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最後の恋愛があまりにもダメージ強すぎて今や男嫌いのステータスまできた。③

心の平穏。

楽になった。46歳で志田と別れてからは、誰とも付き合うことはなかった。志田が忘れられないからとかそんな理由ではない。志田を忘れたからこそ、男の人と遊んで、嫌なこと(志田の嫉妬による執拗な責め、中絶の過去)を一瞬でも忘れる、という暴力的な方法をもう取らなくてもよくなったからだ。

私って意外と男がいない時間もちゃんとしてるやん。すごいしえらい。

今まではそばに誰か居ないと落ち着かなかった。恋愛ごっこでもいい、誰かと時間と体を合わせていないと、心がきしんでいくように感じていたのだ。

でもそれは、全て志田に対しての当てつけだった。

最初は毎日のように過去を思い出し考えイライラしていたのが、3日になり、1週間になり1か月、半年、1年と徐々に思い出さなくなってゆく。娘は成長し成人を迎え、私は紆余曲折を経て転職し、志田や欲望を満たすだけの男がいなくても、当たり前のように年月は流れ、徐々に志田との過去の呪縛が解けていった。

恋愛ごっこをしたいとも思わなくなった自分。嫌いじゃない。一人の時間がこんなに楽しいものだと初めて知った。


全てわかった。

そんなある日、何気なく見たFacebookで全てが明るみになる。

志田がFacebookをしていたのは知っていた。付き合っている頃、まだ志田に対して好意があった頃、たまに見ていた。惰性で付き合い、都合のいい男対象としていたあたりの大半は、興味もないし見ていなかった。(いや、正確には見ていたはずだ。だが志田は私に惚れているという自信があった故に大事な所を見落としていた。もう少し言い方を変えれば、見て見ぬ振りをしていた、かな。)

何気に覗き見る。

仕事の記事が殆どだ。が、その中にちらっと見えるプライベート感。

ある日の記事、飲食店の紙袋の写真が写っており、「家で待つ女房と娘にお土産です。」とある。??なんだこれ、志田の妄想記事?と思った。志田は自分の都合のいいように解釈をし、頭の中で楽しむ癖がある、所詮はSNSだ、見栄もあったりするのだろうと思った。

そしてしばらく仕事関連の記事が続く。

また別の日の記事では、冬の寒い日に毛布を干している画像。「今日は天気がいいので娘の毛布を干しています。」とパパぶり。???娘がいる妄想が続いているのか?少し訝しい。しかし娘の毛布という割には茶色くおじいさんの股引きみたいだ、これも妄想と解釈した・・・。

仕事関連の記事が続く。
その中に同級生という男性が志田にコメントを書いている。「同窓会をしようと思うから云々。1960年生まれの奴等集めて・・・。」?1960年生まれ?志田は私より5歳年上と言ってたから1965年だろ?慌ててプロフィールを見ると1960年生まれとあった。なんだこの嘘。40,50のおじさんおばさんならさほど気にならない10歳差であるが、28の時に出会ってた相手が38だった?それは気持ちが悪い。姑息な嘘をついたもんだな、と怒りを覚えつつ、次の記事へ。(ここでも見て見ぬ振りが出てくる。28歳で出会い付き合いだしてから、言葉の節々や話題、音楽、映画、考え方にジェネレーションギャップを感じ取っていた。5歳差とは思えない違和感ではあったが、自分の感覚よりも、古いことをよく知っているのは姉の影響だという志田の言葉を強引に信じたのだった。)


最初から離婚なんてしてないしちゃっかり子供はいるし。

高校生ぐらいの女の子が着物を試着している様子の画像2枚。「再来年の成人式の振袖を見に来ました。」着物を着た女の子の顔は猿顔の志田によく似ており、私はその瞬間、志田との過去の諸々が脳内を駆け巡った。

これは本当に志田の娘だ。志田の妄想でも何でもない、現実だ。(この子、太いし可愛くないわ、どっちか言うとブスやわ。尻でっか!ちょっと痩せさせなよ!うちの娘の方がスタイルいいし絶対可愛い!となぜか変な負けず嫌いが出てしまう母目線。いや今は突っ込むところそこじゃない!)

