは未だない。

これら、症状が悪化した理由は、
また後に綴るが、

社会に孤立化された状態で、
身寄りはないから、働かないといけず、休めない。


今はいろんな「手続き」があり、長い。
待たないといけない。薬もなく。

介護貧困で、困窮をし、SOSをするも、
応じてもらえなかった。倒れた。
孤立させられた。
死にかけていても無情な社会。

これに対し、毎日、精神、身体的苦しんだ。
精神的ダメージによっては希死念慮も強く出た。

ただ待たなければいけない時間の長さだけがあり、
身体が辛く極限にあり、耐えられない。


わたしは最近、
1週間に1回、救急搬送される。


だから、いつ起こるかわからないから、
”ヘルプマーク“を付けておく事を決意した。

何が起きたか周りにはわからないし、
症状が起きてからは、説明できないから。


過換気症候群では
呼びかけ、答えさせ、

意識をとりもどさせるのだが、
対人恐怖があるから怖さに襲われた。

声も出ない症状もあいまって、
何も説明できなくなる。

だから、あらかじめ、
”ヘルプマーク“に記した。

わたしは身体的病気から声が出しづらいし、
字を書く手が硬直もするだろう。

わたしには、

わたしの症状を説明できる「身寄り」もいない。
まだ、かかりつけ医(専任)がまだいない。

つまり、わたしは孤立させられているし、
福祉援助もまだしてもらえていない。

だから、怖い、経済的困窮だから。
友人は1人だけしか助けてくれる様な人がいない。

面倒がり、迷惑がった親族達はいる。
彼らはむしろ「家族」じゃないんです。

わたしの病気について、

はっきりある過換気症候群の向こう側には
いろんな理由が潜んでいる。

自律神経、ホルモンなどの問題も
あったりする。

まず、

身体の病気と、心の病気が併発している
ということはよくあるけど『理解』がなされてない。

だから知られていけばいいと思う。
身体共に病気になるのは「無理をしてきた」から。

それは怠けたり甘えたりじゃない。
むしろ働きすぎで、心が強すぎて身体が壊れた。

また、

精神的ダメージを強く受けているので、
恐怖が残る間は「安心」「安全」は必要。

自分すら乗り越えられそうにない
『困難』の渦中の人達に、

あえて苦しめるみたいな事を言ったり、
もっとあれしろ、こうしろは暴力に近い事。


それは人に優しくできない「その人の問題」である。
だからこそ、しないし、そういう事に近づかない。


わたしは、自分自身を守る為に、

理解』がある人達としか生きられない。

他人は守ってはくれないときもあるから。

むしろ、その方が多いから、友人など減るものだ。
大事にしてくれる人達とだけいよう。

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◆メンヘラという流行り言葉は社会毒から

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まず、

過換気症候群はイコール過呼吸ではないけど、
違いだったりはまったくわかってなくて、

「ああ、メンヘラね」

と思われていたりする。
なんだろ、メンヘラって、差別言葉?

闇系、病み系、イタイ系、情緒不安定な弱い人間、
そんな「軽いイメージや表現」だけでしょうか?

軽いノリの差別?

まずは、

息ができないのって「苦しみ」ですが、
そうなりたくてなっている人達はいないだろう?

過換気症候群と、過呼吸の違い、はわかりますか?
その”メカニズム”はわかりますか?

わからないから、”軽い=適当”に言ってるだけ。
適当に蔑んで、”変な流行り言葉“を使うよね?

“メンヘラ”

って言葉は、誰が流行らせたのかな?
すごいネガティブ、意地悪な言葉。

こうゆうのが、実は、

社会の毒

なんだとは思います。


“Disabilities”も、ジョークではないし、ね?


社会の毒とは?

例えば、過呼吸という症状は精神病だとされ、
心が弱い」からなるみたいにいわれる。

そもそも、心は弱いと、まるで人間失格?
みたいな風潮があるね。

でね、だから自殺するんだよ。
社会の毒は、弱者を悪者にするソレですよ。

わからない人達はわからないけどね。
病気になったから付き合わない友人達もそう。

すごい社会の毒に染まってるから。

そもそも、ソレがあるから病気になったわ。
まるで弱ったら悪者のような扱いさえもされたり。

いわゆるメンタル病んだら気狂いみたいにされたり。
壊れた人間みたいに、価値がない様に扱われたり。

障「害(がい)」者といわれるのよね?
そうゆうのがソレだって、わかっていないよね?


