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アーカイブ11-勘違い糞野郎-

後日呼び出されたのは、宮地、松ケン、Jr.の3名だった。

「まあ、入って入って。」
また変わらず楽器や機材の話が始まる。
一通り話し終えると、

「んでまあ本題なんやけど、おめでとう!!ほぼ決定やわ。向こうからも費用感これぐらい用意できるって話も来た。ただ、向こうが欲しがってるのが3人だけなんよ。松ケンくんに関してはこっちから頼み込んだんやけどな!ガハハハッ!!」

漫画や映画でしか見た事無いような事が目の前で起こっている。

簡単に言うとバンドを解散してくれという話である。
そして選出されたメンバーと新たに先方が選んだスタジオミュージシャン(?)とで新しくバンドを組んでくれという事だった。

「バンド名は...この看板は下ろせません。」

という旨を伝えた。
クラフトのおっちゃんは少し悩んだが、

「ううん。そこまで言うなら先方と一度話してみるわ。とにかく早く契約に持って行きたいからメンバーと早急に話しておいてな!!」

工房を出た後3人で話し合った。


2度のレコーディングによって、メンバー内で明確な技術格差や意識の違いが露呈していたこともあり、自分の中でも「このままこのメンバーで続けて未来はあるのだろうか。」と考えていた時期ではあった。
それにアコギとパーカッションを含む6人組という特殊な編成であった為、シンプルなバンドサウンドに回帰しつつあった自身のサウンドイメージ的にも、この編成は悩みの種であった。

偶然にもこの話が挙がる前に、女房役的存在だった藤ぃに「メンバーを変えた方が良いんじゃないかと考えている。」という相談もしていた。

なので、丁度いい機会だったのだ。

しかし、丁度いい機会だけで済まされない気持ちがそれぞれの中にあった。

自分は藤ぃを、松ケンさんは壱さんを切るという選択肢を簡単に受け入れることは出来なかった。
高校二年生、クラス替えで不安な気持ちの自分の前に座って居た奴に声をかけた、音楽の趣味が意外に合い、気づけば一緒に音を鳴らしたのが運の尽き。気づけば長い間そばに居るのが当たり前の存在になっていた。
藤ぃには何でも話せたが、逆に理解しあっている部分が多かったのであまり話す必要も無かった。
松ケンさんにとっての壱さんも同様で、古くからの付き合いで、自身の弱さや悩みも打ち明けられる大切な存在だった。
冷静に対応してくれていたJr.も当然苦しんでいたであろう、しかし決めあぐねている我々を促してくれた。

話し合いに話し合いを重ねた結果、先方の条件を呑むことに決めた。

数日後メンバー全員を呼び出して話し合いをする事となる。

神戸三宮センタープラザ地下にある『喫茶どん底』で、まさにどん底なフィーリングで、ありのままに全てを話した。

黙っていたメンバーたちが重い口を開く。
どんな非難でも受け止めようと思っていた。
何を言われようと自分には言い返す権利などない。
覚悟を決めていた。

しかし実際は違った。

多少の悔しさを滲ませていたものの皆一様に
「残念やけど、それは絶対やった方が良い!!応援するよ!!」
と逆にこちらが励まされてしまう始末。

「また一緒に飲みに行ってくれよー。」

本当はこちらが思っている以上にショックであったはずのメンバーたちは最後まで笑顔で接してくれた。

そこからは本当にあっという間。

発表後、
下北沢 THREE(東京)と福島 2nd Line(大阪)、そして大雪に見舞われた3月の北海道にて、6人でのmemento森を終了した。

当時のTwitterでの発表をカメラ(ウー)マンのホナミぬがまとめてくれている。

この時も自分の中の迷いが捨てきれないままであったが、送り出してもらえたからには頑張るしかない。

その上で改めて実感したのは、ここまで悩んで決断したのだからやはり自分達で責任を持った、自分達のバンドにしたい。


松ケンさんに頼み、こちらでメンバーを用意する旨を伝えてもらった。


とにかく早々にメンバーを見つけて形にしないと。
その当時から仲の良かった佐々ジュン(元 GENSHOU-現象- 、 現 サラケダスのメンバー)に、彼が以前やっていた異物ズのドラマー新形耕平の話を聞く機会が度々あった。

