大阪における文化芸術政策と市民の文化意識についての仮説メモ


はじめに


 庁舎地下駐車場に大阪府が所有している芸術作品が放置されていることが明らかとなり、問題となっている中、大阪府特別顧問の上山氏が会合で、作品の画像などをデジタル保存することで、実物は破棄してもよいという趣旨の発言をしたことが報じられた。
 
 上山氏は慶應の教授だが、橋下氏らと親しいことで知られるので、「良識ある」人々のあいだでは、「また維新が」という受け止めが強いと思われる。しかし、この問題は根深く、維新支持が大阪で広がった一つの背景ともかかわっていると感じている。実証は困難だが、一つの仮説を提示したい。
 

1.維新の文化芸術政策を支持した「文化的」な人たち


 維新政権による大阪での文化芸術への公的支援削減は最初に、大阪府立児童文学館の廃止、文楽への公的支援の削減、大阪センチュリー交響楽団への補助の打ち切り、として行われた。私はクラシック音楽ファンなので、交響楽団への補助打ち切りにとりわけ憤ったのだが、市民の受け止めは違っていた。
 文化芸術への財政支援打ち切りを支持するのは、しばしば揶揄される「民度の低い人たち」だろう、と一般には考えられがちである。しかし、そうではなかった。

 センチュリー交響楽団への補助打ち切りに対して、もろ手を挙げて賛成したのは、まずアマチュアオーケストラでクラシック音楽を演奏している人たち、ついで自分たちは「高尚な音楽の聴き手」と自負する人たちであった。
 「自分たちは休日を返上して自腹で音楽をやっている。あの程度の演奏で給料をもらっているなんて、甘えている」
 「欧米の一流オーケストラの演奏こそが芸術であり、聴くべきはそうした演奏である。二流三流のオーケストラに公費から支援する意味はない」
 SNS(当時はMixi)に流れたこうした声には、賛同が相次いだ。
 そして、自社も積極的にメセナ活動をしていることで知られる関西の有力財界人たちからも「大阪に4つのオーケストラは多すぎる。支援も分散して非効率だ」という声が発された(一人ではない)。
 文楽についても「国立文楽劇場があるのに、なぜ自治体からも大きな支援がいるのだ。演じ手も鑑賞者も年寄りばかりで、既得権にもたれかかった古い芸術ではなく、もっと若い人の創造的な活動を支援すべきだ」という声があった。

 当然、文化芸術にかかわる人たちはもちろん、多数の文化芸術愛好者、さらには一般市民からも抗議の声はあがった。しかし、こうした文化芸術への攻撃が、文化芸術に主体的にかかわっている人たちによる維新への支持を、かえって拡大した面を無視することはできない。

2.背景についての仮説~「商人の町大阪」における文化の位置づけ


 この原因が、直接的には新自由主義イデオロギーの蔓延にあることは論を待たない。しかし、それが大阪において特に噴出したことには、大阪という町の歴史とかかわっているのではないか、という仮説を得た。
 これは単に理論的な問題ではなく、実際に維新と対峙していく勢力が何を争点としてとりあげるのか、という問題と直接かかわっている。維新の攻撃に対して、「文化破壊」を糾弾して闘う、というこれまでのやり方は成果を得ていない。その後も大阪市音楽団が廃止され、そして今回の事態である。それについて、府民一般の世論はもりあがっていない。これに対して東京の良識ある人々からは「大阪は民度が低い」という声さえ聞こえる。
 しかし、東京からのそうした侮蔑的な視線が、いっそう維新支持に拍車をかけていることは、指摘しておきたい。また、クラシック音楽界への公的支援削減の先鞭を切ったのは、東京都交響楽団における楽員の終身雇用廃止だったことを想起すべきである。
 そうではなくて、より根深いまさに文化的な背景があるのではないだろうか。
 