わたしはあまり病がバレないできた。
なぜなら「心が強い」からで、

隠せるからです。
仮面の世界。

無理して働き抜いて、『掛け持ち』は三つした。
だから「からだ」が壊れていきました。

メンタル尋常じゃないほど強いからね!
だから”か弱い体”がついていけなかったです!


自分自身に正直に強く生きてきたけど、
境遇は変えられないし、からだは弱い、仕方ない。


身寄りはないから「ひとり」で何でもやってきた。
ただ、ひとりで出来ない事、大変な事もある。

例えばさ、両親の車椅子2つ、1人で押せるか?
支払いもそう、2人分いや3人分できるか?

それを『皆んないっしょ』とかで括られる。
その人達すら出来ない事、やれ、とされてきた。

皆んないっしょ、とかいってる、
あなた方は、何もわからない。


実は、

過換気症候群

なんだが、

神経やホルモンバランスの問題

でもある。

歌い手の綾香がなった『バセドウ病』でも
甲状腺疾患から過換気症候群の症状が起きる。

つまり、

甲状腺疾患という
身体的な病気に「付随する症状」ではある。

だから、

身体的な病気

が潜んでいるからこそ、
過換気症候群が起こっている場合がある。


それが筆者のわたしでもある。
この介護者としての数十年、掛け持ち数十年、

わたしはさらに酷い症状となり、
テタニー(強直性痙攣、てんかん)が起こる。

1週間に1回、救急搬送されるのは、疲弊から。
また、ある人達からの酷い言葉の連続があったから。

メンタル的な過呼吸といっしょくたにされると
神経系の問題との違いなど無視され、

適切な処置、受けられません。
適当にしないで。



実際的に、毎日、身体が辛いのは理解されなかった。
精神的な病は気狂いみたいに言われた。

メンヘラ文化の根付く中、誤った理解がなされ、
そうゆうのは、すごくしんどい社会毒である。


強いが良い、弱いはダメ。

病気になった人は、トロくて、邪魔で、
気狂いで、迷惑で、鬱陶しい、と思いますか?

そりゃ、忙しくて自分に余裕もなく、

愛のキャパシティが根っからない人や、
常にキャパオーバーな人達にはそうなのだろう。

器が小さい現代社会、現代人達なら、
病人や弱者は『迷惑』なんでしょうね?


すいませんね?


でも、本人達は「苦しい」わけです。
あなた方ではないですよ、邪魔しないで。

好きで病気になったわけじゃないし、
助けてもらわないと生きられない時があるから、

仕方ないけど、ヘルプをお願いしてても、
『器の小さい社会』は弱者に冷たい時がある。

それは現実的によく、頻繁に、ある。
“身寄りがない私”に対してもそうだけど。

身寄りがなく1人で両親を見るのは困難。
SOSには応じてすら貰えなかった。

電車で、
ヘルプマークをジロジロして、

わかってるのに
普通に押してきたりの人達がいた。

あなた方は、
自分自身が病気や怪我になった時、

その時、やっと、わかりますよ。
今わからなくても。

いやでも
歳とったら病気になるし、

「弱い人」になっていくんだし、ね。
伴侶もなくなる。

チャンスはたくさんあるから
学んでください。



そして、

『あなた』の観点じゃなく
『ヘルプマークのわたし』の気持ち

は、どんな気持ちなんだろうか?
書いた通りが正直な気持ち。


意地悪な方にわかるのはうん十年先に思います。
だから、何も言わないし、期待もない。


ヘルプマークの人達がどんな気持ちでいるか、
考えてみていない

『器の小さい社会と現代人達』

には分からないと思う。


そもそも、


器が小さいのはこちらの問題じゃない。

器が小さいとかいうときの

器という言葉は英語ではキャパシティ、capacity。

capacity for love、

つまり、『愛する能力』だと思う。

器が小さいやつは、

キャパシティが小さく、受容能力が小さく、

愛する能力に欠けたやつ、みたいな和訳

って事にはなるね。



わたしはわたしで、今は弱ってる。
理解者」とだけしか生きられないのが現実。

だから、わたしは友人達も自分自身が選ぶ。
自分自身を守る、気をつけてる。

他人は守ってくれない、から。
むしろ、意地悪な人達は多いから。


だから、

capacity for love『愛する能力』
のある人といる。

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◆助けてという勇気と助ける為の器

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道中で、

せいて、せいて、道を行く人達。
道でトロい病気の人がいたら、鬱陶しい?