「あいつ、あのまま音楽辞めてしまうの勿体ないと思うんすよねぇ...良いドラマーやのに!!」

という話をよく耳にする内、脳内で「ニイイガタハイイドラマー」というイメージが定着していった。

そんなある日、GENSHOU-現象-のイベントに遊びに行くと、偶然、新形耕平も遊びにきていた。

久々に会ったにも拘らず、「宮地さん!新譜聞いてますよ!!てか暇つぶしに練習してたら殆ど叩けるようになりましたよ!!」
こいつは何というタイミングになんという話をしてくるんだ...
ドンピシャすぎる。これはもう誘うしかない。
という事で以前からの繋がりもあったJr.から状況を伝えてもらう事に。

彼は大学卒後、教員免許を取得し教師になる為に実家の徳島に帰っていた。
葛藤はあったであろうが加入を快諾してくれた。
こうしてmemento森のドラマー「ガタやん」が誕生する。

個人的にもう一人誘いたいメンバーが居た。

俺が初めてバンドというモノに参加した時からの繋がりのあるマッさん(周りでは「じゃまこ」というあだ名で通っていた)トいうキーボーディストである。
ギターともう一つの上物楽器としてキーボードのイメージがあったのだ。

マッさんにも状況を説明し、ひとまずスタジオに入ってみることに。

各々まだ合わせ始めて間もない事もあり、多少のぎこちなさは拭えないものの、各パートの演奏力は確かだった。
「これはいける」
そう思い松ケンさんからクラフトのおっちゃんに連絡を入れてもらう事に。

しかし、この頃から急速に暗雲が立ち込める。

待てど暮らせど具体的な話が進まないのである。

その間もちょくちょく会いには行っていたものの、それっぽい理由で契約の話が先延ばし先延ばしになっていた。


そしてある日松ケンさんから最悪の事態を告げられる。

「みんな本当にゴメン。騙されてた。」

何を言っているのか分からない。

「あまりにも変やから、めちゃくちゃ詰めたら契約の話は存在せえへんらしいねん。」

言葉を失った。

「とにかく落とし前はつけさせるから、一旦この件は僕に任せて欲しい。じゃないとみんなに申し訳が立たへん。ほんまにゴメン...」


冷静になって考えればおかしい点はいくらでもあった。
今になって思えば本当に馬鹿らしい話ばかり。
しかし、当時は将来への不安や、自分を過信して、思ったような評価を得られない事に耐えがたいフラストレーションを募らせていた。
そこに飛び込んできたこの話は、本当に藁にも縋る思いだった。
やっと抜け出せる。
そう思って掴んだ蜘蛛の糸は想像を遥かに超えるほどあっけなく、そして虚しく切れてしまった。


相手に対して怒る気力も残っていなかった為、この件に関しては松ケンさんに任せることにした。

問題はこの馬鹿げた話に誘ってしまったメンバーに対してどうするか。
目下自分がやるべき課題はその一点である。

実はマッさんはこの問題が浮上する前から、別に参加したい案件があり、上京したいという話を受けていたので、逆にこちらの事は気にしないで欲しいという形で道を分かつことに(後に『5o What!』のMVで影の宮地役として出演してもらいmemento森と再会することとなる)。

ガタやんにも状況を説明。言葉少なだが「こういう状況になってしまったがせっかくなので続けたい」という旨と「並行して教員の採用面接は受け続ける」という形でひとまずバンドに留まってくれる事になった。

人の優しさに救われ続けている。
それに応えるにはとにかく動くしかない。
既にライブは決まっていたし、曲も出来つつあった。
よくよく考えれば結成の時からそうだった。曲も何もない状態で、先にライブを決めて"やるしかない"という状況に自分達を追い込む。
そう考えると少しずつやる気が湧いてきた。スタジオに入り何とかライブが出来る状態にまで引き上げる。
こんな事で、こんな所で終わってたまるか。
そうしていよいよライブ前日。

最後の確認のスタジオに入る。
松ケンさんが遅れており、「ライブ前日やのに頼むでぇ!」と思いつつも3人で合わせながら待つ。

流石に遅すぎるので電話を入れるも繋がらない。
そして1時間が経ち、2時間が経ち...

その後二度と松ケンさんが我々の前に現れることは無かった。


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