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リメンバー、病院祭  6.静観と干渉のあいだ

リメンバー、病院祭              6.静観と干渉のあいだ

 2021年、6月が過ぎようとしています。
 2年前は、この6月ごろから、病院祭の準備にいつから取り掛かるべきか、そわそわし始めていました。
 しかし、COVID-19の感染拡大予防のために、院内のイベントが中止となりました。昨年の2020年、病院祭も中止となりました。今年も、職場は「病院祭」のひと言も出ていません。

 「リメンバー、病院祭 3.味見ていどの視覚化」の項で、中止となったことで安堵したと述べました。自分にとって、職場の病院祭は 「楽しいイベント」ではなくて、「中止になって安堵する業務」でした。

 「中止となったことで安堵」したのは、所属科で病院祭担当を経験したことで、病院祭が内包する問題があることに気付いたためだと思います。
 ただ、自分にとっての問題であって、他のスタッフには問題ではなかったのかもしれませんが。
 その中身は、まだ具体的になっていません。
 今回、試みに書いていきます。

(1)振り回された?
  リボン先生(仮名)は、先輩のポニー先生(仮名)と共に病院祭に熱心に取り組んでいました。所属科で病院祭担当になった年、リボン先生(仮名)が準備の進め方で話しかけられることが多くなりました。

 「2か月前には体力測定器材の試運転をしてください」、
 「買い出しにいくら使っていいんですか?まず予算を病院祭部長(仮称)  に確認してください」、
 「当科は体力測定を行うことに決まっているんですか?スタッフに確認してください」など、問われることが常でした。

 問われ続けるかと思いきや、ある日突然、「めがね先生(自分のことです)がやりたいよういに進めたらいいんですよ」と言うこともありました。

 またある時は、急に顔つきが険しくなって「当日までの日程表と会場の見取り図を出してください」と言うこともありました。 所属科ではリボン先生(仮名)を含め、誰も作ったことがありません。ほぼ口頭伝達でした。
  
 リボン先生(仮名)としては、熱心さのあまりに生じた言動だったのだろうと思います。
 静観するときと干渉するときのあいだに、かなりの幅があると感じていました。

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(2)自分だけではなく
 振り返ってみると、リボン先生(仮名)も振り回された一人ではなかったかと思います。

 何にでしょうか?

・このぼんやりしたスタッフ(自分のことです)に、ポニー先生(仮名)が思い描くように「体力測定ルーム」の準備を実行させねばならないという使命に

・「私が一生懸命に取り組んでいることを周囲に示したい」という悲鳴に
 
・「残業してでも体力測定ルームの準備に取り組む」という圧迫に
  リボン先生(仮名)にとっては既に習慣化されていたことであったかもしれません 

・「職域拡大」、「地域包括ケアシステムへの積極参加」という士協会の方針に

あるいは、
・ぼんやりめがね(‥‥‥💧)に、任せなければならない
 「体力測定ルームの準備は主担当の采配次第として、主担当に任せる」ことに方向転換するということです

 上に「このぼんやりしたスタッフに、ポニー先生(仮名)が思い描くように準備を実行させねばならないという使命に」と述べたことを踏まえると、リボン先生(仮名)は板ばさみに遭っているかのようです。

 リボン先生(仮名)こそ、振り回されたのではないかということを、推察の範囲ですが、書きました。

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 自分であれば、振り回されることからできるだけ回避したくなります。
 しかし、人によっては、誰か、あるいは組織に振り回されることが安心へつながることもあるのではないかと思います。
 言うとおりにしていれば、自分の立場は守られるような感覚でしょうか。
 
(個人的な注:「立場」という語は、 安富歩先生がたびたび「立場主義」について書いていることから、慎重に使用しようするべしと自分で決めておりました。この場において「立場」という語が適切と判断しました)


 指示通りにしていれば、安心できる。短く言えば、「呪縛依存」でしょうか。
 病院祭が内包していた問題というよりも、病院祭を介して自分が実感した問題として「呪縛依存」が見えてきたところまで、今回はたどり着きました。 

                          2021年6月27日
 

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