脳天突き抜けるショック。鳥肌。吐き気。一度ならずも二度も騙されたという事実。嘘に嘘を重ねてきやがった18年間。めまいがおこる。気が遠くなる。

2019年の成人式の子供=1998~1999生まれの子供ってことで、ちょうど私が妊娠した年だ。私の子は認知せずアンフェアだからと中絶させ、自分たち夫婦はちゃっかり子供を授かっていたと言うことか。その上年齢詐称。そして極めつけは、離婚などしていなかったということだ。なぜあの時結婚しようなどと抜けしゃあしゃあと宣ったのか。未だに私たちが付き合っていたとすれば、刺す案件やで。

【当時のつぶやき】朝から志田のフェイスブック開けて見て最悪。見なきゃよかった。キモすぎ。娘とか年齢とかなんやらかんやら、吐きそう。いろいろキモい。
【当時のつぶやき】年齢詐称がばれぬように、話を逸らすために私を責めていた?
私もたいがい嘘ついたけどね、志田にされるのは腹が立つし、死ねばいいのにと毎回思える。

怒りが頂点に達した私は、志田に電話をかけた。何を言ったか覚えていないが、あんたの娘ってこれどういうことよと詰寄ったと思う。志田は慌てながら「また電話する」と電話を切り、それから二度とかかってこなかった。



脱力感と、虚しさと、呆れと。

暫くは思い出しては怒っていたが、志田は私との連絡を拒否したんだ。これが答えだと理解したら、全ての現実を受け入れるしかなかった。それに、関係は終わらせたのだ、蒸し返すほど価値のある相手でもなかろう。相手はクズだ。志田を責めるよりも、もう自分の未熟さや付け込まれる隙があったことが立証され泣きたくなる。志田を都合のいい男として扱っていたが、結局それも丸っと逆転されたような恰好だ、間抜けだ。18年の全てを全否定せざるを得ない状況に情けなくなり、惨めだった。自分を責めた。自分が腹立たしかった。

なんでこんな男を真剣に好きだと思っていたのだろう。

なんでこんな男と18年も余って付き合ったのだろう。

なんでこんな男の本性見抜けなかったのだろう。

なんでなんでなんで。



私の浮気を志田は異常なほどに責め立てたことを思い起こす。やましい気持ちがある人間は、些細なことで相手を責め自分の優位性を出すもんだ。私の浮気を執拗に責めることで、志田自身の秘密を守っていたのだな。必死だったんだな、滑稽な男、馬鹿だな。そして私もな。

この一連の出来事で私は、男嫌いになった。男性を信用できなくなった。

でも、もう、いいんだ。これから年を重ねるにつれ、煩わしい関係は要らない。男女間のいざこざとかまっぴらごめんだ。更年期を迎えてさらにその気持ちが大きくなっている。あと10年したらまた気が変わっている?いやきっとない。美味しいものを食べて健康で美しいものを愛でるシンプルな生活があればそれでいい。その中に恋愛は不要だ。そんなこんなごたごたを経て、最近はやっと平穏な日々を送れるようになってきた。思い出しても気持ちがざわつくこともなくなった。そして突如コロナ禍。



禍(わざわい)を呼ぶメール。

今年の7月。自身のついた数々のウソがばれて、都合が悪くなり電話を切った後に連絡を絶った志田が、何年かぶりにメールをよこした。志田のメールアドレスはすべて受信拒否していたので来るはずがないと高を括っていたが、ゲスな男がやりそうなことだ、メールアドレスを別に作って送るという野暮ったいやり方。それに元気かな?だけ、一文のみ。センスもない。ウイットもない。卑怯。


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こんなことで私がほいほいと返信するとでも思っていたのだろうか。浅はかな。自分がやったことを悪いと思っていないんだろう、これっぽっちも。私はじめから舐められていたのな。

志田は「こういうこと言えば、こういうことすれば、相手がどう感じるか」を察することができない。そして自分に都合よく解釈する。だからこうやってメールをよこしたりするのだ。そろそろヤれるかなと思いながら。私がそろそろ会いたくなる頃だろうと思いながら。

腐るほど味わったパターンだ。

見たくもない。


即時に私は自分のメールアドレスを変えた。もう二度と接触はさせるものか。これで平和が訪れる。きっと、そのうち禍も無くなる世界になる。



私と世界に平和あれ。


***




3部にわたる長いnoteを読んでくださりありがとうございました。生きていると色々あるなぁと思います。この話をやっと自分の言葉で解放できてすっきりしました。私の近しい人には言える話ではないので、誰にも言えず何年も悶々としていました。羞恥の部分。いずれこの恥を平気で話せる時が来る気もします。しわしわのおばあちゃんになったら、そんな気がするんです。

ゲス野郎と恋愛体質の間抜けな女のよくある話としてね。

私の悪い癖、「見て見ぬ振りをする」のが今回の失敗に繋がっていると考えています。50にしていろいろ気付く。見て見ぬ振りをする前は必ず、違和感がある、自分の野生的な直感で変だと感じているんですよね。でもその「変」を見て見ぬ振りをして蓋をしてきたんです。もっと早く自分の悪い癖に気付き治す努力をしていればと後悔はしますが、まぁ現実こんなになってしまったんだから仕方ないですね。もっと自分の直感を信じてあげようと思います。そしてゆっくり見て見ぬ振りしないように自分を治していこうと小学生の反省文みたいに書いて締めくくります。

お疲れ様でございました。