遅刻するから構ってられない?
イライラする?


ごめんね?


ただ、ね、働き過ぎじゃない?
わたしみたいになったらダメだよ。

ヘルプマークの人達には
心臓が悪かったり、ペースメイカーの人達もいる。

電車がつらく、座らないと無理な人も。
本当に何かあったら「助け」が必要な人もいる。

だから、それに寄り添ったり出来なくても、
せめて『理解』は社会的に必要だとは思う。


もちろん、ね。

世の中にはいろんな人がいるから、
「助けたいけどどうしたらいいかな?」
って人もいる。

どうしたらいいかな、で、
ジロジロになってしまうだけの人達もいる
のを理解してる。

「席譲ってあげたいな、はずかしいな?」
って人達もいるんだろう、
だから、理解してる。



いろいろだから「責める」意味で書いていない。

むしろ、

“インパクト”を与えたいからわざとで書いてます。



なぜなら、病気になって初めて、

『器の小さい社会と現代人達』の冷たさ

意地悪

もたくさん受けたから。



この社会には、社会の『毒』がある。


強くなければいけないとか、
変なキラキラしたメンタリティもそう。

弱肉強食みたいなのもそう。
ピラミッド社会もそう。

おかしな風潮や考え方も存在している。
それによって弱者は追いやられていたりする。

世の中には、

『弱者』=『邪魔、迷惑、面倒』な人達

もいるけどね、

それが障がい者施設を襲ったり事件もある。
道端で倒れても、見向きもしない社会にもなる。


わたしの母は脳梗塞で車椅子だから、よくわかる。
わたしは付き添う側であったし、

「ヤングケアラー」

から、20年以上やってたから、
介護ワーカーより長い。

でも、

実は、

付き添いの『わたし』が、
母以上に、重病で、

ヘルプマーク、死と隣り合わせ、
だったのは、

周りは気づくはずないよね?
むちゃむちゃ働いてるし、ね。

わたしがやって当然みたいに言われ続けた。
10代からやって当然にされたヤングケアラーだった。


でも母より『重病』で
何十年も「希死念慮」を抱えてた。

生きたいと生き延びたのは
病弱な母にはわたしを必要だったから。

母と引き離された。
わたしはまた本当の姿に戻る。

病であり、希死念慮が強い
自分自身に。


わたしが若いし、介助してきたから、
バリバリ働いてたから、

あなた方には良いイメージがあるだけで、

「見た目だけ」

で判断する人達は、思い込みで話す

よね?

まるでわかってなかったよね。
いい時だけの友人達は去れば良いと思う。

わからない人はわからない、と、
福祉事務所の人すら、言ってた、その通り。


わたしのほうが”重病な事”なんては知らないで
好き放題に意地悪を沢山から言われてきた。

これは『弱者虐め』だったけど、
今まで言わなかった。

何かあれば『わたし』に全ての責任を課して、
わたしは今孤立させられた問題に困ってもいる。

地域包括にしたSOSには答えてもらえなかった。
何もしなかったくせに色々責任を被せてきた。


地域包括にすら助けでもらえなかったから、
行き場すらがなかったし、

無理を敷かれてきたから病気になった。
わたしの方が死に隣り合わせだったのに、ね。

責任』

を被してきてるけど、
ほんと全部をわたしのせいにされた。

悪者にされ、唯一の肉親の母とは、
引き裂かれてしまった。


わたしは、

貧乏は罪みたいに言われた。
介護で献身し、
親の支払いをして
経済的困窮していたけど、

“悪い悪い存在”なんだってね?

わたしは自分自身の収入も全て
介護していた母に献身してきたけど、
わたしが重病だったけど、
SOSしても救われませんでした。


親は介護しなきゃいけないという法律。
子の財産をこの様に空っぽになるまで、
献身させる力があるんですか?

何故、子のわたしが、
病気になってまで献身して、
いざ倒れたら、責められないといけない?
元から、本人に支払えなかった施設料。

また、何故、
他人が本人の意思を左右しますか?
本人意思じゃないのに、
わざと親子仲を引き裂きますか?

