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【自動車工学】番外編

 蒸気機関を発明したのは誰でしょう? ネットが発展する前だったら、間違いなくジェームズ・ワットと答えたことでしょう。でも違います。
 クリスティアーン・ホイヘンス(1629~1695)が1673年に、世界で初めて火薬を使った往復型のエンジンを発明し、実際に試作されました。

 Cに火薬を入れておきます。ピストンDがBの位置に下がっている状態で、火薬に点火すると、火薬が燃焼し、ガス圧によりピストンDがAの位置(上図の位置)まで上昇します。そのガスはシリンダ内から逆止弁εを通じ排気され、筒内は真空に近い状態になります。すると大気圧に押されてピストンDが、AからBまで押し下げられ、重い荷物Gを持ち上げるのです
 次にホイヘンスの助手で、火薬エンジンの開発を手伝ったドニ・パパン(1647~1712頃)が1688年に、その火薬エンジンの原理を王立協会で発表しました。
 ただ火薬だと上手く真空が作れないため、パパンは蒸気を使いだし、1690年に蒸気機関を作成しました。
 このころになるとホイヘンスの興味の対象は光に移っており、1690年に『光についての論考』を発刊、この中で光の波動説を提唱しました。これにより、アイザック・ニュートン(1642~1727)の光の粒子説が覆されてしまいます。
 さて蒸気機関はというと、1698年にトーマス・セイヴァリ(1650頃~1715)が特許を取り、実際に炭鉱で水ポンプとして運用されました。ただ高出力が出せずに、ニューコメンの蒸気機関に取って代わられます。
 トーマス・ニューコメン(1664~1729)が1710年頃に、蒸気機関をほぼ完成させ、1712年に鉱山で水ポンプとして実用化されました。
 ジェームズ・ワット(1736~1819)は1765年に、ニューコメンの蒸気機関を改良した模型を試作し、1776年に実働機関を完成させました。
 ニューコメンまでは蒸気圧でピストンを持ち上げ、その後シリンダに水をかけ、蒸気を水に戻し、シリンダ内をほぼ真空にして、大気圧でピストンを押し戻しポンプを回すという動作でした。つまりホイヘンスやパパンの思想に囚われていたのです。
 ニューコメン機関で行われていた、一度加熱されたシリンダを冷やして、また加熱するという動作に無駄を感じたワットは、発生した蒸気でピストンを持ち上げたあとに、その蒸気をシリンダ外に導き、別のシリンダで水に戻すことにしました。するとピストンは大気圧で押し戻されるときに力を出すのではなく、蒸気で押されるときに力を出すことになります。
 これがワットの蒸気機関なのです。これで燃費が良くなって、ニューコメン機関に対し、石炭消費量が1/5になったそうです。
 ところでワット機関では、蒸気圧は1気圧でした。これを高圧化し実用化したのが、蒸気機関車を発明したリチャード・トレビシック(1771~1833)です。彼は蒸気機関を小型化するために、蒸気圧を10気圧にしました。1800年頃のことです。こうやって蒸気圧を高めることで、燃費も良くなっていきました。
 理屈で燃費を考えたのがサディ・カルノー(1796~1832)です。研究成果を、1824年に『火の動力、および、この動力を発生させるに適した機関についての考察』という書名で出版しましたが、残念ながらまったく知られることがありませんでした。その後1834年にエミール・クラペイロンが論文でカルノーを取り上げ、さらに1848年と1849年にウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)がカルノーの研究を元に論文を発表し、熱力学が形成されて行きます。そして蒸気機関の燃費向上に貢献していくのです。
 例えば1912年処女航海で沈没したタイタニック号の蒸気機関は、三段膨張で、燃費を稼いでいました。構造は粟田亨さんの下記ホームページをご覧ください。

参考文献
 鈴木孝『エンジンのロマン』
 デニス・グリフィス『豪華客船スピード競争の物語』
 サヂ・カルノー『カルノー・熱機関の研究』

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