 大阪は商人の町であり、実利を重んじる気風が江戸時代より連綿とある。では、実利しか追ってこなかったのか? そんなことはない。近松門左衛門や井原西鶴に代表される演劇的な文化は、商人たちにも親しまれてきた。その基盤のうえに、明治以降は西洋文化も積極的に吸収された。宝塚少女歌劇が、その源流の一つであるパリのレビューのような色物ではなく、文化として受容されたことは、その象徴ともいえる。
 だがそれらはすべて「高尚な遊び」であった。まさに近松や西鶴の作品にでてくるような、女系で継承される商家において「遊び人」になってしまう「若旦那」のものであり、商売に責任をもつ「ごりょんさん」からは「しょうがないもの」とみなされるものだった。
 つまり、文化芸術はあくまで、市民が自ら愛好し自ら支えるものであった。自治体が資金を出す公的な空間にあるのではなく、私的空間にあるもので、だからこそ自由で自発的なものである、と暗黙に考えられてきたのではないだろうか。これは、欧州でもブルジョア市民主義の勃興期にはそうであったが、市民自治の伝統があり、公よりも民を上に置く気風が強い大阪では、そうしたブルジョア市民主義的な文化への意識が、根強いのではないだろうか。そしてそれは逆にいえば、文化芸術はあくまで「私的な遊び」であり、「中途半端に」公的に支えるべきものではない、という意識に通じてもいるのではないだろうか。

3.文化を支援する維新系市長もいるのはなぜか


 他方、コロナで苦境に陥り、賃料が払えなくなって行き場を失った関西フィルに、事務所と練習場を無償で提供したのは門真市である。これは、指揮者の藤岡氏と親しい東大阪市長と門真市長が懇意で、話が通じたようである。そして、門真市長は大阪維新の会幹部であり、東大阪市長はもともと自公支持で当選してきたが、次回選挙で維新に鞍替えすると表明して物議をかもしている。東大阪と門真はもともと工業地域で、大企業の労働者や中小製造業の多い町である。こうした、ハイソサエティの人々からは「民度が低い」とみなされがちな人が多いはずの町で、なぜ維新の市長がクラシック音楽を応援するのか? それはまさに、わざと言うが「民度が低い」からである。大阪の都心部と異なり、こうした地域には文化の蓄積がない。それは、地域にとって「恥」である。維新的なメンタリティにおいて、「恥」は重要な政策ファクターになりうる。大阪都心部と比べて「文化的でない」「民度が低い」とみなされることをなんとか克服したい。それを「克服した」という実績は、市長の支持にも影響する。門真市長がそう考えたとしてもなんら不思議はない。 

 つまり、文化度が高く自らも文化活動を行っているような「自立した」人々は文化への公的支援に否定的で、文化度が低く文化にも関心がない人々が文化への公的支援に肯定的だという逆転すらありえるのであり、それが維新系首長のこうした「ねじれ」につながっている可能性がある。

おわりに~選挙戦術ともかかわって


 以上の点を確認するためは、市民への意識調査と、維新系首長・議員などへの聞き取りが必要である。この場合の意識調査は、どういう意見の数が多いかどうかではなく、どんな人たちが何を考えているのか、を明らかにする必要がある。つまり、文化活動のかかわり方や地域での本人の位置などによる意識の違いと、その影響を把握する必要があり、平面的なアンケートではつかめないのである。インタビューや質問紙調査が必要だろう。

 そして、そうした調査の結果をふまえて、維新の文化政策の何を、誰にむかって、どのように批判し、どんな政策を対置していくのか、を考えていかなければならない。また同時に、維新の文化政策そのものだけでなく、大阪における「文化意識」そのものと場合によっては対決していかなければならないか、あるいはそうした層はむしろ切り捨て、潜在的に「文化は大事だ」と思っている層(実際に文化的かどうかとは関係なく)を掘り起こしていくことのほうが、実際に対抗軸を強めていくうえでは必要かもしれない。維新と対決しようとするなら、こうしたことを考えていく必要があるのではないだろうか。

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