高い施設の
身の丈に合わないケアプランから
わたしが母の年金が足りない分を支払うのを分かった上で、契約させているし、
他に行けない様にギリギリに値上げさえ言われた。

七万のはずが十万。
母のローン、支払い、足りませんから。

わたしが働きすぎで、
いざ倒れ、
支払いできない月があったけど、

わたしが少しづつ支払う意思を示しても、
病で倒れて使い物にならないから、

わたしを、

『悪者』

にして、ある事ない事を言い、
あなた方はわたしと母を会えなくした。

でも、

わたしの方が実は『重度』な病気で、
SOSしていたのに、

全くサポートされていなかった。
払え、払えとされた。


今からソレは、手帳となり、等級になります。
精神的だけでなく、身体の障がいになります。

診断書にもなるし、全ての『事実』は示します。
だから、良い親子仲を引き裂くの、やめて下さい。



その話はこれから綴る。


わたしは、

ちょっとずつ、ちょっとずつ、
やっと電車に乗り、

苦しいから、
胸が痛い(身体的に)から、

友人に電話しててもらったりする。
すなわち、1人じゃ無理なんです、よ。

それでも辛い、呼吸が辛いし、怖い。
だから、いつも助けてくれて、ありがとう。

これは、本当に特別な助け、だね。
すいません、いつも、いつも、ありがとう。



ちょっとずつ、がんばる。



漢方も良いかもしれない、な。
そんな治療はありますか?

これからは、まず、
ねんきん事務所に相談し、

かかりつけ病院を決めて、
診断書を出す。

わたしは両親の介護、介護解雇、経済的困窮などで
十分な医療を受けられなかった。

地域包括により孤立化を受け病状が悪化した。
歯医者も行けず、人間らしい生活になってない。

下準備しながら、
色々勉強や、対策をしていく。

平日に休みをもらえた。
平日に休みがないからで「手続き」もできない。

わたしは「身寄りがない」し「ひとり」だから。
昼の職場、ありがとうございます。


わたしは身体が悪くなってるけど
昼の会社は好きで行ってる。

休みたくないし、やめたくないが、
職場でいじめがあった。

なんと、それは毎回、らしいのを聞いた。
だから出入りが激しい。

同じ人達が理由になり、
たくさん辞めていくひといたらしい。

女が多い職場だから…は、
何の理由にもせんといて下さい。


自分はさ、幸せで、生きてるやん。
身寄りもあるやん、健康やん。

まだ不幸せですか?
まだ不満で、虐めが生きがいですか?

人がさ、身体しんどくても、
ちゃんと来るように頑張って、頑張って、

一生懸命にしてるのに、
なんとか、気に入らないからと、

やめさせよ、やめさせよと、
“意地悪”を次に次にとしてんなよ?



わたしは、それにはもう我慢しない。

と、我慢できずに、

「怖いんですけど」

と、”やめてください”をハッキリ言った。


そしたら?

意地悪がなくなった。



まぁ、そんなら、するなよ、最初から。

泣くなよ、声震わすなよ。
ちょっと言い返されたからって。

まさか『弱者』は
泣き寝入りかと思っていましたか?

あなたは散々好き勝手ゆったよね。
人が低姿勢で謙虚にしてるからってね。

あなた方は皆んなを辞めさせたんだろう?
他人も生活あるの、わかってるんか?

自分達が気に入らない人達は辞めさしたやろ?
わたしには保険と収入が必要やねん、邪魔するな。

身体、なおさなあかん。
生きていたいねん。

あなたがされてきて嫌だった『毒』を人にするな。
虐め、言葉の暴力みたいなの、後輩に2度とするな。

甘えて生きて、好き放題してんのはどっちや?
意地悪な人ほど『弱い』ねん。

どっちが『強く生きてる、生きようとしてる』のか
わかってるんか?ちゃんと見とけや。

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死生観について。

正しく教育なされていないから、
何が生きる、死ぬかも、自覚されていない。

例えば、健常に生きてても希死念慮が強いとか
他人を貶めたり攻撃を繰り返すとか、

そうゆう”心の死“があったりもする。
人間は本来、理性と愛に生きるものだから。

真逆に、死を直前にしていたり、
それでも生きる事を決めてると、

以外と、怖いものがない、という気づきがある。
無くすものがないほど無くした時もそう。

やけくそ、とかじゃなく、
根底にある『生存本能』によると感じる。

続く

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