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タヒねばいいのにって思うとき

【連続更新1000日達成までに熟成下書を全部昇華させるチャレンジ】
今回は、2021年5月の熟成下書きを仕上げて、更新記事としています。
当時は志田について考え、ダークサイドに落ちていたようです。



______ここから______


私は聖人君子でもないし。
言葉にしたらあかんことを思う時がある。
志田が、コロナで死ねばいいのに。



______ここまで______








この三行だけの短い記事。
憎い相手が死んでしまえばいいと思うその気持ち。
まだまだ恨みが残っていた。
2021年5月、未知の感染症、コロナという忌ま忌ましいものに対しての怒りもありつつ、そのコロナが志田を殺してくれるのなら、コロナへの畏怖の念を持つだろうなと思っていたことを思い出した。
志田との18年もの年月は、簡単に忘れ去りはできなかったようだ。


この三行を書いてから2年弱が経った。
いまはどうかと自分に聞いてみると、相変わらず奴は死ねばいいと思ってはいるが、以前ほど強い気持ちはないようだ。
ちなみに志田が生きているのか、生きていればどんな風に過ごしているのかは全く知らない。
知りたければ奴のフェイスブックを見れば一目瞭然なのだが(私の望みに反して奴が生きていればだが)、そんなことをする意味が全く見いだせないのでしない。
こうやって考えるなんて、すごい!成長してると自分で思う。


志田のことを考えたり思い出したりする時間は、ほとんどないに等しい。
これを「忘れた」、という簡単な単語で表せはしないのだが、以前よりは数段に薄れている。



以前は100%志田が悪いと考えていたが、最近は100%とまでは思わなくなっている。
だからと言って、98%は志田が悪いんだからな!!とは思ってるが(笑)
2%減っだけかよ。




時間の経過なのか、心理学の影響なのか。

どっちにしても、少しずつ気持ちが整理できている感はある。
そうでもしてこうやって良い方に解釈しななきゃ、なんのための時間経過で、なんのための学びか、わからない。